<UMA遺産 第8回>あの「人魚のミイラ」が保存されている西光寺の学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)「人魚のお堂」 ~和歌山県橋本市学文路(かむろ)エリア
UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第8回目は・・・・。
「人魚」
「人魚」"河童"や"天狗"と同様、人魚も立派なUMAである。それも日本だけでなく世界中で、その存在を知られている。イメージも他のUMAのように恐れられる存在ではなく、むしろ“一度見てみたい”と思うような好意的なものが多い。人魚のイメージは、一般には「マーメイド」的な西洋風なブロンド美女を想起される方が多いと思う。
これは、北欧デンマークの著名童話作家アンデルセンの「人魚姫」の主人公からのイメージが強いと思われるが、また一方で、海洋生物の「ジュゴン」を当時のポルトガルの海賊が見間違えて、そのまま言い伝えられ現在に至る「人魚伝説」など、西洋でもさまざまな伝説の主人公となっており、いわば非常にメルヘンなUMAとも言える。
「人魚」のイメージ
人魚の正体?「ジュゴン」
今回は、「UMA CREW PROJECT」として、ファンタジー風のマーメイドではなく、あくまで日本古来から存在が噂され、時折「妖怪」にも分類される「人魚」にフォーカスし、あの「人魚のミイラ」の話も織り交ぜ、お届けすることとする。
古くは「日本書紀」にも登場する「人魚」の目撃例
「人魚」は、ご存知の通り、上半身が美しい女性で下半身が魚類という、グロテスクなビジュアルであるにも関わらず、河童や天狗などに比べて恐れられるどころか、むしろメルヘンやおとぎ話の世界に登場する人気キャラクターとしての印象が強いと思われる。それほど、人間界との付き合いも長いのかもしれない。日本での人魚の存在の言い伝えも古くからあり、最古の記録は西暦619年、『日本書紀』で下記の記述がある。
<口語訳要約>
“西暦619年、推古天皇27年4月、近江国(現・滋賀県)から「日野川に人のような形をした生き物がいた(魚と思われるが人の形をしている)」と報告があり、同年7月、摂津国の漁夫が水路に網を仕掛けたところ、「人の子供のような生き物が捕れた。魚でもなく人でもなく、何と呼ぶべきか分からなかった。”
また、聖徳太子が近江国でこの地を訪れた際に人魚に出会い、その人魚が前世に漁師をしており殺生を業としていたために、その悪行で人魚に姿を変えられたと聞いて、観音正寺(かんのんしょうじ)に手厚く供養したという言い伝えもある。そして、この観音正寺には人魚のミイラがあると言い伝えられていたが、1993年(平成5年)の火災で焼失し、その存在は謎のままである。
日本全国各地に伝承されている人魚伝説の中には、人魚を恐ろしい存在とされるものと吉をもたらすとされるものがある。江戸時代に、越中国(富山県)では、角のある全長11mに渡る人魚を450丁もの銃で撃退としたと伝えられている。また、若狭国(福井県南部)では、漁師が岩の上に横たわる人魚を殺してしまったところ、大波や地震がしばしば発生し、人魚の祟りと恐れられたという。
一方で、吉兆の説とされるものが、今回の本題となる「人魚のミイラ」にもつながる。不老長寿や無病息災を願う庶民の信仰の対象として、崇められる存在となっている。
学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)「人魚のお堂」に保存されている「人魚のミイラ」
2015年に開創1,200年を迎え、2004年『紀伊山地の霊場と参詣道』、2016年『高野参詣道』として世界遺産にも認定された、天空の聖地「高野山」(和歌山県高野町)への参詣道の一つ「不動坂道」の登り口にある西光寺の学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)にそれは保存されている。
「西光寺」 ※提供:橋本市観光協会
「学文路苅萱堂(かむろかるかやどう)」
※提供:橋本市観光協会
今回の本題であり、テレビのワイドショーや東スポ等でもお馴染みの「人魚のミイラ」である。入り口には、「人魚のお堂」の看板もあり、それらしい雰囲気が漂ってくる。全長約65cmで、歯がなんともリアルな剥き出し状態で、まずもって不気味な表情に、尾びれから鱗まで魚の姿をした下半身も、いかにも恐ろしい姿である。
「猿と魚の合体レプリカ」と噂されたり、「推古天皇の時代に捕えられた、日本書記に出てくるあの人魚」などの諸説が言い伝えられる中、すべては謎ではあるものの、このエリアの高野山の庶民信仰を伝える貴重な歴史資料となっている。
そして、これらの功績もあり、この「人魚のミイラ」は、2009年、和歌山県教委員会より、県有形民俗文化財に指定された。伝説の生物が都道府県の文化財に指定されるのは、これが初めてという。
ただ不気味なはずの「人魚のミイラ」が、和歌山県の有形民俗文化財に指定されたことは、UMAファンにとっては嬉しく、喜ばしい。そして、その背景には、このエリアの厚い信仰の対象となった、仏教の教えを庶民に伝えた「高野聖」(こうやひじり)が伝承してきた、親子の悲しい物語がある。
「人魚のミイラ」が支えた親子の悲しい絆~「石童丸物語」
平安時代末期、筑紫国(福岡県)の領主が、側室である千里ノ前に嫉妬する本妻を見て出家し、高野山で苅萱道心(かるかやどうしん)として修行に励んだ。千里ノ前は播磨国(兵庫県)に移り、石童丸を産むが、苅萱道心はもちろんそれを知らなかった。
石童丸14歳の時、千里ノ前と共に高野山の父に会いに行った。ところが当時、高野山は女人禁制。石童丸は母を学文路の宿に残し、単身で高野山を登り父を探した。
そして、2人は出会うもののお互いに誰かはわからない。父である苅萱道心は石童丸の話からこの子が息子であることを悟るが、俗世を捨てて修行に励む身として、決して親とは名乗らず「そなたの尋ね人は亡くなった」と母のもとへ帰してしまう。
途方に暮れて下山した石童丸に、さらなる悲劇が訪れる。母が長旅の心労から急逝したのだった。悲しみの中、石童丸は母を学文路で葬り、再び高野山で苅萱道心に弟子入りしたという。苅萱道心は親子の絆や仏の導きを感じつつも、生涯父であることを明かさなかったという。「人魚のミイラ」は、千里ノ前が生涯大切に持っていたものとされる。
ちなみに、学文路苅萱堂の前には、この物語ゆかりの対象物が多数伝わり、石童丸、苅萱道心、千里ノ前、玉屋主人(石童丸親子が宿泊した宿の主人)の座像4体も安置されており、これらを含め合計32点が、県指定有形民俗文化財となっている。
千里ノ前が生涯大切にした不老長寿をもたらすと言い伝えられる
「人魚のミイラ」 ※提供:橋本市観光協会
「日本書記」に記された近江国「人魚伝説」との関連性が・・・。
この人魚のミイラは木箱に納められ大切に保存されている。木箱に目をやるとそのふたには、『日本書紀』と記されている。つまり、今回冒頭で紹介した、日本書記の登場した人魚の目撃例とつながるのだ。
この関連性の研究者によると、西暦619年に近江国日野川で捕獲された人魚は兄妹であり3体(3匹、3人?)いたとされ、1体はその場で捕らえられてミイラとされて地元の近江国(滋賀県)願成寺に安置され(非公開 ※1993年焼失とされる)、1体は川を遡った日野で殺され、葬った場所に人魚塚(滋賀県日野町)が建てられたという。そして、最後の1体は通りがかった弘法大師のお供をして高野山に行ったという。つまり、この最後の1体が、学文路苅萱堂に安置されているこの「人魚のミイラ」であるという。
日本書記に記された「人魚伝説」から、弘法大師に高野山、「石童丸物語」まで、人魚をめぐる伝説が1,000年以上の時を経て、今に語り継がれていることが分かる。「人魚のミイラ」と聞くと恐ろしいものとばかりに思っていたが、その背景にある数々の伝説やエピソードに触れるにつけ、人魚が日本でも世界でも妖怪やUMAという存在を超えて、私たちに時に恐ろしさも、幸せや吉兆やファンタジーをも含め、様々な思し召しをくれる存在であることを改めて認識できたように思う。
きっと、さらに実物を目の当たりにすることで新しいインスピレーションに導かれることだろう。いつの日か、UMA愛好家の皆さんと、高野山を参詣し、和歌山県橋本市「学文路苅萱堂」の「人魚のミイラ」を崇めながら、不老長寿、無病息災を願うことを「UMA CREW PROJECT」のミッションとして掲げたい。
「UMA CREW PROJECT」がプロデュース
イラストレーター くろうさぎさん(https://twitter.com/haneusa000)に
書いて頂いた人魚!
※「UMA CREW PROJECT」公式Twitter(https://twitter.com/CrewUma)
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