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誰でも老害、誰でも毒親、なら…

こんにちは梅おにぎりです。

自己紹介

今回はいつの間にか歳重ねて、自分の子はじめ歳下の人がすごく増えたので思ったことを書きます。

・自分の時はこうだった…はいつまで通用する?
・伝えたいことは呪いにもなる
・普遍的な教えはやはりデータベースが歴史か
・一緒に勉強するしかない

自分の時はこうだった…はいつまで通用する?

思い悩んでる歳下の人に良かれと思って
「私も〇〇だったよ…で、△△したら良くなってね…」
ってすごくすごく言いたくなります。

でも…それ何年前?

特に今コロナ禍で特殊な状況にあります。

こんな特殊な学生時代を送ったことはない。
こんな特殊な状況で新卒の就活もしたことない。

私が未経験のことを経験中の人に、的外れなこと言っちゃってるな…

更に歳下の私の子供たち
登園自粛何回もあるね。
来てる人が少なくて以外と楽しかったり
やっぱり寂しくなったり
楽しい行事中止になったり延期になったり
変な状況だから家族とずっと居たくなったり
色々だよね…

「コロナ終わったら〇〇したいな〜」
ってよく言うようになったね。

幼い頃にこんな状況を経験するってどんな気持ちだろう。

伝えたいことは呪いにもなる

そもそも平穏な日常であっても、人の気持ちも、勿論自分の子供の気持ちも計り知れません。

私だったらこうするな…
という行動を取らず人それぞれ独自の行動を取ります。

目から鱗!勉強になる…というときもあれば、
それはやめた方が!と言いたくなるときも…!

経験が足りない故の行動ならそれこそ手出し口出し無用
求められてないアドバイスなどもってのほか

見守るところ…
でも何かしら言ってしまう!!

自分が親や大人にされて嫌だったことしてる!
「邪魔しないで!」
「何も知らないくせに!」
って思ってたでしょ…

こんな時つくづく「老害だな」
「毒親だな」と自己嫌悪してしまいます…。

でも私と同じ失敗をして欲しくない!
そんな気持ちから黙って見てられなくなる時があるんですが、
これってエゴなんですよね。

自分が過去の「呪縛」からの放たれようとして人に自己投影して「呪い」を相手にかけちゃってる。

友人へのアドバイスだと、なんか思い入れが違うんですよね。まあ最後は本人がやりたいようにやるよね、みたいな感じで居られます。
自分の子供とか、過去の自分を見てるような相手だと「絶対ダメええええええ!」って焦りがすごくなります。

ああ毒親や老害になりたくない…

どうしたら…

そんな時

最近プロ奢ラレヤーさんのツイートに
「全ての親は毒親。一緒に解毒できるかが鍵」
というのがありました。

なんだか…
救われた気持ちになりました。

デフォルトで毒親なんだ!と思ったら、「毒親にならないようにしよう」とガチガチになる気持ちよりも、「もう既に毒親なんだから、私の毒にやられて欲しくない…とか願っても、もう私の毒に毒され始めてるんだ!もう諦めて、しっかり解毒の方法探すことを頑張ろう!」と前向きに考えられるようになったのです。

普遍的な教えはやはりデータベースが歴史か

私の偏った経験や思考による意見を押し付けるよりも、せめて人類の膨大なデータベースから信用のおけるデータを伝えたい

最近そう思うようになりました。とくに自分より若い人に向けては。

でもそれって…歴史の勉強が必要ってことかな。

歴史を勉強しまくってそれを教える…
結局先生と生徒みたいでピンと来ません。

・一緒に勉強するしかない

私の解毒の一つが
「一緒に勉強すること」
だと思いました。

「答え」を知っている者としてではなく
共に「勉強する者」として

情報交換したり切磋琢磨したり
あくまで「同級生」という感覚で居たい。

そんな風に思いました。


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