まだ五歳児な話

ツイッターで中年女性の嘆き?のような漫画を読んだ。昔、友人と縁を切ってしまったことを中年になっても引きずっている、といった感じの内容だった。ログインしなくても読めるところまでしか読んでいない。自分をその漫画の中のキャラに当てはめるとしたら、多分メガネの子になると思う。

でも、読んでいて辛いなーとは思っても、共感までは行けなかった。共感するには、私の経験値が足りなかった。それがすごく苦しかった。

まだその段階に達していない!もうすぐ二十歳なのに!

人間関係の悩みとかそんなハイレベルな悩み経験したことない。私の主な悩みは椅子に座ってられないことと歩くのが下手なことと人見知りなこと。クソ。なんだそれ。五歳児か。
何者にもなれない辛さはうっすら分かるけど、私は生きているだけで「何者か」すぎた。自分というものを感じない瞬間が無かった。こんなギクシャクした人間ふつう居ないし、学校でも超低レベルの外れ値だったし。それゆえに友達いなかったし。

言ってしまえば「正しい発達を経て正しい壁にぶつかりやがって!こちとらなぞのばしょから動けないんだよ!」って感じ。ぐ。苦しい。もっと想定されてるケースになりたい。『二十代を前にしてまだ精神年齢が五歳な人間に送る人生攻略本』とか無いですか。

多分成長するためには「痛み」を経験するのが一番手っ取り早いのだと思う。それこそ漫画の通り、友人と喧嘩するとか、親に反感を覚えるとか、自分の駄目なところを理解するとか。
正直全部分からない。いや、自分が気づかなかっただけでそういうイベントもあったのかもしれないが、「イベントが、あるなあ」と思っていただけだった。それに対する蟠りとか納得のいかなさとか全部そこに置いてきた。痛いのをわざわざとっておく意味がよく分からなかったから。
例えとかじゃなく、それ全部発達の糧ですよ。うー。

今から発達するには、小さい子がちょっと擦りむいた程度でに泣いてしまうように、多分しばらく痛みに耐えなければならない。とっくに泣いて良いフェーズは終了しているので泣くのも我慢しなければならない。
でも擦りむきの痛みは「歩く」という必須条件から逃れられないからいつか慣れるのであって、人間関係という現代の技術でいくらでも回避可能なものに痛みが発生するなら誰だって回避するだろ、と思う。慣れるのは痛みに鈍い人か、そうしないと生きていけない人だけ。ぐ。うあー。助けてくれ。

幸運にも私は今大学に属しているし、本も読める(読解力は微妙)し、短期バイトの予定もある。転ぶことは前提としても、痛みの感覚に慣れることは出来る。いや本当に痛いのマジで嫌だけど、将来ショック死しないようになんとか頑張るしかない。

嫌だーーーーーーッッッッ!!!!!

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