帝王切開への道
今回の出産がたぶん最後だろうから
私の願いでもあった、自宅出産を選択した。
家族との話し合いも無理くりではあったが
承諾してもらい、お世話になる助産院も決まり、後は出産までGOという感じで日々過ごしていた。
4月の頭、毎年恒例の花粉症により眠れない日々が続いた。息子も花粉症(まだ4歳ぞ!辛すぎだろ!)の症状がひどかったり、発熱したり、お世話で夜はほとんど眠れず昼間はずっと横になってることが続いた。
それから復活後の検診で、なんと逆子になっていたのだ!
33wでの出来事!
まぁ、お母さんの体調が戻れば逆子も治るでしょう。でも、週数が週数だから体操したりお灸したりしましょうか。
とのこと。
正直、4月中は、胎動があっても下の方だとまだ治ってないとがっかりしたり、そのことばかり考えることもあった。
でも、おかげでいつでも赤ちゃんのことを考えていて、花粉症でダウンしてた時は自分のことしか考えてなかったから拗ねちゃったのかなとか考えてみたり。
助産師さんも私の意思を理解してくれていて、大学病院なら下から産めるかもよと教えてくれて、一緒に受診までしてくれた。
諸々話を聞いて、外回転術という外から赤ちゃんを回すという手技を受けることに。
結果は、回らなかった。
それには色んな要因があると思う。
もちろん、赤ちゃんの強い意思も。
処置が終わった後、
帝王切開するのかー、と覚悟を決めたり
戻らなかったー、と少しがっかりしたり
何よりも私のところにやってきてくれてありがとう、と赤ちゃんに感謝したり
赤ちゃんにもうすぐ会える、とシミュレーションしたり、感情の波で溺れそうでとりあえず号泣。
そんな私に優しく声をかけてくれる助産師さんもいれば、仕事に邁進して必要なことのみ聞いてくる助産師さんもいたり。
泣きながら、人間観察してる自分がいることに気づく。
でも、大学病院に来なかったら、逆子を治すために念をかけるように願って力が入りすぎてた自分に気づくことはなかったと思う。
私の願いはあるけれど、赤ちゃんの意思だってあるし、赤ちゃんが何事もなく無事に産まれてくることが何よりも大事だってことを自分の思いにのまれて忘れてしまうところだったかもしれない。
大学病院から戻ると、安産のお守りを買ってくれていた旦那さんと息子。
大事なことってこういうことでしょと気づかせてくれた出来事だった。
そして、自然に産みたいってそれこそが出産って思い込んでいたのは私で、自分で自分を縛っていたのだろう。
でも、病院で処置を受けたり入院すると、医療の有難さが身にしみた。みなさん、本当にありがとう。
忙しい感情も全て意味があることで、それを味あわせくれた赤ちゃん、ありがとう。
って、最終回みたいになったけど、
出産はまだ終わっておらず、赤ちゃんはお腹の中で今もボコボコ動いているのだ。