初めてのスコットランド…そして20年後の驚き
ロンドン発の夜行列車は、朝８時にグラスゴー・セントラルステーションに到着した。
すぐ、キャロラインの実家に電話をした。でも誰も出ない。何度も電話をしたけど誰も出ないんです。少し不安になってきた。初めてやって来たスコットランド、今夜泊まるところがなかったらどうしよう？
駅の案内所でもらった地図を頼りに、グラスゴー大学近くの彼女の家まで歩いて行った。グラスゴー大学の教会の脇を通り、キャロラインの実家を見つけた時はとても嬉しかった。でもその時、二年後にぼくがこの教会で結婚式をあげることになるなんて、もう夢にも思わなかったですけど…
初めてスコットランドの地を踏んだのは1980年夏のことでした。その二年前に東京で知り合ったグラスゴー生まれのキャロラインが故郷に帰る時、ぼくに「グラスゴーに遊びに来たら？」
で、その誘いに乗ったと言うわけなんです。
その時、その後、スコットランドがぼくの第二の故郷になるなんてつゆとも知らず… 当時のぼくにとって、スコットランドって、地球の裏側の、そう、ネッシーの国、ファンタジーの国でしたね。
さて、キャロラインの実家…、その玄関ドアをノックしても返事がありません。困った。どうしよう…。仕方がない、近辺を物見遊山で見物することにしよう。
グラスゴー大学がある広大なケルヴィングローブ公園、ウェストエンドの繁華街にある様々な店や図書館などを覗き、さらに植物園のあるボタニックガーデンなど、もう、そこらじゅうを歩き回りました。初めて見る街の風景に瞠目します。時々、キャロライン宅に電話を入れますが、相変わらず誰も出ません。
そのうち、旅の疲れ、いや時差ボケでしょうね、ボタニックガーデンのベンチで、リュックを枕に眠り込んでしまった。かなりの時間寝てしまったようで、気がつくと、なんと午後６時！
「えらいこっちゃ！」祈るような気持ちでキャロライン宅に電話をします。
…出た！とうとう電話に誰か出たんです。嬉しい！嬉しい！
「ウマ？ ぼくフランキー。キャロラインの弟です。日本から君が来ると聞いてたんで連絡を待ってたところ。すぐ来て！」 なんと、ぼくのニックネーム「ウマ」を知ってる人が、このグラスゴーにいたのに驚いた。いや、嬉しかったですねえ。
ドアを開けたフランキー、ニコニコと、ぼくの肩を抱くように家の中に入れてくれた。リビングには弟のマーティンがいた。そしてテーブルには、たくさんの缶ビールやウィスキー、それにポテトチップスやピーナッツが…、それを見たときの嬉しさはもう…
「キャロラインは、母や妹のエレインとリゾートに出かけていて、明日帰ってくる」
ビールで乾杯した。「ウェルカム・トゥ・スコットランド！」
そのビールの美味しかったこと。もう天にも昇る心地だったですね。
「日本人と会うのは初めて」と言う彼らと、大いに呑み、話が弾み、初対面にも関わらず、すっかり打ち解けた頃、フランキーが叫ぶように言った「今日は金曜日、パブへ行こう！」
週末のパブは、もう立錐の余地もないほどの混みよう。
その喧騒の中、フランキーやマーティンが次々に友人たちをぼくに紹介する。そして「日本人と会うのは初めて」と言う彼らが、ぼくにビールやウィスキーをおごってくれるんです。今夜は泊まるところがあるんだろうか？ …そんな不安などとっくに吹っ飛んでしまい、実に楽しい宵となりましたね。よかった。ほんとにホッとした。
翌日午後、キャロラインと母、そして妹のエレインが帰って来た。お母さんもエレインも、ニコニコと初対面のぼくにハグ、そして「遠い国からよく来てくれたわね」と喜んでくれた。父親はキャロラインが17歳の時に亡くなったことは聞いていた…
さて、その土曜日の夜…
キャロラインの家族が、ぼくのために歓迎パーティーを開いてくれたんです。ところが、おおぜいの人が続々と集まって来たのにはびっくりしてしまった。従姉妹たち、おばさんやおじさんたち、フランキーやマーティンのガールフレンド、さらに友人たちなどなど、もう、家の中はおおぜいの人でぎっしり。その全員が「日本人と会うのも話すのも初めて」だとおっしゃる。
スコットランドから見ると、日本は、極東、つまり地球の果てにあるんですね。その地球の果てからやって来たぼくに、皆さんとても好意的な笑顔を向けてくれたのは嬉しかったなあ。
皆がワイワイやっている時、ふと、一人だけぼくに無表情の方がいるのに気がついた…キャロラインのおばさんのモニカです。彼女、部屋の隅っこでタバコを吸ってた。
で、飛行機の中で買った免税のマイルドセブンの１カートンをそっくり彼女にあげた。そしたら、それまで無表情だったこのモニカおばさんは大喜び、途端に満面の笑みで、なんとぼくにビッグハグなんです。あとで知ったことだけど、この国はタバコが非常に高価で、当時の日本円で一箱が700円も800円もしたんですね。
モニカおばさんがぼくに対して無表情だった理由…それを知ったのは20年後でした…
さてさて、初めてのスコットランド…それはとても楽しくかつ有意義で、忘れ難い想い出となりました。そしてその二年後の1982年、あのグラスゴー大学の教会で、ぼくとキャロラインは結婚式をあげ、その後、ぼくの郷里・大阪に住むこととなったんです。
それは、20年後のことでした。
ある日、たまたま、ぼくが、懐かしいスコットランドの写真を整理していた時、わきにいたキャロラインが、あのモニカおばさんの写真を見つけた。で、彼女、なにを思ったのかぼくに「あの時のパーティーのこと覚えてる？」 ぼくが初めてスコットランドを訪れた時の、あの忘れ難い歓迎パーティーのことですね。
彼女が言ったことには驚いてしまった。
「実はね、あの時、モニカは、日本人には絶対会わないって言ってたのよ。でも、私に説得されてしぶしぶパーティーに出てウマと会ったわけ…
戦争中、彼女と親しかった友人がシンガポールで日本軍の捕虜になった。奇跡的に生還した彼のその時の過酷な体験をモニカは聞いてたのね。…日本軍は捕虜に残酷だった…
ところが、あのパーティーでウマと会い、一緒に肩を組んで呑んでるうちに、日本人に対するイメージをすっかり変えたのよ。この日本人の酔っ払い、とても残酷には見えないけどねえ…って」
あのパーティーで、ぼくと肩を組んで呑んだモニカが、最後に大きな声で叫んだ言葉…それは今でも覚えています…「わたし日本へ行くわよー！」
そして日本にやって来たモニカおばさん…
奈良・吉野の桜に目を満開、旅館の畳の部屋の布団に感激、そして、雄大な富士山に感嘆し、修善寺温泉の露天風呂で、満天の星空のもと、かつて経験したことのないお風呂に大感激するなど、日本を満喫してスコットランドに帰りました。
そう、日本を大好きになって…