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リスクとは
リスクとは別にコロナ感染しか存在しない訳ではない。
そんなもの、コロナ脳以外なら誰でも理解している。
そもそもコロナのリスクなんてものは限られている。
若者については「風邪」でしかない。
これは事実だ。
高齢者も陽性者の大多数が回復している。
では何がリスクなのかと言うと、
世間からメディアまで、他の病と違って特筆されることにより、
社会的に生活が困難になる程の制裁を受けることがリスク
なのだ。
それさえなければ例年のインフルと何も変わらない。
つまり、今まで我々が意識するとしないとに拘らず、事実として受け入れてきたリスクなのだ。
だが世の中にはもっと致命的なリスクは山ほどある。
いや、そもそもが人生そのものがリスクの中に生き、リスクと共存しているものなのだ。
そのリスクと言うのは人によって全くことなる。
基礎疾患持ちの高齢者は死活問題だろう。
だから彼等に経済を回す為に消費しろ、と言うのは全く得策ではない、と言うことくらいはコロナ脳でも分かるだろう。
同様に、これからこの国と、自分の家庭を担っていく若者が生活の為に働くことは得策であり、それを棚上げして引きこもって経済にも心身にもダメージを受けることは得策ではない。
高齢者は生活費と労働が直結していないが、
若者は直結している。
経済問題が、また感染が両者において全く異なるリスクとなるのは必然だろう。
また様々な業界で事業そのものが成り立たないと言う致命的なリスクもある。
交通系なんかはまさにそれに苦しんでいる。
コロナ脳は「飲食ばかり補償されているが苦しいのは彼等だけではない!」と言う。
その通りだろう。
だがその後に続く言葉は違う。
彼等は「だから補償はなくせ」だが、
俺は「自由な経済活動を保障せよ」だ。
それこそが経済や人々の心、更にはコロナ感染拡大をも安定させるからだ。
さっと広がって集団免疫ができればこんなに長期化しなくても済んだ。
そうすれば自粛要請(甚だしい語義矛盾)や補償だのが不要となる。
今までインフルで受け入れてきたんだからそれを受け入れないとなると、
今後のインフルでもこれを永遠に続けなければならなくなる。
そもそも高齢者は冬に多く死ぬ。これは昔から変わらない。
それをコロナのせいにしていることが間違いなのだ。
そうでなくとも高齢者は常に死のリスクが隣り合わせとなっている。
ちょっと躓けば骨折。
ちょっと風邪をこじらせれば肺炎。
食中毒なんかも体力がないから死ぬ。
それは人間だから、老人だから当たり前のリスクなのだ。
リスクはリスクとして認識したくないからと嘘でごまかしてもリスクであることに変わりはない。
この高齢者のリスクは我々にはどうすることもできない。
せいぜい気をつける、と言うことしかできない。
またそんな高齢者ばかりにあらゆるリソースを割くのは社会的にリスクを増大させることにしかならない。
言っても高齢者は程なくして死ぬ人々ばかりだ。しかも基本的に社会によって守られている消費者としての立場でしかないのが殆どだ(麻生や二階みたいな高齢でも働く者は稀)。
若者は違う。自分の生活と、社会のインフラを維持する為に働いてサービスや納税により実際に支えているのだ。
この支えを無視して高齢者にリソースを割いているのが今だ。
それこそ人為的に社会的リスクを増大している。
また、昨年は移動その他の私権制限の影響もあり、出生数が1〜2割減少した。
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日本も1月の出生数が昨年から1万人(14%)減った。
これは言ってしまえば、1万人死んだのと変わらない。
多少のラグ程度で済んでいればいいが、
出産には年齢、タイミング、運、色々な要素が重なり合っており、
何割かは去年、今年の妊娠出産を諦めたら生涯諦めると言うことにもなりかねない。
出産を諦めるのもそれこそリスクマネジメントの一つだろう。
家庭を養う所得が得られない(高齢者の命を守る為)。
これは致命的なリスクだ。マネジメントなんて言葉を使ったが、結局はどうしようもないから諦めると言う話だ。
高齢者の僅かばかりの命を守る為に、若者が子供を産まない、産めないのだ。
そうやって人口が減るペースが月に1万人増えたと考えるのは、リスクマネジメントとして当然だろう。
経済を破壊し、少子高齢化を加速させること、それはこれまで長年放置してきたこの国のリスクだ。
それを人為的に加速させているコロナ脳が心から恐れているリスクは、
「路上飲みも感染のリスクがあります」
らしい。