若者が自粛する社会とは死んだ社会
ここで挙げられている「善意の若者」の考えは半分は間違っている。
そもそも若者が働けない、活動できない社会と言うのは死んだ、終わった社会だ。
それは車の走らない車道と同じだ。
今のこのおかしな状態は、歩道を歩く年寄が怖いから車をはしらせるなと言ってるようなものだ。
全く道理のない腐った押し付けだ。
そもそも感染したくない奴等が引きこもればいいだけの話だし、
誰かが我慢したと言うのは誰かを我慢させる為の根拠とはなり得ない。
そんな理屈が通用するのなら、我慢させた者がその代償を支払うべきだ。
自分が恐ろしいから他人にやらせるよう騒ぎ、結果としてそのクソみたいなルールが出来上がった以上、推進した側には推進したなりの責任がある。その責任を放棄して「自分が我慢してるからお前も我慢しろ」なんて理屈は如何なる事象に対しても許してはならない。
冷静に奪われたものを見つめてそれを請求せよ。
我慢するから、これから我々が失う貴重な時間を返せと言うべきだ。
そもそも死ぬほど頭の悪いコロナ脳が失う時間と、今の若者が失う時間の価値は天と地ほどの差があるのだ。
決して同じではない。
若ければ若い程その時間の損失は大きな損失となる。
最早これは時間と言う通貨における為替レートのようなものだ。
同じ1でも、円もドルもユーロも元もウォンも価値がことなる。
なのに1失えと要求しているのだ。
若者は正しいレートを要求すべきだ。
コロナ脳は正しいレートで代償を支払え。
お前等クズの1秒と若者の1秒は全く等価ではない。
お前等は不当に、過剰に若者の、この国の未来を奪っているのだ。
その現実を認めろ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?