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教員目線から見た「良い先生」の特徴3つ

「良い先生」というと、一般的にどのようなイメージの教員が思い浮かぶだろうか。

真面目で誠実?
知識豊富で勉強熱心?
いつもニコニコと笑っている?
優しくて親身な態度が滲み出ている?
元気いっぱいで情熱的?

きっとそれぞれの人たちの胸に「良い先生」のイメージは漠然とあるのかもしれない。



「良い先生」の定義はわたしにもわからない。

ただ、わたしはいままで「もし自分が高校生だったらこの人に担任をしてほしかった」と感じる教員にふたりだけ出会ったことがある。

そのため、いつしかわたしにとって「良い先生」とは、そのふたりのような教員を指すのではないかと思うようになった。



では、どのような教員か。

授業がうまいとか生徒対応がうまいとか、そういった当たり前のなことを書いても面白味はないので、すこし違った視点から考えていきたい。

以下に、働き方や姿勢という面で、そのふたりの教員に共通する3つの特徴を書いていく。



▶︎手抜きをする

たとえばある会議後の会話。
「さっき〇〇の担当について何て決まったか教えてもらえますか?」と聞いたら「自分は〇〇の担当じゃないし、会議では自分に必要なことしか聞かないから、まったく覚えていない」と言われたことがある。
わたしは笑いながら心のなかで拍手した。

これはほんの一例である。
会議に限らず、部活も委員会も分掌も、そのほかの業務も、すべてに通ずる姿勢だといえよう。

必要ない(と自分が判断した)ことは思いっきり手抜きをする。
言い方を変えれば上手にサボる。


適当に見えるだろうか?
たしかに適当かもしれない。

しかし「必要な部分のみ力を入れて効率的に取り組んでいる」とも言えるのである。

過去に何度も書いてきたが、教員の業務は多岐にわたるため、そのすべてに力を入れていたらパンクする。

だからこそ自分の信念に基づいて優先順位を決め、効率的に下位の業務は手を抜いて、上位の業務だけ力を入れていくべきである。

念押しするが、すべての業務を手抜きするのではなく、大切だと感じている業務にはとことん力を入れていくということだ。

それこそが「教員はブラックだ」などと愚痴をこぼさず、健全にたのしく働くために必要な姿勢だとわたしは思う。



▶︎真剣になりすぎない

小テストの採点をしていたら分掌関連の書類を急ぎで作ってほしいと頼まれ、じゃあまずは書類から片付けようと思った矢先にクラスの生徒が近所のコンビニで万引きし、また別の生徒が怪我をして救急搬送されてしまう。

重なるときは重なるものだ。
頻繁にあれよあれよと重なっていく。

そんなときにいちいちキーキーと騒いで取り乱したら、ミスも増えるし仕事にならない。

だからこそ何が起きても「あら、また何かあったか」「あちゃー」「続くなあ」と冷静に余裕を持って取り組まなければならないのである。

ポイントは目の前の物事に対して真剣になりすぎず、離れた場所から客観視する自分がいるかのように、余裕を持ちながら取り組むことだ。

これは生徒や保護者の話を聞くときも、問題行動の対処をするときも、事務的作業をこなすときも、すべてにおいていえるだろう。

もし「常に全力を注いで仕事しています!」と本気で思っている教員がいたら、それは決して褒められることではなく、むしろ危険信号だ。

敢えて全力を注がない姿勢。

それこそが柔軟性や信頼性のある余裕に繋がるのではないか。



▶︎生徒を見る(いじめを起こさない)

3つめはありきたりなものになってしまうが、やはり教員という立場において、最も大切なことはこれである。

生徒を見る目がないなら教員には向かない。

言葉のみでコミュニケーションを取ろうとせず、表情や間合いや人間性など、細やかな部分を読み取り、個人から全体まで目が行き届き、適切に対応できること。

といっても、抽象的でわかりづらいだろうから、もっと端的に書こう。

クラス内でいじめを起こさないこと。
つまりいじめの芽に早々と気づいて摘み取ること。


生徒を見ることができていれば、クラス内で深刻な問題になるようないじめには発展しないはずである。

ただ、いじめの芽は別だ。
集団社会である以上、芽はどこにでも必ず存在する。
その芽にいかに早く気づき、いかに早く適切な対処を取れるかということが重要なのだ。

クラス内でいじめが起きる教員はわりと固定化されている。

それと反対に「この先生のクラスではいじめが起きない」という安定性の高い教員もいるのである。



以上が教員目線から見て「もし自分が高校生だったらこの人に担任をしてほしかった」つまり「良い先生」だと感じる教員ふたりに共通する3つの特徴だ。



なお、余談かもしれないが、ふたりの教員のうち、ひとりは既婚者で子育てもしているが、もうひとりは独身である。

保護者はよく「子育てをしている先生なら子どもや親の気持ちをわかってくれる」と思いがちだが、子育て経験の有無は必ずしも教員の資質に関係あるわけではないとわたしは思う。

子育てに限らず、婚姻歴も学歴も職歴も、教員の資質に関係ないだろう。



また、ここまで書いてから気づいたが、冒頭に挙げた5つのイメージは、どれもふたりの教員に当てはまらない。

真面目で誠実?
知識豊富で勉強熱心?
いつもニコニコと笑っている?
優しくて親身な態度が滲み出ている?
元気いっぱいで情熱的?

いやいやいや……

一直線じゃなくてもいい。
知らないことが多くてもいい。
笑顔を振り撒かずに無愛想でもいい。
むしろパッと見は怖そうでもいい。
暑苦しくなくてもいい。


だから、もし、冒頭に挙げた5つの項目が一般的な「良い先生」のイメージだとしたら、わたしから見た「良い先生」とはずいぶんかけ離れていると言わざるを得ない。

しかし、わたしが「良い先生」だと感じる教員ふたりは、授業においても、クラス作りにおいても、生徒対応や保護者対応においても、本当に見習うべきところが多くあり……

自分が高校生だったらこの人に担任をしてほしかった。きっと担任のことを信頼し、大好きになれただろう。

と、心の底から思うのである。
そしてそんな教員ふたりの働き方や姿勢に関する特徴は、本記事に書いた3つであった。

教員目線から見た「良い先生」は、経歴でもなく、うわべの雰囲気でもなく、もっと別の部分にあるのだろうとわたしは思う。

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