口唇裂について
私は口唇裂で生まれた。
口唇裂で生まれたことは、私の自己肯定感やアイデンティティの確立にあたって、ひとつの重要な要素になったと思っている。
このため、これまでの来歴や感じたことなど、改めてふり返ってみようと思う。
幼少時のことなので記憶があやふやな部分も多いが、どなたかのお役に立てれば幸いである。
1.口唇裂とは
口唇裂とは、胎児のときに唇がうまく結合しない状態で成長し、そのまま出産に至る先天性の異常である。
胎児の顔面は、発生の過程で左右から正面へ扉が閉じていくようにして形成されるのだが、その割れ目が結合しきらなかった場合に口唇裂となる。
なお、口唇ではなく、口蓋(上あご)が裂けている場合は口蓋裂となる。
口唇裂・口蓋裂の双方を併発する場合もあり、日本人の発病率は1/500人程度といわれる。
(参考:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/口唇口蓋裂)
口唇裂は、なんといっても見た目のインパクトが大きい。
実際にインターネットで画像検索をしていただければわかると思うが、唇がぱっくり割れたり、ねじれや曲がりを伴っていたりする様子は初見だと驚くと思う。
私自身、ある程度成長してからネット検索をしたときは「じぶんもこんな顔で生まれたのか……」と胸がキュっと縮んだ。
(親に当時の写真を見せてくれとは言いづらかったし、そもそも手術前の写真は残していなかったと思う)
私が生まれてから口唇裂について告知された母も、ショックを受け、随分じぶんを責めたようである。
姑から「あなたの食べたものが悪かったんじゃないか」みたいに言われたこともあったようで、私より母のほうが心労は大きかっただろうと思う。
(ある程度の年齢になってこういうことを知り、「私のせいでお母さんごめんなさい」と、母に対する罪悪感を負うことにもなった)
私が生まれたのは30年以上前であるが、現在であっても、我が子に口唇口蓋裂があると告知された親御さんは、やはり一定のショックを受けられることが多いのではないかと思う。
なにせ見た目ではっきりと「異常」がわかってしまうので、最初の衝撃はどうしても免れえないだろう。
ただし、口唇口蓋裂は治療ができるものである。
治療は長期間に渡るものの、唇や上あごが一生割れたままで生きていくわけではない。
もちろん、だから問題ないなどということは断じてないのだが、実体験として、「この顔で生まれたからもうお先真っ暗……」と闇落ちしてしまうのが、いちばんしんどいと思う。
こうなると自己肯定感は下がりまくるし、親との関係もギクシャクしがちだ。
(また、親御さんはごじぶんを責めず、「こんな顔で産んでごめんね……」などとお子さんに謝罪するのもお控えいただいたほうがいい。子どもは「じぶんが親を悲しませた」という罪悪感に駆られがちである)
口唇口蓋裂だと人目が気になることは多々あるし、とくに小さいうちは同年代の子から「唇の形が変!」などとモロに言われてしまうこともある。
それでも必ず治療法は存在するので、よくよく医療機関と連携しつつ、地道にコツコツ治療していくのが最善であると思う。
少しでも前向きに治療に取り組み、私のような苦しみを味わう方が減ってくれればと願っている。
2.私の治療の経過
幼少時の記憶と、随分むかしに母親から聴いた話だけが頼りなので曖昧な部分も多いが、私がどういった治療をしてきたかを書いておきたい。
母が出産した病院は口唇口蓋裂治療の体制が十分でなかったため、いったん関西の某大学病院を紹介される。
しかし父の転勤が決まり、結局その地方で口唇裂治療に長けていると評判の、別の大学病院へ通院することになった。
一度目の手術は、確か生後7~9か月ごろだったかと思う。
生まれたばかりだと手術に耐えられる体力がないため、ある程度成長してから行うのである。
口唇口蓋裂児はうまく母乳やミルクを飲めないことが多いので、専用の哺乳瓶を使用したり、口蓋裂がある場合は上あごカバーのようなものを装着したりする。
(でないと、上あごに開いた隙間から鼻を通ってミルクが漏れる)
母いわく、私が術後の縫い糸を気にしてしきりと鼻下を掻こうとするので、手にミトンを装着していたそうだ。
この手術のときは、もちろん私自身の記憶はない。
母から聴いた話と、後年じぶんで調べた知識によるものである。
二度目の手術は、幼稚園に入園したあとの5歳ごろだった。
成長にともなって変わる傷跡や鼻・唇などの形を、きれいに整えるための手術だったかと思う。
このときには入院していた記憶がうっすらとあり、病院内で同年代の子どもたちとワイワイ遊んでいた。
手術日は、まだ怖いとかいう実感がある年齢ではなかったのだろう。
多少の緊張はありつつ、割と平然とストレッチャーで運ばれた記憶がある。
その後、全身麻酔薬を吸入させられ、気づいたらブラックアウトしていた。術後痛かったとかいう記憶はあまりない。
私が嫌がったのが、術後鼻の穴に入れさせられたレティナという器具である。
傷に引っ張られて鼻の穴が変形しないように入れる、シリコンっぽい小さな補助具なのだが、とにかく鼻がつまったようになって呼吸しにくい。
嫌だ嫌だと駄々をこねまくり、結局途中から、医師に「傷跡に変化なし」というお墨付きをもらって取り外した記憶がある。
幸いなことに、実際鼻の形が変形することはなかった。
また、毎日傷跡を覆う白いテープを貼るよう指示されたのも嫌だった。
傷跡が盛り上がったりしないように抑えるためのものだったと思うが、当然、鼻の下にこんなものを貼っていると目立つ。
幼稚園では友達にツッコまれるし、いちどは街で不良っぽい兄ちゃんにからかわれたこともある。
自我がはっきりしてきたころの子どもには苦痛だった。
それ以外でも、やはり幼稚園などで初対面の子どもから「なんでそんな唇の形なの?」と聴かれる場面が増えてきた。
母に教えられて「お母さんのお腹にいたときに怪我をして、その手術をしたから」と答えていたが、内心はどうしても「私の唇の形って変なんだな……」と傷ついていた。
母も、傷跡を気にしだす私に心を痛めていたようである。
通院日に、医師に対して「娘がこういうことを気にしだして……」と相談していた記憶がある。
(残念ながら、医師がどう回答したかは覚えていない)
なお、母いわく「ここの病院とはどうも相性が悪かった」らしい。
主治医は口唇口蓋裂治療の権威だったのだが、青年海外協力隊みたいな団体に所属していて、ほとんど国内にいなかった。
なので、実際に術後の診察や経過観察などをしていたのは、研修医のような若い医師だったという(大学病院あるあるかも)。
この医師に術後のかさぶたを毎日剥がしては消毒され、剥がしては消毒されして、私の傷跡はずっとジュクジュクだった。
母はこの治療で大丈夫なのか訊いたそうだが、医師が「これで合ってます」と自信満々に言うものだから、それ以上ツッコめなかったとのこと。
主治医にはいつも連絡がつかないし、実務は若い医師ばっかりだしで、母は病院に対する不信感がつのったようだ。
結局こういうこともあってか、私の傷跡は完全にきれいにならず、少々ケロイド状になってしまった。
いまでも、傷跡部分は皮膚がつるつるに引きつれた感じになっている。
正直、いまならこれは医療ミスすれすれなのでは……と思うが、当時はまだ、セカンドオピニオンだの、インフォームドコンセントだのが浸透していなかっただろう時代である。
患者は「医師がそう言うなら」と信じるしかなかっただろうし、立場も弱かったと思う。
今後治療にあたられる方は、どんなに小さな疑問でも、おやと思ったら第三者に確認されることをお勧めする。
私の場合、おもな治療はこの二回の手術で終了だった。
口蓋裂や、もっと重症度の高い口唇裂だと言語治療なども必要になるらしいが、私は発声・発話に問題がなかったので指示されなかった。
その後、手術をしたこの病院には12歳ごろまで定期観察で通っていた。
年に1回程度だったが、各地で転勤をくり返しながらの通院だったので、付き添う母はさぞ大変だったろうと思う。
12歳ごろからは、病院から紹介された歯科での歯列矯正に移った。
私はもともと出っ歯だったのに加え、口唇口蓋裂だと傷跡に引っ張られ、鼻の下の皮膚が伸びにくい。
このせいで口を閉めにくくなるので、口呼吸になって出っ歯が加速する。
こうした弊害を取り除くために歯並びを整え、口周りの筋肉を鍛える訓練をするのである。
私の場合、成長が止まる20歳ごろまで歯科矯正に通っていた。
いちばん痛かったのは、歯茎に歯列矯正のための金具を埋め込む手術だった。
歯茎を切り開いてそこに異物を埋め込むのだから、痛いに決まっている。小学校6年生くらいだったので泣きわめいたりはしなかったが、麻酔が切れてから一日中「痛い……」と呻いていた記憶がある。
(後年、金具をとるときも当然痛かった)
こうした大変さもあった歯列矯正だったが、おかげさまで歯並びはバッチリきれいになった。
私はとくに予後がよかったらしく、歯科から「いい治療例として患者説明に使いたいから写真を取らせてほしい」と依頼があったほどである。
また、口唇口蓋裂にともなう歯列矯正は、保険適用の治療となる。
このため、審美目的なら自費になるはずの歯列矯正を、少額負担で済ませられたのはありがたかった。
このほか、本来なら希望すれば、18歳までに再度口唇裂の整形手術を受けることができたはずだった。
成長が止まったあと、最終で傷跡をきれいにするための手術である。
母親から打診されたが、悩んだ結果、受けないことにした。
大学受験の前だったので勉強の手を止めたくなかったし、生活に支障がなかったので、それほど手術に対する熱意もなかったのである。
祖母などは、将来結婚するときに困るのではと心配していた。
が、私がひねくれ者なのもあり、「傷跡くらいで怯む相手ならいいご縁じゃないわ」「むしろ傷があったほうが、最初から変な相手に引っかからなくていい」などと、半ば強がりもありつつ突っぱねてしまった(汗)。
(祖母にこういうことを心配されて、「おばあちゃんも私の顔を変だと思ってるんだ……」などと卑屈になったせいもある)
結果的にではあるが、いまの夫は口唇裂などまったく気にせず受け入れてくれた人である。
義両親も、(内心は不明だが)とくに反対もなく受け入れてくれた。
思春期のツッパリによる選択ではあったものの、いまではこれでよかったのだと思っている。
3.口唇裂で生まれて
最後に、口唇裂で生まれて感じたことをまとめておきたい。
当事者としてなによりも敏感になってしまうのは、やはり「人の目」である。
とくに幼少期~思春期にかけては、外見に対する劣等感を抱きやすい。
「なんで私だけ顔が違うんだろう」
「この傷がなければ……」
とは、何度も思ったことである。
小さいころから極力鏡を見ないようにしていたので、いまでも、つい鏡の前では目を逸らしがちになることもある。
が、私の場合、外見以外でも自己肯定感の下がりまくる要因が他にあったため、
「でも、たとえ傷がなかったとしても元から大した顔じゃないしな……」
「傷がきれいになったとしても、他に至らぬ点はたくさんあるし」
と、ある意味「傷のことだけ」に集中して闇落ちすることはなかった気がする。
また、口唇裂というちょっと特殊な事情は、多くの人が持たない特別な特徴・経験でもある。
そういう考えもあって、「傷は男の勲章」でもないが、一種誇りに感じる思いもないではなかった。
(我ながら、劣等感とプライドが乱高下な価値観である)
親との関係、とくに母との関係では複雑なところも多かった。
母は私に対して「普通の顔で産んであげられなくてごめんね……」とじぶんを責めまくっているのだが、そう言われると私もつらい。
「うんいいよ、許すよ」とでも言えばいいのか? と腹立たしくなることもあったし、「私の存在が母を悲しませている」と罪悪感に駆られもした。
いまでも、母に対して気軽に口唇裂の話はできない。
タブーまではいかないが、どうしても双方にとって重々しい内容なのである。
口唇口蓋裂のお子さんを育てておられる親御さん、難しいことだとは思うが、気負いすぎず、ごじぶんを責めずにいてほしい。
子どもは、親が悲しんでいるのを見るのがいちばん傷つく。
親のことが大好きだからこそ、親の役に立ちたいからこそ、親の悲しみを見るのがつらいのである。
ましてや、その悲しみの原因が子ども自身にあると思えば余計にだ。
冒頭にも記したように、口唇口蓋裂の治療法は必ずある。
そして真面目に前向きに生きていれば、見た目の傷など気にせず付き合ってくれる友人や恋人ができたりもする。
親子そろって「もう駄目だ……」と悲嘆に暮れるより、きちんと治療に取り組むこと、周囲と違っても気にしすぎないメンタルを育てること、そういうことのほうが大切ではないかと思う。
私自身、当事者として紆余曲折してきて、いま思うことはこれである。
長い闘いであることは事実だが、その道のりが少しでも軽やかなものとなれますように。
もし、ここを見てくださった当事者の方、周囲の方がおられたら、そうあってほしいと心から願っている。
長文になってしまったが、これをもって当記事のまとめとしておきたい。