環境・地域・都市・社会運動などの読書記録・その3
例によって全体的に読んだ(目を通した)本の記録だけ残しておきたい。ぼーっとしてたら3月後半になっていて怖い……。
「地域社会学」「都市社会学」「環境社会学」のタグを使っている人があまりいなくて少しかなしい。
・木原啓吉,1982,『歴史的環境――保存と再生』岩波書店.
一読しての印象として、「歴史的環境」という概念は、国際組織の概念規定に基づいているように感じた。個々の文化財だけでなく、文化財をとりまく生活環境をどう保全・保存するか。1964年のベネチア憲章では「歴史的記念物」、1976年のユネスコ勧告では「歴史地区」という言葉が用いられている。日本でも新全総のなかに「歴史的環境の保存の必要性」は位置づけられている(p47)。このような「歴史的環境」概念の形成や定着にあたっては、国際組織や国土開発の動きだけでなく、住民運動の展開ももちろん大きく関与している。
興味深いエピソードとして、ポーランド・ワルシャワの歴史的環境の復元を挙げたい。ポーランドの国民は「戦後一貫して住宅など生活水準の向上に向けるのと同等の関心を、地域の歴史的環境の復元に示しつづけてきた」のである(p100)。その際、戦災からの歴史的環境の復興・復元において大きな役割を果たしたのは、文化財修復公社PKZである。歴史的町並み・歴史的環境を保存するための多くの専門家・専門技術者を抱えた(当時としては日本と比して)充実した組織であった。コペルニクス大学という大学の美術学部では上記専門家・専門技術者の養成と「保存科学」の研究がおこなわれているという。
もう一点。長野県妻籠宿の歴史的環境の保存について、その運動の始まりが、ドイツ語の研究者として著名な関口存男と社会学者の米林富男(検索したらアダム・スミスの翻訳があった)の疎開にあったとまとめられている(p109)(なお、太田博太郎(建築史)の関与も大きいが、上記2人の疎開経験とは時期がずれている)。特に米林の「社会教育への情熱」とは今で言うところのアウトリーチ活動にあたるだろうか。いわゆる当時の「知識人」の疎開経験の一端を垣間見た気がする。
・隅谷三喜男,[1966] 2011,『賀川豊彦』岩波書店.
別箇所でつぶやいたメモを再利用。賀川は労働運動、農民運動などの種まきはうまいが、当時の左派との路線の食い違いもあり、身を投じた各運動から撤退せざるをえない状況に陥ってしまう。このあたりの記述は、解説の小林正弥も述べているとおり、隅谷が労働経済学者であることも相まって、「賀川の労働運動、農民運動などとの関わりについては、極めて明確で明快な論述がなされて」おり、「「救貧運動→労働運動→農民運動→協同組合運動」という時期的な力点の変遷と、その理由については、本書を読めばその大要は充分に把握することができる」(p236)。
外在的な疑問でやはり気になってしまうのは、隅谷自身なぜ賀川を取り上げようと思ったのか、そのモチベーションである。もちろんあとがきには同書の成立背景(「明治学院大学における賀川記念講演」)が述べられてはいるが。隅谷自身のキリスト教、平和運動への取り組みも関係するのだろうか。そもそも論ではあるが、「積極的に評価されて然るべきなのにそうなってはいないので取り上げる」という思いはにじみ出ているので、あれこれ推測してもあまり意味はない。また、隅谷自身は一億総懺悔とか戦後の運動をどう考え、評価していたのかも気になるところである。
細かい点だが、「東の大杉栄、西の賀川豊彦」という当時の社会運動における勢力図や人物同士の距離感といったコンテクストについては(この方面に不案内なこともあり)とてもおもしろく感じた。
・吉原直樹,2018,『都市社会学――歴史・思想・コミュニティ』東京大学出版会.
手短に。シカゴ学派から新都市社会学、そして移動の社会学に至るまでの流れを押さえるための一冊。ただ理論的な話がなかなか込み入っているので、当座、現代の都市の抱える課題について書かれている第3部の9章・10章・11章から読んだ方がわかりやすいのかもしれない。
・水内俊雄編,2005,『空間の政治地理』朝倉書店.
「シリーズ人文地理学」の第4巻。第8章「地理学における空間の思想史」では、章題のとおり、地理思想における「空間」概念の展開がコンパクトにまとめられている。「空間論的転回」の文脈などを把握する際に一読しても良いと思う。(あわせて2章のマルチ・スケールに基づく(実際の政治状況などと不可分な)方法論もおさえておくと良いのだろう。)
第4章「社会運動論と政治地理学」は、社会学の社会運動論を参照しつつも、地理学における公害反対運動の事例研究・実証研究の可能性を探るものであり、「場所の政治」研究などが取り上げられている(そのなかで、「ミクロな地域的差異」が公害反対運動の展開や対応に影響を及ぼしていることがみえてくる)。
・淺野敏久・中島弘二,2013,『自然の社会地理』海青社.
「ネイチャー・アンド・ソサエティ研究」というシリーズの第5巻。第1巻「自然と人間の環境史」、第2巻「生き物文化の地理学」、第3巻「身体と生存の文化生態」、第4巻「資源と生業の地理学」。余裕ができたら全巻揃えておきたい。地理学と社会学の接点をより意識して勉強したい。なお、海青社は地理学に強い出版社っぽい。https://www.kaiseisha-press.ne.jp/
第2章「原生自然の保全・保護と人種」で興味深かった点。アメリカの国立公園局と先住民との対立について。「国立公園」を指定した結果として、先住民は「不法占拠者」としてみなされることになる。その後、長い時間を経て、「原生自然」ではなく先住民族の「歴史的な生活圏」として同公園の空間が見直され、公園局と先住民族が協同して公園を管理していく流れとなる。ここまでは良いとして、その後の動向がさらに重要になる。公園の協同管理に至って、部族内での政治対立が生じるのである(pp.84)。THE人間の業……。
連邦政府が同部族を承認し、居留地という土地基盤が確立したことは、アメリカ社会や政治経済構造における部族の位置づけを根本から変えた。部族には経済開発の選択肢が突如として広がり、今までは縁のなかった多額の金が舞い込む可能性が出てきたのである。これを契機に、居留地外に住む部族員も積極的に意見を表明するようになった。(同p84)
すべての章に言及できないが、他にも環境運動、開発問題関連の論稿が種々収められており勉強になる。
なお、上記2冊については、『空間の政治地理』第5章「「自然」の地理学」、『自然の社会地理』序章「自然の地理学」が「自然」概念の整理(特に個人的な関心としては「自然」の社会的構成・「自然の生産」)にとって有益である。
・舩橋晴俊・古川彰編著,1999,『環境社会学入門――環境問題研究の理論と技法』文化書房博文社.
第1章で環境社会学における調査と理論という、基本的には中範囲の理論に基づく「調査を通しての理論形成」の話がなされているのは、割と同書の大きな色になっているように思う。
第7章「環境社会学における定量的調査」も本書の特色であり、とりわけ卒論の水準でどのような工夫をすれば良いかという話や、統計分析の具体的な流れ(pp.229-31)を示してくれている点はありがたい(この分析をしたいときは数量化1類~3類、パス解析などのどれを使えば良いか、など)。
文献紹介も、文献表だけでなく、各文献の一言概要が添えられており、大変ありがたい。
・張楓編著,2020,『備後福山の社会経済史――地域がつくる産業・産業がつくる地域』日本経済評論社.
ようやく入手して一読。序章・終章に述べられているが、同書の狙いは、福山市=製鉄(NKK→JFE)の企業城下町という図式や枠組みに対して再考を促す(あるいはその枠組みによって見過ごされてきた歴史を拾う)点にある。これは蓮見・似田貝福山調査の知見を再考する試みでもあるように感じた(ただし、国土開発の過程で福山がどのような位置づけなのか、開発のなかで国と自治体の関係性はどのようなものなのか、という点は複眼的に意識しても良いとは思う。今手元に福山調査の本が無いのでなんとも言えないところはあるが。)
本書から導ける結論の第1は、「企業城下町」類型とは明らかに異なり、多様な産業・企業と地域が長期にわたって相互に働きかけ、作用し合うという「相互作用関係」のなかで地域経済の展開をとらえられるということである。(p374)
各個別の章は経済史の作法や手続きに則って論述や分析が進められており、「経済史ではこういう資料・史料を用いるのか」という点で非常に参考になった。同時に、史料へのアクセス手段を確保することや、研究グループのなかで学ぶことがやはり大事そうだという思いを新たにした。
各章の知見も興味深く、いずれ機会があればレジュメを切ってひとり合評会をしたい(そごう誘致から撤退に至るまでの駅前振興のすれ違い、NKK社員寮があった伊勢丘は実際にどの程度地域の商業やコミュニティ形成に影響を与えたのか、鞆の浦観光の展開、「地域デザイン」の振興と衰退など)。
余談だが、なんとなく、この前読んだ北島滋の著作で描かれていた地域構造分析批判から北海道の家具工業の内発的発展を検討する構成を思い出した。張編2020もまた、地域の内発的発展を描くものなのではないか(そもそも内発的発展の意味合いを自分自身あまり把握できていないが)。