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詳細プロフィール

基本情報

●名前:杉間馬男(すぎま・うまお)
●生年:1982年(38歳)
●身長:158cm
●最終学歴:大学卒
●家族:妻、子ども(1人)
●精神疾患:自閉症スペクトラム障害(旧:アスペルガー症候群)
●得意なこと:一人で黙々と作業すること
●苦手なこと:雑談、人づきあい
●生きがい:恋活・婚活に困っている人へ向けてアドバイスや発信を行い、『役に立った!』と感じてもらえること

生い立ち(長文です)

物心ついたときから変わった遊びが好きで、いちばんハマっていたのは紙工作。
カッコよく言えば”ペーパークラフト”ですが、自分が作っていたのは高速道路のミニチュアや、電車の線路と車輪だけ(笑)

当時からものすごい変わっていて、線路の上に車輪がキチンと乗っかっている様子をずーっと見ていらるような子どもでした。


初めて集団に放り出されたのは4歳の頃。
幼稚園に入園しました。

それまでずっと両親の元を離れたことがなかっただけに、初めて両親がいない環境に戸惑い、毎日泣いていました。
幼稚園は親が送り迎えする規則ですが、あまりに耐えかねて勝手に一人で帰宅した事があり、もちろん先生にこっぴどく叱られました。


小学校に入ってからも変わり者の頭角を現し、

●野球でヒットを打っただけで、我が物顔でホームベースまで走って、先生からも失笑を喰らった
●同級生とはほとんど遊ばず、一人遊びをするか、1歳上のADHD患者の男とよくつるんでいた
●同級生と遊んでいてもなぜかつまらなくて、断りを入れずに勝手に逃げ出すように帰ったこともしばしばあり、ヒンシュクを買っていた
●一度、同級生の誕生会に誘われたものの、プレゼントを持って来るという常識を知らず手ぶらで参加してブーイングを喰らい、途中でつまらなくなって帰宅し、数時間後に誘われていたメンバー全員で自宅まで怒鳴りこまれた
●話し方や言葉のチョイスが独特で、それをネタに笑われることが多く、『養護!』というあだ名がついたこともある
●そんなこんなで小学校は楽しかった思い出は少なく、卒業文集に書いた”好きな言葉”には『卒業』と書いた


中学校に入ってからも、

●何度か同級生との約束をブッチしたことがあり、そのうちの一人がキレてイジメられた
●修学旅行のバスの中で歌った歌がたまたまウケて、調子に乗って何曲も歌っていたら、『杉間くん、もういいよ』と皆の前で言われて恥をかいた

など、変わり者っぷりは健在でした。


高校に入ってからも、遅咲きのミニ四駆にハマり、それを学校に持ってきたことをネタにされ、面識のない奴にまでバカにされたこともありました。
自分ではそれがカッコイイと思っていました。

そして、高校入学してしばらくすると某有名ファーストフード店でバイトをし始めましたが、次々に入ってくるオーダーをうまく処理できないばかりか、複数人数で厨房に立っているときに自分の役割が分からずに動きが悪く、何度も注意を受けていました。

しかし、なぜか継続することは辞めずに1年、2年と続けていて、周りの先輩たちも早く辞めさせようと、

●お前には向いていない
●これだけ言っても変わらないなら教えがいがない

と、直接面と向かって言われたこともありました。

ただ、負けん気は強く、そう言われると火がついて少し真剣になり、それが実ってちょっとずつ認められるようになりました。
だけど、元々ニガテなことには変わらず、大学へ進学して22時以降も働けるようになった時は、当時30~40代のおっちゃん&おばちゃんたちと閉店作業に回っていて、最年少の自分は可愛がられていたので居心地は良かったです。


そんな自分もついに就活の時期になります。

・進学や資格の受験で失敗した事はほとんどないこと
・就活に必要な権威的な資格もすでに持っていること
・就職先の分野は自分が得意とする工学系
・教授推薦を取っていること

どう考えても自分は有利な立場だと思っていました。

当時、就活は大学3年生の秋ぐらいから少しずつリサーチをする学生が大半でしたが自分はのん気に暮らしていて、4年生になってから本腰を入れていました。

『何とかなるだろう…』

その考えは甘く、1社目に受けた会社からは不合格通知が・・・

理由は分かっていました。
一次面接で難しい質問をされた時に、答えにつまずいて的外れなことを言ったためでした。

このとき、初めていかに自分のコミュニケーション能力が劣っていたか、知らしめられました。

その後、2社目、3社目、…と受けるも次々に落とされ、そうしていくうちに面接がトラウマになり、人と話すこと自体にも苦手意識が強まってしまいました


そして、ようやく拾ってくれた会社に入社してからも、自分のキャラの濃さや居心地の悪さが浮き彫りになりました。

入社1年目の忘年会、早速2年上の先輩とケンカすることになりました。

ケンカと言っても軽い言い合い程度でしたが、自分も相手も剣幕だったので別の大御所の先輩が止めに入る事態になりました。

キッカケは飲み会のこと。

自分は飲み会はおろか複数人数で集まるイベントが嫌いで、できれば断り続けたいところでしたが、新入社員という立場が足かせになってあまり強く主張することができませんでした。
詳しく話すと長くなるので話しませんが、要は飲み会がらみの”言った、言わない”で揉めたのでした。

その後、だいたい5年目ぐらいまでは立場も立場なので最小限に参加するようにしていましたが、やっぱりどうしても人との交流は億劫だったので、飲み会やイベントが楽しいと思ったことは一度もありません。

勤続年数も2ケタに突入した頃、自分もチーフ的な立場になってから徐々に仕事以外のイベントごとからフェードアウトし、やがて全く参加しなくなり仕事だけしていればいいようになりました。


しかし、今度は仕事面での心身的な負担が大きくなります。

ある時、プロジェクトのリーダーを任されました。

それまでは、自分の仕事をキッチリこなしていれば評価されていたのですが、職能的にも若手社員たちを管理する側になり、それまでとはまるで仕事の勝手が違っていました。

・部下の仕事にも責任を持たないといけない
・自己管理だけできていればいいものではない

そういう立場から軽度のうつ症状をきたし、心療内科で診てもらったところ発達障害の検査を勧められ、

【自閉症スペクトラム障がい(旧:アスペルガー症候群)】

と診断されました。


その診断で一時頭が真っ白になりましたが、これまで自分が『生きづらい』と感じていたことの理由のほぼ全てがそれで説明がつくので、半ば安心しました。

・人づきあいが億劫なのも
・部下の管理ができないのも
・年齢相応の常識を知らないのも
・変なこだわりを持っていることも

ほとんどがこの障がいのせいだったのでした。


できることとできないことの差が激しい特徴もあり、できないことにはいつまでも執着せず、得意なことを伸ばしていくというように考えが変わりつつある、今日この頃です。

恋愛での失敗談

人づきあいが億劫だと思いながらも、ロマンチックな恋愛はしたいと願っていました。

しかし自分は、変わっていることの他に

・ブサイク
・おしゃれ気なし
・チビ
・非力
・会話がヘタ、続かない、面白くない

数ある不人気要素のほとんどを制覇したと自負していますから、恋愛なんて遠い世界だと思い込んでいました。

特に、おしゃれなんて努力すればいくらでも変えられますが、そこに価値を感じず、服は親のおさがり、髪型は安いスポーツ刈りで済ませていました

プロフィール画像も、ぶっちゃけブサイクですよね(笑)
今ではイメチェンして(整形ではありません…)感じは変わりましたが、当時は本当にあのような顔立ちだったんです。


そんな自分も20歳の頃に、初めて女性のほうからアプローチを受けました。
何も努力していないのに不思議なぐらいでした。

自分はその人にあまり興味はなかったのですが、好意を持たれるとこちらも『好きなのかな』ってなりますよね。
いわゆる、”好意の返報性”ってヤツです。聞いたことがある人もいますよね。

結局告白は自分からして付き合うことになりましたが、わずか24日でフラレることになってしまいました…

その当時、理由は全く分かりませんでした。

『なんで!?向こうから近づいてきたのに・・・』

いきなりのことだったのでショックが大きく、気持ちを吐き出す意味も含めて色んな人に話しまくりましたが、そのうちの一人がキーポイントになるようなことを教えてくれました。


女性って、そんな特徴があるんだ・・・


本当に衝撃的でした。
付き合っていた頃の自分はひたすら逆のことをやっていたので、あんなに短期間のうちに終ってしまったのでした。


それを知ってからは女性に対する接し方にも気をつけていましたが、それとは別にやはり会話力のなさが弱点でした。

・会話が続かないことへの焦り
・相手の反応がなかった時のむなしさ

が怖くて、女性と会うのも余計に緊張してしまうようになっていました。

場数を踏んで、運よくいい感じになれた女性もいましたが、やっぱり会話がぎこちなくて相手がだんだん離れていくのが王道パターンに。


そして、リア充な友達がいないことも恋愛では不利になっていました。

【類は友を呼ぶ】

とは上手く言ったもので、記事の初めに”ADHD患者とつるんでいた”と書きましたよね。

ADHDとは”注意欠如・多動性障害”というモノで、難しい話はヌキにすると、周囲からは【落ち着きのない人】と思われています。
杉間馬男の友人もそういう特徴で立ち居振る舞いや言動も個性的で、加えて自意識過剰という特性の持ち主です。

ADHDも発達障害の一種であり、自分も自閉症スペクトラムということで、仲良くなった当初はお互いに発達障害であることは知らなかったものの、そういう面で何となく波長が合うなぁとお互いに感じたのでしょう。

彼もまた、周囲からバカにされた笑われ者で、彼の同級生から直々に、

『アイツとつるんでいると、バカが移るぞ!』

と言われたぐらいでした。


・ヤンキーは不良仲間と
・イジメられっ子はイジメられっ子同士と
・スポーツマンはスポーツ仲間と
・お金持ちはお金持ち同士
・オシャレさんはオシャレな者同士

そんな具合に、みんな似た者同士がくっついていますよね。

杉間馬男は俗に言う”隠キャ”なので、リア充たちに囲まれるなんて到底あり得ませんでした。

リア充たちからしてみれば、隠キャとつるむと自分の株が下がってしまうので、関係を持つことを拒みます。

そんな具合に同性からも遠ざけられる存在なので、異性が寄ってくるはずはありませんよね。


もはや出会いを自然に任せる作戦ではムリだと感じ、あらゆる試行錯誤を重ね、今ではほぼ理想に近い妻と結ばれ、子どもも授かりました。


杉間馬男があなたに教えられること

・彼女が欲しいのにいくら頑張ってもできない…
・それどころか、ちゃんとした友達すらできない…
・普通にしているのに笑われる…
・彼女ができてもすぐにフラれる…
・なぜか、人から距離を置かれる…
・そんな風になってしまうのは、ブサイクだから?

もし、これを見ているあなたがこんな経験をされたことがあるならば、わたくし杉間馬男が力になれることは多々あります。


自己紹介したように、わたくしはプロの変わり者です。

変わり者が恋愛で不利なのは間違いありません。

リア充の友達がいることで、恋愛が有利になるのも本当です。


そういうことがうっすら分かっていたので、わざと別のキャラを演じたりしてみたこともありましたが、不自然になる上に、たまたま上手くいっても後でボロが出ます。
何より、別人格を演じていることが苦痛でした。


じゃあ、どうすればいいのか・・・?


わたくしのこれまでの経験から、

・恋愛の土俵に立つために、まずしなければならないこと
・会話が苦手な人の恋愛戦術
・リア充な友達がゼロの人は何をすべきか?
・変わり者でも強みがある!それを見つけて伸ばし、相手に上手く伝えるには?

という、友達⇒恋人に昇格するためのポイントから、

・自分が”本当の意味で”理想としている相手の像を知ること
・上手な本性の出し方
・結婚後、尻に敷かれないために必要な布石

など、恋人⇒結婚相手になるための準備まで、総合的にお伝えすることができます。


変わり者&ブサイクにもできたのだから、皆さんにもできないはずはありません!

わたくしの経験からあなたの弱点を見出だし、理想の方向へ導くお手伝いをいたします。

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