認知と私。
こんにちは。
桜が満開になりました。
今年は寒かった日が続いたので桜が咲ている期間が長かったそうです。
江戸時代の遊郭・吉原では桜の咲く時期を少しでも長くさせるために、
桜の木を植え替えていたと聞いたことがあります。
ほんとかな?
私はここでは自分の絵についていろいろと語りますが、
自分の絵を晒すことはしないと決めています。
でも今回は自分の覚書用の資料としてどうしても必要だと思ったのでイラストを作成しました。
なんて大げさに言って大したことない単純なものですが…。
さっそく作成した資料を活用します。資料その1。
これは自ジャンルの神絵師と私の絵についての資料です。
標準的なイラスト、というのはtwitterなどのネット上でいわゆる一般的に「上手い」「絵馬」といわれている人たちのイラストだと思ってください。
自ジャンルの神絵師は壁打ちなのに数万フォロワーいて、さっと描かれた落書きでも常にいいね、RTを3~4ケタ以上を必ずもらっています。
私はイラストを描いてtwitterにアップしても、いいね0(相互フォロワーさんがたまにいいねしてくれる)、RT0です。
だけど私はずっと標準的なイラストくらいのレベルで絵を描けていると思っていました。
資料その2です。
自ジャンルに現れた神絵師の存在を知ってからも、私はどうしてそんなに神絵師が絶賛されて自分の絵がまったく評価されないのか本気でわかりませんでした。
自分の絵と神絵師の絵を見比べても、神絵師のイラストや漫画が上手いとは思うけど、自分の絵や漫画がそこまでダメだと思えませんでした。
自ジャンルにハマった神絵師の創作がどんどん拡散されていき、爆発的にフォロワーが増え、同じ自ジャンルで活動している作家さん達やROMの人達、新たにその神絵師の創作のファンになった人達が大絶賛しているのを目にし続ける日々。
そのうち神絵師の創作の三次創作する人たちが現れ、あっという間に人気になり、神絵師の同人誌を要望する声が多数あがって本の発行が決まりました。
私が尊敬する作家さんまでもがその神絵師を絶賛して影響を受け、その同人誌を入手して歓喜していたことを知ったことで、自分の創作の現実をつきつけられました。
そこまでしてようやく私は自分の創作に対する現実の評価を受け入れることが出来ました。
というか、受け入れざるを得ませんでした。
「私は基礎的な画力はある」と思い込んでいたので、今までないがしろにしていた基礎練習に取り組むことを決めて、人体デッサンの本で勉強し始めました。
あわせて有料添削にも申し込みをしました。
私の描く絵がかなり歪んでいると気づいたのは、デッサンの練習を始めてしばらく経ってからです。
それまではtwitterやpixivで上手い人達のイラストを日々見ていて、自分の絵と見比べても装飾や背景等の緻密な描きこみの違いがあれど、そこまで自分の画力が劣っているとは思ってもいませんでした。
上の資料の絵が大げさだと思われたかもしれませんが本当にこんな感じです。
顔の中にかろうじて目や鼻や口がおさまっているものの、バランスがひどくて目が大きかったり鼻が長すぎたり口の位置がおかしかったり、しかもパーツの形もいびつにゆがんでいて、人の形をようやく保っているだけの化け物のひどい絵を描いていました。
「脳の病気かもしれない…?」と疑ってしまうような崩れです。
絵を描いていない期間が長すぎて、観察眼がずいぶん衰えていたのだと思います。
目に映るものをそのまま描いているつもりだったのに、全然描けていなかったのです。
思い起こせば、少し前に好きな漫画のキャラクター模写をしたことがありましたが、本を見ながら描いたのにまったく似せることが出来なくて、おかしいなと思っていました。
何を見て描いても自分の絵柄になってしまうのです。
手癖が抜けないんだな、くらいの軽い気持ちでそのままにしていました。
今思うと、ここでそっくりまでとはいかなくても似せて描けないことに疑問を持つべきでした。
他人の絵の良しあし、上手い下手(技術的なもの)はよく見えるしわかるのに、自分の絵のことになるとまったくわかっていませんでした。
今だって全然見えていないのかもしれません。
自分の描く絵がゆがんでいるかもしれないと思いながら描くのは怖いです。
クリスタの3Dデッサン人形をなんとかかんとか駆使して描いてみたり、デッサン練習で人間の顔の比率からアタリをとってみたり、神絵師の絵を模写してみたりしながら試行錯誤して練習しています。
模写が全然できないので、きっとまだ観察眼が出来ていないのだろうと思います。
仲良くしてくれている作家さんに作品のファンアートをかなりの枚数描いて送ったり、BのLなR18漫画を描いてpixivに公開していました。
「下手は量産する」「デッサンの狂ったヘタクソの描くエ〇には吐き気がする」などなどネットで散々言われている言葉、まんま私に当てはまります。
自分の目が信用できない。
描いたものがゆがんでいるのかもしれない。
これを正していくには年月かけてデッサンをしながら観察眼を養っていくしかないのだろうと思います。
絵画教室に通うことも視野に入れた方がいいのかな…。
他者の力を借りないと自力で上を目指すのは無理なのかもしれない。
周りは当たり前だけど「下手」とか「バランスがおかしい」なんて絶対言ってくれない。
自分からわざわざ相手を傷つけるような事言えるはずないし、下手したら相手から嫌われてしまうような事なんて発言できるはずもない。
今まで私の絵を喜んで褒めてくれていた作家さんのことを思う。
この人はどんな気持ちで私のデッサン狂いの下手な絵を何枚もずっと受け取り続けていたのだろうか。
「絵の事は全然わからない」と言ってくれたのも優しさだったのだろうと思う。
絵を描けない人だって絵の上手い下手はわかるし、絵柄の好き嫌いもあるよね…。
絵が描けない人の方が客観的に判断できるからもっと見る目が肥えているような気もする。
正直言うと、私は自ジャンルの神絵師を超えたい。
神絵師を大絶賛している人達を見返してやりたい。
悔しい。
今に見てろ。
その気持ちが今の私の原動力となっている。
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