ゼロヒエ、ウィズヒエ
サムネ画像に写っているのは、昨日時点の銘柄は忘れたがうるち米(食用の米、コシヒカリとか)が植えてある田んぼ(稲刈り前)だ。
そしてこれは家の田んぼの一つで、一枚3反程ある。
赤枠の内側に、少し黒っぽく、背丈の高い雑草がいるが、これが稗(ヒエ)だ。
目に見えてるだけで今こんなに混ざっている訳だ。
田植えの際には除草剤を撒き、定期的に田んぼに入って稗を刈っても刈っても、彼等はなくならない。
そして稗以外にもたくさんの雑草(昭和天皇的に言えば雑草と言う名の草はないけど)が生えている。
それを無くすことは到底できない。
高々3反の田んぼですらこうだ。
稗は基本的に有害な植物ではないが、米への栄養を奪ったり、背が高いので太陽光が当たらなかったり、コンバインで刈る時に邪魔になったりと、米を中心に考えればなるべく減らしたい障害事例の一つだが、それでも結局我々は、稗を無くすことはできない。昔は稗も食べていた(今でも雑穀として食べる人はいる)。しかし戦後、慣行農法(機械化、化学肥料、農薬による大規模化、効率化)が行われて色々と合理化され、稗は食卓からは遠退いたか、農業、圃場(ほじょう:田んぼ)においてはやはり稗との縁は切れなかった。ウィズヒエが現実的に選ばれたのだ。
ではもしゼロヒエなんてやっていたらどうなるだろうか。
日々田んぼを細かく監視し、発見の都度刈りに行っていたら。
莫大なコスト(労働、機械、時間)を支払って、結果は大きく変わらないだろう。つまり、多大なコストだけが生じるのだ。
そもそも目的と手段がごちゃごちゃになっている。
何の為に、稗を減らすのか。
それは米の収量を上げる為。そしてそれによる利益を上げる為だ。
稗を減らす為に利益を減らしたり、余計なことをして米の収量を落としては本末転倒でしかない。
無理矢理何かをゼロにしようと考えると、目的と手段が入れ替わりになり、本来の目的達成どころか、様々に悪影響を及ぼすことがある。
例えば今回の例として挙げたゼロヒエがそうだし、同じくゼロコロナもそうだ。
だから国民は考え方を、意識を変えねばならないのだ。
いや、意識を変えること、それこそがコロナ禍を終わらせるポイントだ。
ヒエだけ対処すればいいなんてことはない。
台風(風)や、水害、雀に猪にカメムシにジャンボタニシにウンカに、、、と様々なリスクと戦っているのが稲作だ。
ヒエに特化すると言うことは他に無防備になると言っても過言ではない。
コロナ対策もそれでいいのか?
もっと総合的に、全体的に考えよう。