【ショート】my name
(1,060字)
「ユミちゃん、その人といつも今日が最後かもしれないと思って会ってるの?」
リエが心配そうな顔で尋ねる。
「うん。そうだね。」
私はリエをあまり心配させないように、口の端に微かに笑みをのせ答える。
「ユミちゃん、ここから帰り方分かる?」 「うん、大丈夫だよ。」
いつも同じ地下鉄の駅。
ホームの生温い風に吹かれながら
どうやって帰るんだっけと考える。
今入ってくる電車に取り敢えず乗ろう。
それからあれに乗り継いで
また乗り継いで、だいぶかかるけど帰れる。
良かった。
ホッとした瞬間に覚めるいつもの夢。
家では「オイ」「チョット」。
会社では「ハケンサン」。
親が願いを込めてつけてくれた私の名前は、いつの間にか透明になってフワフワとそこらを漂い、私にしか見えなくなっていた。
「ユミ、刺身のワサビのつけ方、教えてやるよ。醤油に溶かずに、皿の縁につけて、ほら、こうやってやるんだよ。」
─リエの言う「その人」
リクオとはSNSで知り合った。
リクオと居ると透明だった「ユミ」が姿を現す。
「去年兄貴が死んで、この間法事だったんだ。」
普通は詮索したりするものなのかもしれないが、私の名前を呼んでくれること以外どうでもよかった。
何の仕事をしているのか、何歳なのか。
リクオのことは何も知らなかった。
「いつも出してもらってるから、ここは俺が出すよ。」
リクオが「出すよ」と言うのはいつも決まってファストフードや安い居酒屋だったけれど、時々どこで手に入れたのか分からないブランドの服や靴を持ってきてくれることで相殺されている気分になった。
─今度後輩とこういう仕事始めようと思ってて
─兄貴の法事、結構金かかった
「ユミ」のために私は少しの援助をしていた。
私は「ユミ」という、リクオのための居心地の良い場所でいられればそれで良い。
「小銭持ってない?これで最後なんだ。」
リクオの財布には千円札が一枚あるだけだった。
本当に困っていたのかもしれない。
けれども、砂漠のオアシスが幻であるように、「ユミ」はフッと消え失せた。
「この後、利枝と会うから行くわ。バイバイ。」
─ユミ、さっき渡したチケット、明日な。待ってるから
リクオの声が聞こえたような気がした。
バイバイ、リクオ。
バイバイ、ユミ。
地下鉄のホーム。
生温い風。
いつも夢でみていた場所。
「利枝、お待たせ。」
「由実ちゃん、ここまですぐ分かった?乗り継ぎとか分かりづらかったよね?」
「ううん、大丈夫だったよ。」
遠回りしても辿り着けると分かっていたから。
私の名前はユミじゃない。
由実だ。