【観劇メモ】blue egoist…これも作り手の策略か

私は、日本語が好きです。日本語を楽しめる脚本が好きです。そういう意味で、この作品の脚本は私の好みではなかった、と思いました。

「フィクションにされた俺たちのノンフィクション」という歌詞が好きだと思った。
"人と違う"せいで、"本当の自分を隠さないと人間社会で生きていけない"彼らのプロフィールと、そんな彼らが出会い、森へと向かう1幕のストーリー展開はめちゃくちゃ面白かった。

狼男が「フィクション」と曲名を言って音楽が始まる瞬間、「これは夢なのだ」と本能的に思わされて、そのパンチのある衝撃が好きだった。
その後、狼男と鬼の子が視線を交わすのに気づいて、何かが起こる予感がした。それが的中したのもなんだか気持ちよかった。

おそらく、死体が落ちてきた瞬間に夢は終わった。
だからこそ、2幕と1幕で演出もガラリと変わる。そして、作り手が描きたかったものは2幕なのだろうとも、めちゃくちゃ感じた。
だからこそ、2幕の脚本は本当にあれで良かったんですか、となってしまった。これはきっとノットフォーミーだっただけ、なのだとは思うし、もしかすると、それすら「理解できないものに恐怖し、見ようとしない」人間の姿なのかもしれないけど。

狼男が鬼の子にあげた言葉が、鬼の子のあの行動の引き金になったことは理解できる。
結局だれにも認めてもらえなくて、すべては夢で、夢から醒めたら、やっぱり孤独だった。
孤独に戻ったのではなく、はじめからおわりまで孤独だったのだと、似ていると思った彼ら同士でも何ひとつ理解し合えないのだと、ひとりひとりあらためて気づき、それぞれの孤独を抱いて、去ってゆく。
その展開も良いと思った。
でも、そこに至るまでの台詞ひとつひとつがチグハグだったなぁと思って、あんまり楽しめなかった。
私の理解が浅いのかな。

あの出来事があってから手のひら返す大衆、というのはめちゃくちゃ想像できるけど、その具現化としてあの一連のコメントは、私には現実味を感じられなかった。もっと、「恐怖」からくる「不信」と「疑心暗鬼」から、「誹謗中傷」へ繋がっていくものなんじゃないか。
本当に人間を食べたとか本当に狼男だとかまでバレていなくても、舞台上であんなことをするパフォーマーは明らかに「異常」で、そこに対して掌返しの誹謗中傷が溢れる前には、「恐怖」の段階があると思うし、実際そういう台詞もあるのに。
そのリアル感の無さで、薄っぺらく感じて、なんか冷めちゃった。
(あのコメントたちはより普遍的な、日常にありふれた"誹謗中傷"を示しているのでは?という線も考えはしたんだけど、だとしたら1幕の好意的なコメントたちが具体的すぎるし、やっぱりどう考えてもチグハグだと思った。)

さらに、正気に戻らない狼男を取り囲んでの言い争いについても、モヤモヤしてしまった。
なんか、薄くて、退屈に感じた。
せっかく1幕で1人1人について描いてくれた各々の孤独や、夢や、過去。そして本能。似ているようで全然違っていて、だからこそお互いにお互いが怖いし、理解し合えないのだということを、もっとあの言い争いの応酬の中で感じたかった。
鬼の子と狼男と烏はともかく、蜘蛛と吸血鬼と狐に関してはマジでよく分からなかった、わたしは。とくに狐。
あの言い争いって、"本性が剥き出しになる"場面だと思うのに、"本性"な感じがしなかったんだよな。ひとつひとつの台詞に対して、根拠が薄かった。

蜘蛛と吸血鬼と狐がいなくても成立する脚本って駄目じゃないでしょうか。私には成立するように思えてしまった。
6人が出会ったからこそ起きた絶望であってほしかった。
鬼の子と狼男と烏がいれば、あとの3人がいてもいなくても、物語に支障はなくて。
狐と吸血鬼と蜘蛛の言い争いはぜんぶ、取ってつけたような台詞に感じられてしまった。あれ丸々カットしても問題なくない?って思っちゃった。そうなるとめちゃくちゃ退屈でつまんなく感じる。カットしても成り立つなら意味がない時間だもの。
そんな脚本を私は「令和一スタイリッシュ」とは認めたくないです。

(ラストの、「もしかしたらぜんぶ、鬼の子が創り出した幻想なのかも」と思わせる演出は、個人的には好きだったんだけど。
鬼の子が創り出した世界だったなら尚更、6人創り出したことに意味があるはず。6人だったからこそ、あの結末になったはず。鬼の子はきれいな世界にただひとり佇み、それでも目を開けて、世界を見ようとする、そうなる理由がきちんとあったはず……。)

あと、わたしはFC限定公演に行っていないので、撮可がどの場面か存じ上げないのですが、もしラストのカテコだったとしたらちょっとキモいなと思ってしまった。
大枠の主題のあくまで一部としてではあるけど、「何も考えずイケメンを消費しているお前たち」みたいな尖ったメッセージを私は端端から感じ取っていて。
それはそれで良いのですが、そんな尖ったメッセージを突きつけてくるのだったら、エンディングとかカーテンコールまでちゃんと尖っていて欲しかったというか。
わたしカーテンコールで客降りされたら純粋に楽しめなかった気がします。そこまで狙ってるとしたら性格悪いし、狙ってないとしたらちょっと気持ち悪い。
全然客降りカテコじゃなかったら申し訳ないんだけど、客降りを抜きにしても、エンディング、あんまり好きじゃなかったな。
これも取ってつけた感をわたしは感じてしまったので。

あの主題歌だとか、フィクションだとかの歌詞に意味があって、物語の最初に聴くのと最後に聴くのとで印象が変わる…みたいなことは理解できるんだけど。

だとしたら、その歌詞を味わったり、違いを感じられたりするようなエンディングにしてほしいなと思った。1回しか見てないからかもしれないけど、そこを私はあんまり感じることができなかった。

総じて、微妙だった、ノットフォーミーだった、という感想なのに、こんなに長文で書き散らかさせる何らかのエネルギーは受け取ってしまったので、そういう意味ではこれもまた良い観劇体験だったのかも。
そこも含めて、作り手の狙い通りなのかもしれないですね。

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