突然お腹が痛くなった話②

どやどやという形容が一番ぴったりだと思う。そんな感じで、救急の人たちが入ってきた。

私はもう目を開けてもいられない状態だったので、よく分からないが多分5.6人はいただろう。自分で担架に乗れるか聞かれ自分で乗った。

痛さはもうMAXを迎えていて、冷や汗もドバドバ。PAGESのタオルを持って行きたかったが、もうそれを伝える事も出来なかった。

痛くて体を伸ばせないのに、奴らは私を固定し、意識朦朧なのに質問攻めである。(当たり前だけど)こんな状況で正しい答えが導き出せると思っとるのかね!と言うくらい。飲んでる薬、既往症、かかりつけ、などなど。

救急車の中で熱を測る。「ひくっ」という声と共に「34.7」と聞こえた。「いつもです」息子の笑い声…

そして痛くて痛くて、本当に何にも形容し難い痛みにより、どんどん過呼吸になっていった。そして当然手足が痺れ、痛みで気絶する手前だったんだろうな。「ゆっくり!ゆっくり呼吸して!」何度も怒られた。

1件目の綜合病院ではこれから手術があるからと断られる。で、2件目に最後の砦の大病院へ搬送が決まる。(田舎だからそこしか無い)

やたら揺れるのね。救急車、自分が運ばれた事は初なのでその乗り心地の悪さに驚く。日本の車の進化ってこんなものなの?悪いけど乗り心地は東南アジア風。(イメージ)

病院も近くなんで、すぐ到着。またもや質問攻撃。もう痛すぎて死にたい殺してくれと思ってるレベルだし、さっきも言ったよって思いからテキトーになる。

何回も何人にも聞かれる。多分沢山出る答えから多数決で正解を求めるのかもしれない。だってまともに答えられないもの。気をしっかり持たせるためなのかも知れない。ただ何にも考えられてはいなかった。

触診。お茶の水博士みたいな先生。ここから科を振り分けるから広い知識が必要なんだろうけど、PCの前では苦戦して若い女の子に笑われていた。

一通りの色んな検査の合間に吐き気を催し、透明なビニール袋に出した。「!?」びっくりしなさんな、これはトマトである。朝トマト食べました。げーげーしながら伝えた。

色んな検査の後、お茶の水博士は「わからん、婦人科だな」と言い、私は車椅子で婦人科病棟へと移動した。

そしてまた座って待ってるの辛いのに、車椅子のまま待合室。

しばらく待った後、悶絶しながら婦人科の先生の問診を受ける。

「エコー検査しましょう」そうでしょうよ、そりゃそうでしょう、ここまで来てんだから!なぜこの問診を省く事はできないのか?痛くなかったらキレてたよ?と思いつつ、また移動して問診台へ。「いたたたた、いたい、いたたた、いたいたいたい」なんにもしなくても痛いのに、横から痛い目に合わせんなよ…結構長い間痛い目にあった。もうフラフラ。

待ちあいに戻った時息子心配そうな顔してた。

そしてまた先生のお話。「まだ他にも調べたいので、MRIを」まだわかんないのかいっ!!どーでもいいけど、マジで痛みの波ずっとMAX、もうのたうち回りたい位なのに…もう何でもいいから早くして、ハイハイ返事していると、造影剤使うのに喘息がダメだとかで、また説明しなくてはならない。もう殺してくれ!

画して私はまた車椅子でMRI検査のために移動した。

現地についてまた名前生年月日を伝え、何十回目かもわからない質問を受ける準備をしていたが、痛みMAXにより車椅子上で縮こまり痛くて泣いる姿に「これじゃ、検査出来ないわ!」「20分はかかるから、痛み引いてから来て」と、私に言った訳じゃないにしろちょっと強めに言われ、痛みを我慢出来ずにすまんという気持ちになった。同時に「痛み止め使ってから来て」と言ってくれた。

「痛み止め」……そんなものがあるのか!!

しかし、この時が本当のMAXだったのだろう、車椅子で移動中、ずっとげーげー吐いていた。通りすがりの人に申し訳なかった。痛みで吐くって初めて知った。


③へ続く。




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