長幼之序
論語、儒教、儒学を語る上で、俺の中で外せない考えが先に述べた和であり義であるが、
同様にこの長幼の序と言うのも外せない考え方だ。
これは人々が思う程馬鹿馬鹿しく有害な教えではない。
そもそも長幼の序とは、儒教の教えの中で、孟子によって説かれた5つの倫理規範(五倫)の内の一つであり、
年少者は年長者を敬い、したがわなければならない。
と言う教えなのだ。
そして儒教は性善説をとるから、必然的に年齢と共に経験が増え、勉学にも励み、立派な君子へと近づいていくものと考えられる。
だから、聖人や君子、小人と言った区分はあるが、志を同じくした我々は、必然的に君子に近づき、君子然と振る舞うようにならねばならない、と言う教えであると考えるべきなのだ。
年齢に長じるとは成長していなければならないと言うことだ。しかしそれは必ずしも知性がそうであれ、と言う話ではないだろう。あくまで人としての成長の話であり、
自分が分かってもいないことを分かったように振る舞ったり、
間違っていてもそれを正さない、
と言ったようなことを自戒する、的な話だと、俺は考えている。
日々我々は精進し、成長していかねばならない。そんな志があるからこそ、長幼之序は徳義となる。
よく年長者の傍若無人さを知る我々であれば、長幼之序なんてとんでもない、と考えるかも知れないが、
そうではなく、我々が年長者にいずれなるのだから、自分自身、年長者としてしっかりと信用される人間に育てよ、と言う話だと俺は理解している。