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何の為にやるか

世の中、ビジョンと言うものは大切であり、特に大きなことを成し遂げる上ではそれが大切なものとなる。

例えばオリンピックにおいては、アスリート達がその力を最高の環境で競い合うと言うこと、次にそれを実現する為には多くの国や企業の人的、資金的協力が必要である為、それ等を調達する。

それだけであり、それ以外に必要なものは何もない。

勝手に必要だと後付で外部の人間が注文をつけるべきものは何もない。

こんな明らかなものを、明らかでないと言ってしまうのは、明らかに他の動機があるからだろう。

ではその動機とは何か。

勿論、コロナ対策と称する茶番にある。

では、コロナ対策とされるそれぞれの要請は、科学的に、法的に、理にかなった言動が為されているか、簡単に振り返って評価しよう。

コロナは殲滅できるのか、付き合うのか

まず最も重要なのは落としどころをどこにするか、と言う問題だ。戦争で言う講和の条件だ。

まず対コロナ戦争とは、アフガンでの対高地テロ戦争よりも相手が極小で制御不能であることからも、アメリカの20年程続けてきたアフガン戦争より困難な戦いになることは想像に固くない。だからどこまで被害を抑え込めるか、それだけが対コロナ戦争の停戦条件となる。そしてそれは勿論、インフルより被害が出たかどうか、それに尽きるだろう。何故ならインフルなら、どんなに人が他人に移そうと、人が死のうと、毎年受け入れてきたのだからだ。

ではそれはいつ訪れるのか。。。

正解は、そもそも一度もインフルを超えていない。

だからそもそも開戦する必要がなかったのだ。不要な戦争を開始した責任は国家、即ち政府にある。ただし、政府は非戦派であり、好戦派の圧力に屈したことが原因であり、最大の責任はマスゴミ、専門家、大衆、そして野党にある。与党は恥ずかしい話が圧力に屈した情けない党と言う立場にある。

と、要の部分を少し見ただけで、既にこの時点で、ビジョンそのものが破綻していることが分かる。

だが尾身やその他の馬鹿エセ専門家は暴走を止めない。

引き続きビジョンのデタラメさを見てみよう。

人流抑制策の意味


そもそも、人流が多いから感染が広がると言う仮説は今の分科会やそれ系統の専門家が言っているが、明白な事実関係は無い。

そもそも感染の主戦場は病院、施設、家庭、職場である。

昨日の中川淳一郎氏の記事でも参照したが、

最も多かったのが「家庭」の42.1%で、「施設」15.9%、職場15.7%、会食8.2%、接待を伴う飲食店などの2.5%と続く。それ以外は「その他」である。

作戦を遂行するならそこで行わねばならない。飲食店や娯楽施設への締付けは、全く戦場でないところに兵力を投入して自滅しているようなものだ。統帥部、指揮官の馬鹿さが証明されただけと言えるだろう。

それから大切なことなので触れておくが、感染減少はいずれも人流抑制即ち緊急事態宣言開始前から始まっているのであり、緊急事態宣言による有意義な効果が示された例はない。そして同様に増加についても人流とは関係ない。イギリスだろうがスウェーデンだろうが日本だろうが、どこも同じような波形で増減している。これは人流抑制に効果がないことを表している。

そう言えば吉村が専門家に緊急事態宣言の効果がないことを確認していたな。

(あれ?当時は知らんかったけど、宮沢先生おるし!中野先生が効果は無かったの主張してたんか!今更驚き!)

子供をコロナから守る

コロナ禍において最大の被害者と言えるのは子供だろう。

何故なら子供はコロナで一人たりとも死んでいないのに、

登校も、給食も、授業も、遊ぶことも、運動会も、修学旅行も、入学式も、卒業式も、あらゆるものが制限されたからだ。

全く費用対効果が釣り合っていない。これは日本中の子供たちが、穴の開いた大量の靴下の購入の為に一千万円支払ったくらいの費用対効果だと俺は考えている。更に彼等に保管、廃棄まで押し付けていると言える。

大人が子供等に負わせた負債は甚大だ。大人には必ず償わせる。

何もしなくてよかったのに、完全に余計なことをした。それが大人の選択だ。

街亭における馬謖のようなものだ。

飲食店への時間、酒提供禁止と言う一律規制

百歩譲って、飲食店における会話が感染の原因だと仮定して、営業時間を短くするのは何の関係もなければ、そもそも一蘭(博多の客席が暖簾で仕切られたラーメン屋)みたいな店も、立ち食い蕎麦屋も一律に規制されるのは全く理にかなっていない。

また、カフェなんかではそれこそ会話は当たり前だ。酒なんか出さずとも会話は繰り広げられる。

全く目的と対策が見合っていない。こんな杜撰な作戦はあり得ないだろう。

戦車を利用した訓練しかしていないからと、山岳戦に戦車を持ち出そうとするくらい、馬鹿な話だ。

ワクチン作戦

詳しくはこちらに記したが、ワクチンによる収束なんてものはあり得ない。あるとしたら、結局ワクチンによって解決した、と言うストーリーと共にコロナ報道を止めること以外にない。その為にワクチン犠牲者を出してでもやると言うのなら、それも仕方がないのかも知れない。それこそテレビや専門家による人災として、彼等が全責任を負うのだろうが。

2週間後のミラノやニューヨーク

ノストラダムスの大予言宜しく、二週間後には、、、みたいな予言をして大外しをした専門家はかなり多い。

詳しくはゴー宣コロナ論を読んで頂きたい。

多くて馬鹿馬鹿しくて到底纏めきれないので。

尾身のビジョン

他にも色々と不満や疑問は尽きないが、結局、尾身等のビジョン、それこそ何の為に、対策をやってきたのか、一年経ってもなお、分からないではないか。

分かったのは、感染対策としての効果はさっぱりないが、経済や文化、そして人々の精神を破壊してきたと言う結果だけだった。

こんな国家破壊を行った尾身が(勿論個人の仕業ではない。大衆やメディア、専門家が作り上げた不当な権力だ)、どの面下げて五輪の意義を問えるんだ?

まずはお前が腹を切って、日本の様々な環境、基盤を破壊してきたことを詫びろ!!!


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