櫻井翔愛(重め)と山村紅葉

SexyZoneにうつつを抜かして楽しく日々を過ごしていたら、急にあいつらが重大発表。

忘れられない1月27日。

私は潤担の娘を連れて帯広の美術館まで「永遠のニシパ  松潤のパネル展」へ行った帰り道。

等身大パネルに、めっちゃカッコイイ顔がちいせぇーと娘は満足していた。山道を走り星がキレイだよなんてロマンチックに車を停めた。

きれーだよ、降りて見ようよー。

「待って、お母さん!嵐が!嵐が!」

「え?」

2人並んでFC動画を見た。

言葉が出て来なかった。

そこからは、ただただ号泣する娘を一生懸命慰めた。帰り道、私も滲む涙を堪えながら「辞めるって言ってないし」「少し休ませてあげようよ」自分にも聞かせるように前向きな言葉を探した。

運転中だったから、冷静を保てたのかもしれない。


帰宅し、娘と会見を見た。

娘が可哀想過ぎて、私自身の感情を出せなかったし、脳が受け入れるのを拒否したのかもしれない。

号泣はしなかった。

その夜、山村紅葉は現れた。

これが2回目の登場。

何度見ても笑うと、泣き顔の娘は笑った。



私と、紅葉との出会いは、その約2週間前。

櫻井翔のブログ「オトノハ」はいつもと変わらず15日に更新された。2019年初めての更新でありそこには「所信表明」なる言葉が綴られていた。いつも通り、彼らしく。

もう完全に心はSexyZoneへとシフトしていた私だったから、ふーんの感想しかなくなっていた。しかし、その月のブログは少し違っていた。

年末年始のお仕事の内容をとても詳しく記してあり、こらからも頑張って行くよという彼らしい前向きで明るい内容。ここまでは、まぁいつもの感じ。

そしてその後に、ツアーの話。

ファンサしないマンの、しない理由。

1人でも多くの人と目を合わせ、1人でも多くの人に手を振り、1つでも多くの景色を記憶してきたと。

安心してください。みんなの顔見えてますよって。

このブログを、「きっと見てくれてる人へも向けて書くんだろうけど、必ず見てくれているあなたに向かって書いています」と前置いて。

そして、10日後に控えた彼の誕生日を祝うヲタク達への言葉。

全国、世界各地で。何年も。毎年お祝いして貰ってる事、知ってますよと。ありがとうと。


今年のタイプ。


今まで、1度たりともそんなことに触れてくれたことも無かったし、彼は自分に向けられる愛にさえスルーをキメているように見えていた。

その彼が、こんな言葉を、私達の愛を受け止めてくれていたんだと。衝撃だった。

知っていてくれたんだ。

私達の翔ちゃんへの気持ちを。

もう涙が止まらなかった。食事が進まなくなった。(夕食中だった)

何年も何年もの思いが溢れてきて子供達の前で声をあげて泣いていた。

(正直、今も嗚咽を漏らすほど泣いている)

ずっと好きだった。でも一方的である事はあたりまえで、0.1%だって見返りを求めていた訳じゃない。

10年以上彼だけを見ていた。

彼はいつも遠くにいた。

私達の方を向くこと無く、上を向いて、前を向いて、常に高みを目指して進んでいた。

そんな彼が好きだった。

その彼が知ってたよって。ありがとうって。

10月に、お前なんか20周年祝わせるかよと、逢いに行く事を拒否され、失意の涙と引き換えにキラキラした王子様グループSexyZoneに恋を始めた。

順調に王子様達との楽しい日々を過ごしていた矢先、急に、彼は遠くからこちらを振り返ったのである。

ずるい男。したたかな男。全てを計算しているのか?

やられていた。止まらない涙に、子供達も「そんなに泣いたら目が腫れるよ」二人とも心配してくれた。

「そうだね。」泣き疲れて、もう寝ようと思った。

コンタクトはどこへ行ったのか両目とも無くなっていた。そしてもう目が開かなくなっていた。

開かないのでもう腫れている事はわかっていた。

「はぁー」鏡を見る…………


!!!!!!!!!!!!!!!


恐ろしく腫れていた。

上も下も均等にボクサーどころではなかった。

娘もビックリして冷やすように促された。

上も下も水膨れである。

針で注したらぷちゅーっと水が出てくるであろう瞼、

鮭の稚魚が喉元にぶら下げているアレがぱんぱんの状態で瞼についていた。

もう、どうにもならないし、疲れたので泣かないように気をつけながら、その日は早めに寝た。


翌日。

当然まだ瞼は腫れていた。

かなり引いたとは言え、上も下もまだ腫れていた。

そして、鏡の中には、

山村紅葉がいた。

びっくりした。

こちらを見ているではないか!!


子供達爆笑。写真撮れと言われたが断固拒否!!!!

そっくりだった。

こうやって、わたしの山村紅葉は登場したのである。


会社にはメガネで行った。(コンタクト入らなかった為)

帰宅しても尚、紅葉は居座り続け、後2日間を共に過ごしたのであった。


その後も、私と櫻井翔との間では、度々涙を流す事象が起こり、その都度、山村紅葉がやってきては仲裁(?)してくれるようになったのである。


ごめんね、紅葉。

きっとまだ世話になる……

                                                                      完






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