同担拒否ってこういうことか
二か月前に、倉橋ヨエコのことを書いた。
その後、ツイッターやYouTubeでのヨエコの活躍を追いかけているうちに、当時にはなかった感情が沸々と湧き出ているのを感じた。
「ヨエコのこと好きな人、こんなにおるんか!?」
失礼ながら、本当にそう思ってしまった。
倉橋ヨエコとして活動していた当時は、どれだけのファンがいるのか、どれだけの人が聴いているのかと可視化できるものは、私にはテレビしかなかった。
倉橋ヨエコは、私しか知らないダイヤの原石、私の生きる希望、そう思っていた。
ライブでは気合いを入れて最前列を狙う。
数時間前からスタンバイ。最前を取るためには時間は惜しまないオタクだった。
私しか知らないのであれば、ライブにほかの人はいない。しかし若かった私は、見えていなかったのだ。それほどまでに倉橋ヨエコしか見えていなかったのだ。
令和の時代に復活したヨエコは、様々なメディアで活動を報告してくれている。とてもありがたい。グッと距離が近く感じられる。
しかし、ツイッターのコメントやYouTube生配信のコメントを見るたびに、「私だけじゃなかった…!!!」という気持ちになってしまう。
そりゃそうじゃ。
そもそもヨエコは私のことなど知らないし、たくさんいるファンのうちの一人だ。
分かっている。わかっているけど、何とも言えない気持ちになってしまう自分がいる。
いや違う。何とも言えないじゃない。「ヨエコはワシが育てた」と思って古参ぶっている、ライブハウスの後ろのほうで腕組しているオタクの気持ちだ。
「ホ~ン?ヨエコが好きなの?私はヨエコが倉橋ヨエコの頃からライブに通っていてね…ウンタラカンタラ」
こじらせすぎている。
アイドルオタクが同担拒否と意思を表明しているのを見たことがある。
昔は意味が分からなかった。だって、同担、
いっぱいいるやん…。要は私だけを見て!他のファンなんて許せない!ってことでしょう。なんでそんな思考に至る…?と。
今ならわかる。あなたに救われた私は、たった一人なのだ。
私という存在を証明するのに、ほかの人はいらない。
あなただけいればいい。ほかになんにもほしくないんだ。
つくづく面倒くさいオタクである。
でも、こんな複雑な気持ちを抱きつつ、ヨエコの活躍を陰ながら応援している。本当に。
これから、もっともっとたくさんの人にヨエコの歌を聴いてほしいし、救われてほしいと思っている。