ジョッキー45º情報刊(23号)
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
先週はJRAにお札様御一行が旅行に行ってしまったウマママンです!
先週は菅原明良騎手が
オニャンコポンで京成杯を制覇!
まさかやるとは…拍手と共に脱帽でした😀
それと、ウマママン的な話題としては
日曜日の中京8Rの3歳1勝クラスの特別戦の梅花賞
5頭立てと少数で出走取り消しなどで
4頭以下の出走となると、それだけでも
2012年8月4日の札幌新馬戦以来の珍事でしたが、まさかホントに放馬して4頭になるとは…🤣🤣🤣
(2012年の4頭立てになったレース)
しかも、三連単がJRA史上最安値となる結末でしたが、皆さん楽しみましたか??
それでは今週のラインナップは…
●今年のスタートダッシュと要注意
●名馬のストーリー
【テイエムオペラオーと和田竜二】
●スポットライト・ジョッキー
(高田潤騎手)
今週は名馬のストーリー。
「世紀末覇王」と呼ばれ、和田竜二の存在を大きくした最強馬
テイエムオペラオーとの【絆】のお話し
そして、今年の勢いについてになります。
今年の頭から開催は約三週分が終わりましたが、イマイチ乗れてない騎手とイケイケの騎手の明暗が分かれて来てますね。
果たして、この後はどうなるのか?
●今年のスタートダッシュ
今年の競馬も始まって、約3週目の開催まで終わりましたが、ここまで絶好調にスタートダッシュを決めた騎手も居れば
「おや?」という騎手に、ちょっと怪しいぞ!という騎手まで居ますので
馬券などの参考になれぱ良いなど思います!
⭕絶好調⭕
⭕川田将雅騎手(13-3-6-14)
今年のスタートダッシュが完璧だったのが川田将雅騎手。
この成績は本当に頼りになりますが、要因としては昨年の秋競馬で
海外遠征での「隔離期間」があって、体調管理としてコンディションを整えられる期間がある程度出来た事。
更にもう一つとしては、秋競馬で国内G1で勝てなかったのもギアを上げてる要因かと思われますが、トップジョッキー達も大人しい期間だからこそ、この本気度は買いたい。
⭕岩田望来騎手(7-2-4-32)
スタートダッシュもさることながら、岩田望来騎手で特筆したかったのは「人気」
ここまで7勝を挙げているが、全て2番人気から8番人気での勝利という事で
配当として、意外にも妙味たっぷりなので
そこそこの実力馬なら狙いたい騎手。
まして、この傾向ならば重賞でも勝てずに人気が落ちた頃などで美味しい重賞初制覇も見えてくる。
未だ世間の評価がイマイチ上がりきらない中で、騎手買いならば評価を上げたい1人。
⭕菅原明良騎手(7-5-6-41)
美浦の新エース、横山武史騎手が不在の中で1人だけ獅子奮迅の活躍をする美浦の騎手が菅原明良騎手。
オニャンコポンでの京成杯勝利も記憶に新しいが、今年は後半のレースでは信頼出来そうな予感。
昨年頃からの傾向で、特別レースでの勝利を掴む事が多く、賞金ハンターとしての特徴が芽生え始めた気がする。
昨年のブレイクが本物であるためにも、今年は是非ともG1で初勝利が観たい。
🔵スローペース
幸英明騎手(2-5-3-39)
昨年は自己ベストとなる成績を残し、
今年な大殺界を抜けて、「さあ!ここから」という年ではありますが、イマイチ好調な滑り出しとは行きませんでした。
金杯の日に1勝・3日間開催で1勝のみと期間内で多く乗る割にはちょっと不安な位、勝てていない。
しばらくは人気馬でのみで信頼してみたいが実力から考えるともっと活躍出来るはず
🔵池添謙一騎手(1-3-2-25)
何となく昨年末から調子が上がってこないのが池添謙一騎手。
今年は1倍台の1番人気での1勝止まりと少し寂しい成績ですが、池添謙一騎手のシーズンはまだ先の春先からのG1シーズンから。
とはいえ、この勝率の低さは少し疑問になるので、まだまだ様子を観てみたい所。
今年のG1初めのフェブラリーステークスまでの成績で判断したい。
☆注目枠☆
☆クリストフ・ルメール騎手(6-1-2-19)
注目の重賞で、凡走するなどイマイチ
成績が悪そうなイメージが付いてるクリストフ・ルメール騎手ですが
意外と平場の成績から、そこまで悪化しては居ない感じ。
ルメール騎手は寒さが苦手という噂もあるので、冬場はもしかして苦手なのかも…??
☆藤岡佑介騎手(4-0-0-11)
ホームランか凡退か。みたいな成績を出しているのが藤岡佑介騎手。
それなりに成績はならされていくと思いますが、1着を取りに行く姿勢は例年以上に乗れてるのかもしれません。
今週の成績を観て、どうか判断もしてみたい。
個人的には「安定感」に欠けた印象があるので、安定性が増していく事を期待したい。
●
今年もまだ始まったばかりなので、今時期に出遅れても調子の具合などでも一気に勝ちだしたりする可能性もあるので、今後も気にして観たいですね。
●名馬のストーリー
不定期連載となっている「名馬のストーリー」
今回紹介する名馬は2000年に【伝説のコンビ】となり、堅い絆で結ばれた人馬
テイエムオペラオー/和田竜二騎手
父はイギリスの競走馬で日本に種牡馬として輸入されたオペラハウス
母:ワンスウエンドの元で、1996年に産まれたのがテイエムオペラオーであった。
この血統では、他の兄弟馬達も勝ち上がる実力はあったものの、当時の父:オペラハウスの血統ではまだ日本で良績を残して居なかっただけに、良血という評価は無かった。
また、馬体のバランスが良かったものの
【これ】といった特徴が無いが為に生産牧場での評価も高くは無かったが
唯一、目を付けたのがテイエムの冠を持つ
馬主の竹園正継氏。
【光輝いて見えている】
という程の直感で惚れ込み、購入を決意。
当時は日本軽種牡馬として輸入されたオペラハウス産駒の牡馬はセリ市に出す義務があった為、1997年の10月に北海道静内町でのセリ市で、竹園に競り合うモノもおらず、スタート額の1000万で競り落とす。
ちなみに、このセリ市ではテイエムオペラオー最大のライバル【メイショウドトウ】も競り合わずに500万で競り落とされている。
馬名の「テイエムオペラオー」とは、
竹園正継氏の冠「テイエム」と父親の「オペラ」、そしてサラブレッドの王という意味が込めた「オー」で成り立っている。
セリ市の後は、岩元市三厩舎の管理馬となり入厩し、主戦騎手として岩元市三厩舎所属騎手でもあった、当時はデビュー3年目の
和田竜二騎手に手綱を託した。
1998年8月15日の京都競馬場の3歳新馬戦
芝1600mでデビューする。
(この時は3歳デビューが基本で、4歳新馬戦まであった)
1番人気に支持されながらも、6馬身差の2着に敗れてしまい、レース後に骨折が見付かった為に約半年間の休養に入ってしまうが
このケガもある意味、テイエムオペラオーにとっては大きな転機でもあった。
テイエムオペラオーは早生まれであり、
デビュー戦も早くに迎えていたが
この夏頃にデビューする競走馬は基本的には後々の短距離・マイル路線に進むのがセオリーだったので、もしケガが無かったら
短距離・マイル路線で本領を見せずに、埋もれていたかもしれないという話もある。
骨折のケガから復帰した2戦目はダートの1400mで4着に敗れるものの
次走の3戦目となる4歳未勝利ダート1800m戦で、5馬身差の圧勝で勝ち上がる事が出来た。
次走からはデビュー戦と同じ芝に舞台を戻すと、1勝クラスの「ゆきやなぎ賞」を勝利すると続くG3の「毎日杯」では4馬身差の圧勝劇となり、3連勝で重賞初制覇。
この毎日杯の時点で、クラシック路線に進む牡馬達の第1次登録(出走希望)は締め切られていたのだが、毎日杯の勝ち方を見た周囲から
「皐月賞に出走すれば、勝てる!」と推され
熱意に推される形で、追加登録料200万を支払って皐月賞へ参戦する運びとなる。
皐月賞では、武豊騎手が乗る良血馬「アドマイヤベガ」や重賞2連勝中の「ナリタトップロード」などの実績十分な牡馬が揃った事もあり、テイエムオペラオーと和田竜二騎手は5番人気(単勝11.1倍)で出走。
最後の直線で中団から、次元の違う末脚を爆発させ、一気に差し切り勝利を収め
史上初の追加登録からのクラシックホースとなったと同時に岩元市三調教師・和田竜二騎手の初G1制覇となり、前週に和田竜二騎手と同期の福永祐一騎手が桜花賞を初制覇していたので、競馬学校12期生のG1レース連勝ともなった。
しかし、ここから我慢の日々が続く。
皐月賞馬となり、2冠目となる日本ダービーには武豊騎手のアドマイヤベガ
皐月賞1番人気だったナリタトップロードと並ぶ3強の一角として出走。
鞍上の和田竜二騎手が21歳という事もあり制覇となれば、史上最年少でのダービー制覇だったが、レースは早めに抜けだし、ナリタトップロードとテイエムオペラオーが競り合う展開となったが、最後は武豊騎手のアドマイヤベガが2頭を抜き去り、テイエムオペラオーは3着に惜敗する。
夏は休養を挟んで、挑んだ秋の初戦
古馬も出走するG2「京都大賞典」で1番人気で凡走したスペシャルウィークを警戒しすぎてしまい、3着。
そして、クラシック最終戦の菊花賞では後方からの差し切りを狙うが、ナリタトップロードを交わしきれず、2着に敗れる。
更にこの菊花賞が、波乱を呼んだ
菊花賞の敗戦後、あまりの不甲斐なさに激怒した馬主の竹園正継氏は
岩元市三厩舎に対して、「騎手の乗り変わり」を提言する。
当時からG1に勝てるような一流の競走馬にはリーディング上位の騎手を乗せる風潮であり、
「勝てる逸材でもあったテイエムオペラオーにリーディング上位でも無い、若手騎手の和田竜二騎手を乗せているから、G1で勝てない」
と提言し、竹園正継氏は当時、最高峰の騎手だった武豊騎手への騎手変更を希望したが
和田竜二騎手の所属先でもある岩元市三調教師は、
「和田を漢にしてやりたい。
どうしても乗り換えて欲しいならば、転厩して頂くしか無い」
と竹園正継氏を説得し、竹園氏が半ば折れた形だったが、年末頃に
この件を了承し、次走も和田竜二騎手が手綱を握る事となった。
話し合いの最中には、テイエムオペラオーとこの年の有馬記念に出走し
グラスワンダー・スペシャルウィークにタイム差無しの3着となる。
そして、この頃からテイエムオペラオーに「本格化」の兆しで、充実ぶりを見せ始めてきていたのと
この「乗り換え」に関しての一部始終を知っていた和田竜二騎手としても
「負けられない」という意志が強くなっていた。
そして、迎えた2000年。
テイエムオペラオーと和田竜二騎手の快進撃が始まる。
2000年の初戦はG2の京都記念で皐月賞以来の勝利を上げると
天皇賞・春へのトライアルレースでもあるG2阪神大賞典は古馬も出走する中で、テイエムオペラオー世代で掲示板を独占。
勝利したテイエムオペラオーと、2・3着になったナリタトップロード・ラスカルスズカでのワイドが全て1.0倍の元払いとなる珍事も発生した。
トライアルレースを制し、満を持して出走した天皇賞・春も完勝。
その後、有馬記念でテイエムオペラオーが敗れた相手、グラスワンダーも出走する宝塚記念に照準を合わせる。
宝塚記念は、最内枠のテイエムオペラオーの仕掛け遅れがあったものの、大外からまとめて差しきる豪快な勝ち切りを見せる。
この時、ライバルだったグラスワンダーは道中で骨折していて6着で引退。
メイショウドトウは金鯱賞を制したばかりの伏兵だったが2着と奮闘した。
夏場は休養を挟み、秋は昨年同様に京都大賞典から始動。
G2のハンデ戦で、負担重量59.0kgを背負い
超スローペースからの上がり勝負だったが
テイエムオペラオーと和田竜二騎手は【鞭を使わず】に上がり3Fを33.3秒という
異次元の強さを見せ付けて、天皇賞・秋への出走を決める。
当時、天皇賞・秋は1988年以降から1番人気が勝てないというジンクスがあり
1番人気で1着入線したメジロマックイーンも審議で降着になったり
サイレンススズカが競走中止となったりと1番人気へのトラブルが多いことから
「魔物が棲む」とまで言われていた。
更に鞍上の和田竜二騎手は東京競馬場での勝利経験が無いことも重なり、不安視されながらの1番人気となったが
テイエムオペラオーと和田竜二騎手はそんなジンクスを打ち破り、天皇賞・秋13年振りの1番人気の勝利を勝ち取った。
天皇賞を制覇したテイエムオペラオーは
次走はジャパンカップに出走。
このジャパンカップでは1つ下の世代の
ダービー馬やオークス馬なども出走する中
当時の単勝支持率レコードとなるオッズ1.5倍の支持を獲得。
レースはメイショウドトウとアメリカからの招待馬ファンタスティックライトの猛追を振り切って1着で勝利。
レース後にはファンタスティックライトの鞍上、デットーリ騎手から和田竜二騎手に対して賞賛のハイタッチをする珍しいシーンがあった。
これで古馬中長距離G1完全制覇にリーチをかけ、中長距離G1最終戦【有馬記念】に出走を決めるが、有馬記念当日の朝にある事件が起きる。
暴れていた他馬を見て興奮したテイエムオペラオーは、興奮のあまり壁に顔面を強打。
この事で顔面は腫れ上がって片目しか見えず、鼻血も伴うケガだったが
岩元市三調教師は出走する事を決断する。
馬は口呼吸が出来ず、鼻呼吸しか出来ないので
鼻血によって窒息する事もある。
更には、テイエムオペラオーの快進撃は他の出走馬たちからの標的にもなり
とある関係者からは「テイエムオペラオーに勝たせるな」という指示もあったという噂通り、レースが始まると
テイエムオペラオーの進路を囲むように馬群を形成し、スタンドからも「ふざけるな!」とヤジが飛ぶほどの【完全包囲】
最終コーナーでは後方3番手。
馬群の中で外にも動けず、完全に押さえ込まれていたが、最後の直線では馬群を切り裂きライバルのメイショウドトウと並ぶようにして1着でゴール板を駆け抜けた。
当日のアクシデントやレースの展開からしても勝てる見込みが無かったが、
テイエムオペラオーと和田竜二騎手の追い求めた勝利への想いが見せた【奇跡】だった。
これにより、2000年はG2以上を戦い抜き
8戦8勝と文句なしの強さ。
その内、G1レース5連勝という大記録を打ち立てた。
翌年には天皇賞・春を制してG1レースは6連勝と星を伸ばすが、それ以降は勝ち星に恵まれず、2001年の有馬記念で引退し、種牡馬入りとなった。
鞍上を新馬戦から勤めた和田竜二騎手は
「オペラオーには色々、見せて貰ったが自分は何も返せていない。
今度は自分の力でG1を勝てる一流になったらオペラオーに会いに行きます」
と和田竜二騎手としての決意表明をテイエムオペラオーに示し、G1レースを勝てる一流騎手になるまで会わないと決めていた。
しかし、その後17年間。
和田竜二騎手は重賞でも勝利を挙げていたが
G1レースは勝てずに時は流れていき
テイエムオペラオーは、和田竜二騎手に
会うこと無く、2018年の5月にこの世を去った
そして、その1ヶ月後の宝塚記念で
和田竜二騎手はテイエムオペラオーと制覇して以来、17年ぶりのG1制覇を果たす。
この時、勝利した和田竜二騎手は奇しくも
テイエムオペラオーのG1連勝が止まった
宝塚記念と全く同じの「2枠4番」
インタビューで、和田竜二騎手は
「最後の直線でオペラオーが、背中を押してくれたんだと思います。」
と目を潤ませ、テイエムオペラオーへの感謝を告げた。
その後、G1制覇の報告をテイエムオペラオーの墓前に行った。
引退後、会うことは無かったものの最強の名馬と若い熱血漢の伝説は薄れること無く、語り継がれて行く。
●スポットライト・ジョッキー
今週のスポットライト・ジョッキーは
初の障害レースの騎手!
競馬界のお祭り男にして、熱い男
高田潤騎手
生年月日 1980/11/3
身長 165cm
血液型 B型
星座 さそり座
出身地 大阪府
競馬学校15期生
大阪府出身の高田潤騎手が、騎手を目指したきっかけとなったのは中学2年の時。
テレビに映ったナリタブライアンが勝利した菊花賞を観て、興奮したのが全ての始まり。
1997年に競馬学校の15期生として入学。
同期生には北村宏司騎手が居て、卒業時の文集には「有馬記念と中山大障害を制覇する」と大きな目標を描いていた。
1999年に栗東・松田博資厩舎所属騎手として3月6日の中京競馬1Rのヤマカツロバリーの14頭中7着がデビュー戦。
初勝利を挙げたのは、6月12日の中京競馬場1Rのエアウィンスレット。
ちなみに、6月5日の中京5Rのダート1000m戦で2度の落馬をしながらも完走するという
珍しい記録を持っている。
(完走タイムは3分6秒でブービーと2分差)
しかし、ルーキーでも年間5勝に終わり
騎手としての幅を広げる機会として2000年からは障害レースにも騎乗を始める。
始めてすぐの2000年1月には京都競馬場5Rの4歳以上OPクラスをマキシマムプレイズで逃げ切り障害レース初勝利。
翌年の2001年にはJpnG3の小倉サマージャンプで障害レース重賞初制覇を果たすと
JpnG3の阪神ジャンプS・東京オータムジャンプ、JpnG2の京都ハイジャンプと
重賞4勝の大活躍を見せ、一躍障害レース界のホープとして台頭し始める。
それに加えて、馬の扱い方には定評があり
競馬関係者からは調教の上手さなら「天才」と称されていて
「調教名人」・「仕上げのプロ」と呼ばれていたのもあり、勝ち星は少なくても周囲からの信頼感が落ちることは少なかった。
メインでは障害レースに騎乗するも、平地での夢も追い求めていた高田潤騎手。
そして、2006年に高田潤騎手にとっても忘れられない年となる。
まずはクラシックG1【皐月賞】
そこに出走したドリームパスポートには
当時短期免許で来日していたミルコ・デムーロ騎手が騎乗予定だったのだが、
騎乗停止処分を受けた為、代役として
新馬戦・京都2歳Sと騎乗し、勝利こそ無かったが好走していた高田潤騎手に白羽の矢が立った。
本職は障害レースの騎手であり、ミルコ・デムーロ騎手が乗るほどの素質馬とはいえ、重賞での戦績が無い高田潤騎手という事で世間の評価は低く、10番人気となるが
レースは1着のメイショウサムソンに1/2馬身差に迫る2着と大健闘。
クラシックG1戦線の一角として名乗りを上げる存在となった。
更に、高田潤騎手は同じ週に行われた障害レースのG1「中山グランドジャンプ」にも騎乗し、【同一週の障害・平地G1騎乗】を記録した唯一の騎手となった。
そして、もう1つのレースが
2006年9月24日のG2【神戸新聞杯】
こちらも騎乗したのは皐月賞でも好走した
ドリームパスポートだった。
この神戸新聞杯は皐月賞・日本ダービーと勝ち上がった2冠馬で世代最強のメイショウサムソンに対抗するべく各陣営は万全の体制で挑むのだが、
ドリームパスポートは鞍上が固定されてなかった為、皐月賞でメイショウサムソンに肉薄出来た高田潤騎手に鞍上を託した。
当日はメイショウサムソンが1.6倍の1番人気で高田潤騎手が乗るドリームパスポートは8.6倍の3番人気となった。
レースでは4コーナーでメイショウサムソンなど有力馬達をまとめて外から差し切り
初の平地重賞初制覇を成し遂げた。
世代最強のメイショウサムソンに対しての勝利、そして自身としても夢に観た平地重賞初制覇にレース後、高田潤騎手の男泣きにファンの心に残るレースとなった。
しかし、ドリームパスポート絡みでは翌年にはちょっとした話題を呼ぶ事となる。
翌年の有馬記念に出走したドリームパスポートの鞍上には管理している松田調教師の計らいにより、この年
障害レースでの落馬事故で戦線離脱をした期間もあり、未勝利だった高田潤騎手に鞍上を任せたのだが、有馬記念の鞍上に未勝利の騎手を乗せる事態が前代未聞だった為
スポーツ新聞などでは「夢のパスポートを高田潤に!」と持てはやしたのだが
有馬記念6着となり、高田潤騎手は2007年は未勝利で1年を終えた。
本職の障害レースでも、高田潤騎手は成績を残し続け、2008年には目標だった中山大障害をキングジョイで初制覇。
2010年には新潟ジャンプステークスを制覇した事で障害レース重賞全6場
(中山・東京・京都・阪神・小倉・新潟)
完全制覇を成し遂げる。
障害レース重賞完全制覇は高田潤騎手が初。
2013年には障害リーディングジョッキーの座に輝き、2015年にはフランスの障害レースに初出走するなど、障害レースの次代騎手として様々な活躍を魅せている。
しかし、2021年に高田潤騎手は9月20日の障害レースを勝利後、くも膜下出血で緊急入院となり病魔に襲われたが、無事に復帰し
11月14日の福島で戦列に復帰し、見事1着で復活勝利を収めた。
そんな高田潤騎手ですが、
ファンを大事にしていて、ファンサービスは欠かさずに行い、ファン感謝祭などでは
アフロにグラサン姿は定番で、若手騎手が競争する【ジョッキースプリント】ではネタ枠として必ず参加している事で
宴会向きな性格だが、実は下戸でアルコールは全く吞めない。
また、TUBEのファンでカラオケの十八番は【虹になりたい】をよく熱唱していて
TUBEメンバーとも交流があり、前田亘輝さんの所有馬でもある「ノブアルコバレール」は高田潤騎手が命名した。
2012年にはタレントの藤村えみりさんと結婚し、一男一女の父親。
また、引退馬支援にも力を入れていて
和田竜二騎手などと一緒に支援活躍にも尽力している
障害レースでも平地でも活躍した高田潤騎手の次なる目標は
中山グランドジャンプ制覇
障害レースで唯一まだ制覇していない中山グランドジャンプ。
次代を担う1人として、目指すは中山グランドジャンプの制覇ともう一度、障害レースリーディングジョッキーの座。
目指す先はまだまだ通過点。障害レースのように軽々と飛越していけるハズ。
病魔も酸いも甘いも体感した高田潤騎手を応援しましょう!
次回のスポットライト・ジョッキーは
矢作厩舎期待の若手騎手
坂井瑠星騎手
にスポットライトを当てていきます。
来週もよろしくお願い致します🙇🙇🙇
~あとがき~
今週もお読み頂き、ありがとうございます。
今度の日曜日には、ヤスアジTVの企画
星人毎に単勝100円での勝負で、どの星人が競馬最強なのかを決める【S-1グランプリ】の3回目の開催がありますね!
ウマママンは、天王星人なんで勝負力は弱いようですが全力で勝ちに行きます!🤣
(S-1グランプリの概要が乗ってます)
後は、お兄ちゃんネルさんでの川田将雅騎手と焚き火を囲んでのトークも
厳しくない川田将雅騎手を観れて、個人的には大満足な動画でした!
そんな所で今週の競馬も頑張りましょう💪
皆様の馬券ライフが素晴らしいものになる事をお祈りしております!
WIN5だって的中が舞い込んできます!
今週も楽しく頑張りましょう❗❗🔥
来週もよろしくお願い致します。
~ウマママン~
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