俺の周りの「周りの為」
友人の例
先日、とある友人達で構成するLINEグループに、昔からの天性の馬鹿が
と無邪気にLINEしてきた。この馬鹿は昨年秋に飲み会した面々のうちの一人。俺があの時軽くワクチンの有害無益さを説いたのも忘れ、また馬鹿なことを言うと思い、
とだけ返しておいた。
しかし、一応は改めてワクチン、コロナについて概要を伝えておこうと思い、個別にメッセージを送った。
一通目の長い文章には既読スルー。
2通目に時間をおいてOWIDのグラフを送った。
すると間もなく返事がきた。
と返ってきた。当然俺はこいつの迎合の意思としか思わず、
と返したところ、想定外の回答が来た。
こいつは、血栓ができ、副反応で死ぬリスクがあることを既に認識していた。
また、アメリカでは既に日本より大多数の陽性者や死者が出ておりながらマスクもせず普通に過ごしていることも。
マスクが社会統制のアイテムのようなものであることも。
それでも打つと言う。職場の圧力だと。
彼は様々な理由があり、恐らく転職は不可能だろう。詳細は伏せるが。
だから甘んじて圧力には屈すると。
その事情を一応は知る俺からは、逆に体調崩せとはアドバイスしておいたが、、、、
やはり昨日モデルナの職域接種を済ませてきたそうだ。
万一の時はPCの処分をと頼まれたが、前回の副反応(数日間の高熱、MAX40度)が出るかもしれないと彼は落胆している。
職場の言い分
その職場、上長の言い分は恐らく、感染拡大防止だろう。そして彼への接種圧力はそれこそ、接種させなかったことでコロナ死した場合の責任問題でもある(上にある様々な理由、と言うところから察して頂ければ)。また仕事その他に関する彼自身の信頼は決して高くはなく、だから押し付けたくなると言うのもあるだろうし、彼に打たないことを許せば他が打たなくなる、みたいな可能性すらもある。またクラスターだ、なんて言われた場合にもその責任が問われる(ここでは繰り返しこのように書いているが、本来はそのような責任自体生じ得ないし生じさせることこそ法的にも人権的にもまずい)。
だから職場的には、打たせる圧力をかけて打ってくれればそれでいいと考えるのは、ある意味、今の社会における自然な判断だとは言える。
もし副反応で死んでも国なり医者なりが責任を負うからね(彼等の思惑)。
家族の例
家族LINEによると、甥っ子の通う幼稚園に陽性者が出たらしい。
出たとは言うが、その子の容態の話は一言も出ない。一体何に恐れているのかも分からない。
まあ、別クラスでの発生かつ学級閉鎖で済んでいるから暫くは通うだろうと言っているが、
無症状で罹ってるかも〜なんて言いながら検査してみようかななんて言っている。
我が妹ながら馬鹿だろ。自分の旦那が仕事で変な扱い受けるだけだ。
改めて言うが、どこにも、今、現に、肺炎患者は愚か、風邪症状が出ている者すらいない。
流石に、俺はこの流れで発言する気が全くなかった(内心反吐は出まくった)が、
母から「黙ってるけど罹ってないよね」との通知がきたので流石にカチンときて、
「罹ってない。しょうもない。俺は今でもノーマスクで電車通勤して平気」と返したところ、父からは
「お前だけではなく、家族や周りにも迷惑がかかるだろ」とのレス。
間髪入れず俺は
「それはワクチンも一緒」
と返した。秒で反論したが、かなり適切な話だろう。
利他・利己
https://note.com/umashimami/n/n92bc059a3701
こちらにも書いたが、コロナを周りに移して周りで感染者が出たり、そのせいで死ぬようなことを何よりも彼等は恐れる。
そしてワクチンで自分が死ぬリスクを指摘されても無視して受け入れる。
この2点だけでも確実だと俺は明言できるが、
お前等は、ずっと自分のことしか考えてねえ利己主義者だろうが。
周りに移して人が死ぬ、と言うのも、
自分が人殺しになりたくないと言うだけの話だろ。
ワクチンなら死んでもいいなんて、残された奴等のことなんざ微塵も考えない極めて利己的逃げそのものだろ。
こっちは、寧ろ
・人から人に移るのはウイルス側の都合、と言うか自然そのものでしかなく、人間に責任を負えない(他人を責めるな)
・ワクチンなんて任意なんだから打ちたい奴だけが打つ権利さえ保障すれば、後は全て自由にしろ(勿論個人の権利だし病気でもないので全額自己負担だし、リスクの説明と同意は必須)
・経済その他を正常に回してこそ社会は機能するから、制限は最低限度であれ
と自分個人の利益主体ではなく、社会としての在り方を問うているのだ。
勿論、結果として自分への利益(経済的、社会的損失が軽減できる)も有り得るが、それは社会が健全である結果として齎されるに過ぎず、利己的なものではない。
本来、利他ってこう言う考えを指すんじゃないのか?
人には人の都合がある。何を優先したいか、何に配慮が必要か、なんてそれこそ千差万別。
高齢者に必要な配慮は必ずしも子供に必要な配慮とは限らない。
少女に必要な配慮がおっさんに必要な配慮とも限らない。
北海道と沖縄も違うし、主婦とキャリアウーマンでも、経営者と労働者でも違う。
その全員に必要なこととは、自治を認めることしか有り得ない。一つの決まったやり方を押し付けるのは、全員に一種類の靴を与え、その靴にそれぞれが足を合わせるようなことにしかならない。
それを普通は不合理と言う。
人々は完全にパニックになっているが、その結果が不合理の嵐なんだよ。
そしてその嵐でやられるのは常に弱者。
いい加減、気づいてくれ。
ま、うちの家族が今日も相変わらずオミクロンがオミクロンが言ってる限りは無理か。
少しくらい学ぼうとか思わんのかな。はあ。