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[対岸]| 青ブラ文学部
(本文約874字)
あれから15年か。
40歳での転職は楽ではなかったが、運よく今の会社に採用されたのも、立春過ぎのこんな寒い日だった。
「前の道路を渡ったところにあるあの建物、あれもウチのグループ会社。最近合併したんだ。ウチの社長と向こうの社長、ベンチャーからの起業でね。同志みたいなもんらしくて。向こうの経営が苦しくなった時に『一衣帯水だ。見捨てられん』とかって従業員もみんな雇い入れたんだ。」
入社初日、今の直くらいの年の男性社員がそう言って案内してくれた。
「本山、今日から向こうで働く大崎直さん。大崎さんの部署は本山と関わることが多いと思うから。」
それが向かいの建物で働く本山との出会いだった。
本山は直より10歳年下だった。
仕事は出来るが協調性のない本山を誰もが扱いづらそうにしていたが、直とは不思議と気が合った。
本山の妻は大企業に勤めているらしく、本山の稼ぎが無くても暮らせるのだと言っていた。
「合併ったってこっちが助けてもらったようなもんスよ。ウチの嫁さんとオレみたい。」本山は醉うと愚痴なのか惚気なのか、いつもこんな具合だった。
「本山さんの奥さんも社長みたいに『一衣帯水だ』だったのかもよ。ご馳走さま。」
「大崎さんは他の人みたいに『本山くん』って呼ばないんですね。」
「そうだね。年は下でも本山さんはここでは先輩だから。」
本山の真っ直ぐ過ぎる目が時々直を戸惑わせたが、出来るだけ気付かない振りをした。
「本山さん、私ね、アーリーリタイアするの。55だからね。」
直の主人は既に定年していて、2人で小さな喫茶店をするつもりにしていた。
「本山さん、これバレンタインデーだから。」
「大崎さん、あの、オレずっと。」
「本山さん。20年遅い。」
本山の次の言葉を聞いてはならない。
咄嗟に出た直の言葉を本山がどう受け取ったかは分からない。
直の退職後、程なくして本山も退職したと聞いた。中国に転勤になった妻について行ったとのことだった。
本山との間にはきっとずっとあったのだ、海が。
(終)
#一衣帯水の地のバレンタイン
#青ブラ文学部
山根あきらさんの企画に参加させてもらいました