月曜日の盗難(ショートショート)
赤川はある食品会社の営業所に勤務していた。
その営業所の2階は独身寮、その上の階は社宅となっていて、赤川は独身寮に住んでいた。仕事は長時間労働の営業で、赤川が仕事を終え2階の独身寮にたどり着くのは毎日深夜12時ごろだった。
独身寮には3人が住んでいた。社宅1軒分の廊下で隔てられた引き戸の3部屋がそれぞれに割り当てられた。
赤川は窓のある奥の左部屋。同僚の富田はおなじく窓のある奥の右部屋。そして窓のない手前の右部屋には以前中途で入社してきた同年齢の吉田が住んでいた。
独身なので1部屋で十分だったが、年号が平成に変わったばかりの独身寮には鍵がついていなかった。
赤川は最近、部屋に置いた競馬用の財布からお金が盗まれているのに気づいた。鍵の付いてない自分の部屋に富田か吉田が入っているに違いないと思った。
日曜、ちょうど真上の3階の社宅に住んでいる所長宅のベランダから干していた敷布団が落ち、赤川の部屋の大きなベランダに落ちた。所長の奥さんが赤川の部屋へ布団を取りにきたのだが、150cmあるかないかの華奢な体で敷布団を運ぶのは重そうだと感じ、赤川が所長宅まで運んでやった。
すると、お茶でも飲んでいきなさいと奥さんに言われ、お言葉に甘えることにする。
大柄な所長がダイニングテーブルの奥に座り、赤川が手前に座った。
「ありがとう。それより赤川、お金出てきたか?」
「所長、それが全然出てきません」
「そうか。いよいよ警察に頼むしかないか。警察沙汰にはしたくないんだが」
「はい、それではもうちょっと様子を見てみます。今回は競馬で当てた2万円ですから」
「うん、そうだな。ありがとう。なんとか俺も協力するから」
奥さんが所長と赤川の目の前にお茶を置きながら、か細い声でつぶやいた。
「赤川さんがまた競馬で当てたぞ、ってうちの主人がお昼を食べに営業所からここへ上がってきてはよく話をするんです。すごいですね。今度連れて行ってほしいわ。主人とパチンコ行っても負けてばかりだし」
赤川は頭をかいた。
「そうですか」
「それよりあなた、そろそろ独身寮にも鍵をつけないといけないんじゃない」
「そうなんだけど、うちの会社の全国の独身寮にまだ鍵をつけている営業所なんてないんだ」
赤川はお茶を一口飲んでテーブルに置いた。
「疑いたくないけど、やはり富田か吉田が盗んだと思うんです。いつも得意先の少ないあいつらのほうが上がるのが早いから。とくに早いのが富田で、しかも富田は前の営業所でほかの社員のお金を盗んだって噂があるし」
「ああ、あれはあくまでも噂な。本当のところはわからない。富田も吉田も俺の部下だから信じてやりたいんだが・・・。とはいえ、俺も今後はより一層注意深く観察してみるから」
「はい、お願いします」
赤川は富田か吉田かどちらが犯人なのか、自分で真相をつかんでみようと思った。
そこで、ある仕掛けを思いつき、実行することにした。
自分の部屋に入るには引き戸を引くのだが、その引き戸が結構重くて滑りも悪い。
つまり引き戸は手で開けたところ以上に滑っていかないのだ。
部屋の内側に戸のレールがあり、ストッパーの手前のレールに沿って平行にマッチ箱を置き、その上にレールと垂直に交わるようにマッチ棒の頭を突き出して1本置いた。
そして、おなじようにマッチ箱とマッチをもうひとつ、ストッパーのかなり手前に置いた。
富田は身長180cmで体重90kgの大柄。それに対し、吉田は160cmあるかないかでスリムな体型だ。
つまり、赤川の部屋へスリムな吉田が入るときは引き戸の3分の2程度までしか開けなくても入れる。その際は、手前のマッチ棒は引き戸に当たりレールに平行になるが、奥のマッチ棒には届かないので垂直を保ったままになるはずだ。
一方、大柄な富田が部屋へ入るには、引き戸をほぼ全開にしないと入れないため、マッチ棒は2本ともレールに平行になっているはずだ。
赤川は仕掛けを設定してそれらに当てないように極力引き戸を開けずに体を横にして戸の外に出て仕事に出かける。
仕事が終わると、身長175cmのスリム体型でも、息を吸って腹を引っ込め、朝出社するときのように赤川は引き戸をわずかしか開けず蟹の横歩きのように体を横にして自分の部屋へ入った。
これできっと犯人がどちらか判明するはずだと赤川は期待した。
月曜朝、赤川は営業所を出る前の準備をしていた。
そこへ富田と吉田がやってきた。
富田が大きな声で叫んだ。
「赤川、きのうの万馬券も獲ったんだって!」
「うん」
「いくら獲ったんだ」
「3万だ」
「すげーな」
吉田も割り込んできた。
「すげー、おごってくれよ」
「やだよ」
「ケチだなあ」
「ハハハ」
富田が大笑いしている。横にいた所長も笑っていた。
その夜8時、富田と吉田の二人はおつかれさま、と言いながら営業所を出て行った。
赤川はこの日も仕事を終えたのが12時だった。
寮へ上がり、玄関を開けると、右側2部屋からテレビの音が聞こえる。赤川はそっと小さく自分の部屋の引き戸を開け、息を吸って腹を引っ込め、蟹の横歩きのように体を横にして自分の部屋へ入った。
「マッチ棒が2つとも平行になってる」
赤川は心の中でつぶやいた。
競馬用財布をのぞいてみると、空だった。
「3万円やられた」
富田に違いないと、赤川は思った。
吉田なら富田もすでに部屋にいるので、バタンと音がするほど引き戸を豪快に開けるわけにいかない。こっそり両手で戸を開けて入るはずだ。だから奥のマッチ棒には届かない。それが、二つともレールに平行になっている。やはり富田に違いない。あいつのガタイはこっそり入っても戸はほぼ全開にしないと入れないからな。
頭にきて、富田に問い詰めようとした。しかし、ちゃんとしたしっぽをつかむまでは勇み足になると思い、自重した。赤川は自分の手で証拠をつかみたかった。
しかし、所長には報告しようと思い、翌日営業所で2人きりになり話をした。
「また、やられました。きっと富田だと思います」
「あれか、この前言ってたマッチ棒だな。奥のマッチ棒も並行になってたか」
「はい、二人同時に寮に上がったので、犯人じゃないほうにも気づかれないようにこっそり行動するはずです。だから吉田だったら部屋を出入りしても奥のマッチ棒まで届かないはずです」
「なるほどそうか」
「所長、ほかにいいこと思いついたんです」
「なんだ」
赤川は思いついた妙案を所長に話した。
さらに後日、所長には内緒で警察にも相談に行った。
警察ではちょうど業者が小さな室内用防犯カメラのサンプルを置いて行ったので、ためしに1か月これつけてみては、とススメられた。ただし、警察のモニターでしか再生できないため、事件が起きたら警察に行って再生してもらうことにした。防犯カメラはベランダに通じる窓の上の壁に設置した。
赤川は、同時に自分の妙案も遂行することにした。自分で犯人を捕まえたい気持ちが高まっていた。
月曜朝、営業所の外で車の点検をしていると、吉田がやって来た。
「赤川、きのうも獲ったのか」
「おお」
「いくらだ」
「8万だ」
「おまえは天才だな。おれ、パチンコでやられてばっかりだよ。今度飲みに行こうぜ」
「覚えていたらな」
「じゃあ行ってきます」
吉田はそう言うと、車で営業所を出た。
赤川は車の点検が終わり、営業所に戻って書類を整理した。
そこへ今度は富田がやって来た。
「赤川、まさかまた獲ったわけねえな」
「獲ったよ」
「マジかよ。いくら?」
「4万だ」
「おまえ、すげーな、ほんとに。今度俺に教えてくれよ」
「やなこった!」
所長が横で薄ら笑いをしていた。
夜8時、「おさきに」と言いながら先に富田が営業所を出て行った。
夜9時、今度は遅れて吉田が営業所をあとにした。
夜11時、赤川が仕事を終え、営業所を出た。
寮へ上がり、玄関を開けると、右側2部屋からテレビの音が聞こえる。赤川はそっと小さく自分の部屋の引き戸を開け、息を吸って腹を引っ込め、蟹の横歩きのように体を横にして自分の部屋へ入った。
「マッチ棒が2つとも平行になってる。やっぱり富田か。もっと証拠があるんだよ」
赤川は心の中でつぶやいた。
今回はお金を競馬用財布には隠していなかった。競馬用財布の横には英和辞典が正面を上にして置いてあった。その辞典のケースを恐る恐る開けて見た。
ない。4万円が消えていた。今回は4万円を辞典とケースの間に挟んで隠しておいたのだ。
そして、ケースを下に置き、辞典を開いてみた。
あった。
やはり、富田だ。
そこにはページの間に1万円ずつもう4万円を挟んで隠しておいたのだ。
朝方、吉田には8万円獲ったと伝えた。
犯人が吉田ならば、辞典とケースの間に4万円見つけても、もう4万円を探すはずだ。辞典の中のページもきっとペラペラめくるはず。しかし、ページの間に挟んだ4万円が残っている。ということは、朝方4万円獲ったと伝えた富田が犯人に違いない。ケースの中に4万円を見つけたらそれだけポケットに入れて、それ以上探さないだろう。
赤川が思いついた妙案とはこのことだった。
よし、きょうこそ富田を警察に突き出してやる。
赤川はまず、夜の11時過ぎに3階の所長宅へ出向き、2人で事の真相を語った。警察沙汰にしてほしくなかった所長も観念し、赤川は所長と一緒に富田を警察に突き出そうとした。
二人で富田の部屋へ入る。
赤川が叫んだ。
「泥棒はおまえだったのか!」
「富田、観念しろ。盗んだ4万円をここに出しなさい」
富田の重そうな二重まぶたの目が、一瞬にしてこぼれ落ちそうなくらい大きくなった。
「なんのことだよ、知らねえよ」
「嘘言うな。おまえがやったに違いないんだよ」
「ふざけんなよ。人を犯人呼ばわりすんな」
ラチが明かないので、赤川と所長は富田を警察に連れて行った。
富田も開き直ったか、警察で証明してやるぜ、と意気込んでいた。
赤川は自信を深めていた。自分の仕掛けは万全だと思った。
所長も赤川の妙案には説得力があると思っていた。
三人が警察に乗り込んだ。
幸いにも、小さな室内用防犯カメラのサンプルを貸してくれた担当の警察官も勤務中で、一緒に立ち会ってくれた。
富田はまだ観念しないのか、モニターの前に陣取った。
その両側に赤川と所長が立った。
警察官が防犯カメラを再生し始めた。
そこに映っていたのは・・・・
競馬用財布を開けたが何も入っていなかったため、そこへ置いた。
所長の奥さんが・・・
次に辞典のケースをずらしてそこにあった4万円をジーンズのポケットに入れる所長の奥さんがいる。そそくさと辞典をケースにしまい、映像から消えた。再び映像に映った奥さんは敷布団を胸に抱えながら引き戸を引いて横向きで出ようとしたが、布団が邪魔で出られず引き戸を全開にして部屋の外へ出て、戸を閉めた。
赤川はただ茫然とモニターを見ているだけだった。所長は顔が青白くなり、口が開いたままだった。富田は所長を睨みつけていた。
後日、所長の奥さんは逮捕された。
「お昼を食べに社宅へ上がってくるだんなに赤川さんが競馬で4万円獲ったと聞かされ、布団をわざと2階のベランダに落として取りに行くふりをして盗んだ。お金はパチンコにつぎ込んだ」と供述した。