日本の友人のみなさんへ
臼井です。長文です。
このひと月、僕のシェアやリツイートによって皆様のタイムラインにミャンマーで行われている残虐画像が流れている事を、いつも心苦しく思ってきました。
お昼ご飯をお店で注文して食事が届くまでの間に見たフェイスブックで、脳みそが飛び散った写真とか、見たくないですよね。
楽しい気持ちで友達とやりとりをしてる投稿やコメントの隙間に、血の気が引くような悲惨な光景。
香港の雨傘運動の時も、僕の友人の投稿を見て気分が下がった事を覚えています。
もちろん民主化に向けた意義と人々の権利を応援していましたし、中国に友人も多いので、悲しい出来事には憤っていました。
でもその時はどこか対岸の火事で、渦中には飛び込みませんでした。
だからみなさん、僕の投稿が不要な方はミャンマー情勢が落ち着くまでブロックして下さいね。
最近になって僕のFBの投稿が増えたのは、ミャンマーの友人に向けたものなのです。
2019年秋、ミャンマー映画のスタッフとして約1ヶ月、ミャンマーで過ごしました。
ミャンマー人の監督が撮るミャンマー映画で、日本人スタッフは僕1人でした。そして僕が連れて行った日本人の俳優が4人。
一部のシーンをタイのチェンマイで撮影した時に日本人の俳優がゲストで来て、その時だけは日本人率が少し増えたのですが、基本的に日本人は僕と俳優の5人だけでした。
僕が呼ばれた理由は、日本人の俳優が出演するシーンがあるからというのと、ミャンマーで録音部を育てるという目的があったから。
なので僕の助手は5人。それ以外にも僕のお世話をしてくれる人を含めると総勢15人ほどの録音部チーム。笑。
その映画の撮影監督と照明技師はニューヨークから来たアメリカ人、そして主演はタイ人のイケメン俳優という多国籍な映画!!
現場ではミャンマー語がメインで、英語、タイ語、そして少しだけの日本語が飛び交う面白い現場でした。
つまり、同じ窯の飯を食った仲間が、ミャンマーにいるのです。
ミャンマーの人たちは男女問わずとても記念撮影が大好きで、カメラを向けるとちゃんとモデルみたいなポーズをとるんです。
ちょっと斜に構えたり、足を軽くクロスしたり。髪をかき上げてみたり。
そうそう、昭和初期のマチコ巻きして観光地で撮った写真が母親のアルバムにあったよなー、とか思い出しちゃう感じ。
もちろん中にはシャイな人もいるんだけど、だいたいみんな写るのが大好き。よく『撮って』って言われました。
もう途中からは『俺、仕事しなきゃいけないから自分たちで好きに撮りな』と言ってカメラ貸しちゃったけど。笑
それもあってかFacebookも盛んで、みんな行く先々の記念の写真をアップしていました。そしてみんなお互いにものすごい数のイイネを付け合ってる!笑
長年虐げられてきたミャンマーの歴史の中でこの数年、民主化の勢いがどっと押し寄せて人々が手に入れた自由な日々。
残念ながらその映画はその約2ヶ月後に訪れたCovid-19時代のせいでまだ未完成のはずです。
2021年2月1日、ニュースでミャンマーの軍事クーデターを知り、
友人に向けて『ニュースを見たよ。みんな無事でいてください』とミャンマー語で投稿。残念ながらミャンマー語は読めないし書けないのでGoogle翻訳さんが頼りです。
その後、僕は2月前半に映画の仕上げがあったため、FBを閲覧してもイイネ(大切だね)を押す程度。
デモも歌を歌ったりダンスを踊ったり平和的なものでした。
2月中旬の一週間僕は次の撮影の準備をしつつ、少し時間があったのでミャンマーの友人に『心配している』というやりとりをしていました。
しかし、彼らの状況は悪くなるばかり。この頃から僕も3本指を立てた写真を撮り、友人たちにメッセージを送るようになりました。
最初のメッセージは『親友たちに勝利を』。みんなすぐにイイネやコメントでお礼を返してくれました。
少なくとも海の向こうにお前の味方がいるぞ。という気持ち。
2月後半は映画の撮影で機材車も運転してたので落ち着いてFB見れるのは帰宅後か食事のタイミングか本番中くらい。笑
ミャンマーでは不服従運動として公務員が全ての業務をストライキしたり、
夜の8時以降の外出禁止の夜間にベランダに出て、鍋を叩く抗議をする映像が日々僕のタイムラインに増えてきて、ついに道を自動車で埋めつくして軍が通行できなくしたり、バリケードを築き上げる映像も。
次第に僕も(悲しいね)を押す数が増えてきます。
その時僕の撮影していた映画はロックな映画だったので、撮影現場でも指を3本立てて彼らの勝利を応援していました。
ミャンマーで僕の助手だったターチョウの投稿にはどう見ても手作りの防弾チョッキ。
メイクさんはガスマスクを首に引っ掛けてモデルポーズ!催涙弾対策です。
撮影助手はデモに参加して盾を持っているポーズ。監督もメガホンで何か叫んでいます。
しかし、FBのタイムラインは次第にヤバい感じになってきました。
警察(国軍)が催涙弾やゴム弾ではなく実弾を使い始めたのです。
実弾を使い始めたということは殺傷能力のリミッターを外すということで、
彼らは市民の頭部を狙って引き金を引きます。確実に仕留めるためです。
タイムラインには頭部を撃たれて亡くなった人の周りで泣き叫ぶ人の写真が増えてきました。
増えてきたというのは、1人や2人じゃないという事で、頭部を撃たれたのは事故や偶然ではないということです。
写真の好きなミャンマーの人たちが、亡くなった方の人生最後の写真をみんながシェアで拡散してくれます。
3月になり、ミャンマーのデモも激化し、警察(国軍)に殺された仲間への怒りが増す中、人々が手にしていたのは銃弾を防ぐための盾や水風船など。市民の手に武器はありませんでした。
そして3月3日、『EVERYTHING WILL BE OK(すべてうまくいく)』というTシャツを着て、兄と一緒にデモに参加していたエンジェルという名の少女がスナイパーによって頭部を撃ち抜かれて殺されました。
https://www.facebook.com/angel.da.338211
彼女のFBのページです。彼女の最後のコメントには、自分にもしものことがあったら、体の全てを寄付すると記されています。
そして国軍は埋葬された彼女の遺体を掘り起こして持ち去り、彼女を撃った弾は警察(国軍)のものではないと発表。
埋め戻した墓をコンクリートで固めてしまいます。この頃から僕はミャンマーにいる日本人ジャーナリスト北角さんとFBでつながり、彼の日本語の投稿記事でミャンマーの現在の情勢を知ることができるようになりました。
この日、違う街ではマシンガンが使用されて数十人が殺されたそうです。
次第に若者たちの怒りが高まっていきます。
ナイフやパチンコ(スリングショット)を手に持った写真が増え始めました。
手製の防弾チョッキを着ていた録音助手のターチョウは、火炎瓶を手にした写真をアップしました。
僕は、『武器は持たないで』とコメントするのですが、僕の心の中では武器を持つ気持ちをとても理解しています。
北角さんと繋がったことにより、日本のミャンマー関係の記事も見つけやすくなり、そのシェアをするようになったのでこの頃から皆さんのタイムラインにもその記事が流れ始めたと思います。
映画の現場がクランクアップし、日常に戻る頃に、ターチョウのFBアカウントにアクセスできなくなりました。
もう何千人もデモ参加者が拘束されています。
この頃には拘束されて翌日死体になって帰ってくるという事例も増えてきていて、暴行の末に亡くなったであろう遺体や、レイプされて殺されたという話や、中には首の付け根から下腹部まで縫い目のある遺体の写真も目にするようになりました。臓器を摘出されて売られたのだと想像できるものです。
もしかしたらターチョウも拘束されて、持っていたスマホを見られアカウントを消すよう言われたのかもしれません。
その後のターチョウがどうなったのか、彼の友人でもう一人の僕の助手にメッセンジャーで聞いても、既読がつかないまま半月過ぎました。
心配になって僕のミャンマー友達リストに片っ端から生存確認をしたところ、既読が付かないひとが他にも数名。
都市部ではまだネット回線が生きているけど、地方のネット回線は閉じられていると聞きます。
地方の実家に避難していてくれるならいいのですが。。。
今は最悪の想像だけはするまいと心に決めて、
彼との再会を、みんなとの再会を祈る日々です。
そしてその後も僕のタイムラインにはまさしく地獄絵図が。
警察に殴る蹴るの暴行を受ける市民をどこかの家の窓からこっそり撮影した映像や
頭を撃ち抜かれて付近に飛び散った脳みそのそばで倒れている丸腰の少年。
手足を仲間に支えられて運ばれる血だらけの男。
頭が半分失くなった仲間を抱えて逃げているムービー。
軍用車ですれ違いざまにバイクに乗った若者を撃ち殺す映像は皆さんもニュースで見たかもしれません。
命令されて仕方なく引き金を引いているとは思い難い映像の数々。
車で頭を踏みつけられ首から上がぺしゃんこになった映像。生きたまま燃えるタイヤの山に投げられ亡くなった黒焦げの遺体。。
もともと僕は血がどばっと出る映像は嫌いなんだけど、かなり慣れました。
ホンモノは自分から『見る』を押さないと見れないようにぼかしが入っていますよね。
でも覚悟して『見る』ボタンを押します。それが友達じゃない事を祈って。
幸いまだ友達の遺体には出会っていません。幸い?!
でも、そこにゴミのように捨てられて倒れているのは、僕らと同じ人間なんです。その人には両親がいて、友達がいて、愛する人がいて。子供もいたかもしれません。
肉の塊になっていいわけが無いのです。友達じゃ無くてホッとしたことなんてありません。
でも友達の遺体に出会った時に冷静でいられるだけのメンタルは身についたかもしれません。
タイムラインには、太い釘をハンマーで打って平らにし、棒の先につけて弓矢をつくる映像や、ハンドメイドっぽい銃の写真もちらほら増え始めました。
3月はそんな映像が絶え間なく僕のタイムラインを埋めつくしてゆきます。
そんな中、テレビではアジアンヘイトのニュースが流れ、アジア人の老人に暴力を振るう映像。
確かに酷い映像で心が痛みます。でもこの頃ミャンマーについての報道はほとんど無く、あったとしても抗議デモを治安部隊が制する的な表現。
『え!?治安部隊?!!』
治安という言葉でみんな頭を撃ち抜かれているの?!
誰の『安』の為なんだ!?
そんな報道が苦しくて、悔しくて、僕は日本の友達に向けて今まで躊躇ってシェアしないでいた残虐な写真もシェアし始めました。
少なくとも知って欲しかった。今のミャンマーで起きていることを。
雨傘運動の時とは違って、今度は僕の番なんです。
僕が彼らのためにできることは祈ること。
日本の中でこの現代の地獄絵図を広め、ニュースを増やし、ミャンマーに祈ってくれる人を増やし、
ミャンマーの自由を取り戻すこと。再び友達に会うために。
ミャンマーの通信制限もひどくなってきました。
今まで誰かは必ずオンラインだったのに、ある時ミャンマーにいる全ての友達がオフラインだったことがありました。
ゾッとしました。そうなる未来を。
彼らが命の危険に怯えてやっと通信環境のある場所や自宅に戻りFacebookを立ち上げた時、彼らにとって大事な情報が僕のシェアの中にあったらいいと思い、ミャンマー語の記事はGoogle翻訳
を使って内容を知り、必要そうな情報をシェアしています。
みんなすごいですよ。自分で買ったプリペイドWiFiのコードを、みんなでシェアできるように何枚も写真で投稿したり、
国軍が今どっちに向かっているとか、みんなSNSを駆使しています。
こうして少しずつでも世界が動き出したのは、SNSの力。
撃ち殺された我が子の写真が世界中を駆け巡っていることを望む母親っているでしょうか?
『EVERYTHING WILL BE OK(すべてうまくいく)』のエンジェルさんのフィギュアができました。
同じTシャツを着て日本の小さな姉妹が3本指を高らかに掲げた写真をアップしています。
僕は、日本や世界の動きが、折れちゃいそうなミャンマーの友達の気持ちを少しでも楽にできるように、しばらくは投稿をやめないと思います。
弟みたいに可愛がっていた人が殺されて涙と怒りで投稿していた友達の事を思い出しました。
『友達が殺される』っていうことを、とても身近に感じています。
友達が殺されなくて済むかも知れないことを、今はやめられません。
先ほど届いた情報で、一緒に仕事をした女優が、
ソーシャルメディアを使用してCDM運動に参加するよう人々を扇動したとして、刑法第505条に基づいて起訴されました。
2021年4月5日3:23am
臼井勝
これを書き上げてから4時間ほど経ちますが、ミャンマーの全ての友達がオフラインのままです。いつかのように一時的であって欲しい。
https://www.youtube.com/watch?v=QnKykvIp4Yg
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