<UMA遺産 第14回>「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)」神話ゆかりの地~島根県雲南市・奥出雲町・出雲市エリア
UMA(未確認生物)出現が噂されるミステリアスなエリアを、UMAゆかりの聖地として、「UMA CREW PROJECT」が独断と偏見で選定、紹介する「シリーズUMA遺産」。第14回目は・・・・。
「八岐大蛇」
「八岐大蛇」といえば、思わず寒気がする方もいるかもしれない。そう、八つの股・頭・尾を持つ大蛇で、日本神話に登場する怪物の中でも、最も恐ろしいとされる伝説上の生物だ。
怪物でもあり、生物でもあり、神話や伝説に登場する想像上の存在かもしれず、実際に見て確認されたか否かは謎である。ということで、「八岐大蛇」も立派なUMA(未確認生物)として、今回のテーマに取り上げてみる。
「ヤマタノオロチ」は、日本神話の「古事記」「日本書紀」にも登場する。古事記での表記は「八岐大蛇」、日本書記での表記は「八俣遠呂智」となっている。
日本の高志と言われていた地方で、越国(こしこく:山形県庄内地方、新潟県、富山県、石川県、福井県をまたぐ地方)から来たとされる。
ヤマタノオロチの名前の由来は諸説あるが、「オ」は「峰」、「ロ」は接尾語、「チ」は「霊力」の意とされている。それらをつなげた「オロチ」は山々を水源とする河川の化身を意味しており、後に「大蛇」の漢字を当てたという。本来は、山神または水神であり、地方によっては八岐大蛇を祀る民間信仰もある。
『日本略史 素戔嗚尊(スサノオノミコト)』に
描かれた八岐大蛇(月岡芳年・画)
そして、その風貌はというと、古事記によれば、頭が八つ、尾が八つ、谷を八つ渡れる大きな身体で、その表面にはコケやヒノキ、杉が生え、腹は血で赤色に染まり、目はまるで、ほおずきの如く真っ赤だということだ。
ヤマタノオロチの「ヤマタ」は、八つの股を意味するとされるが、一説によると、股が八つの場合、頭は九つではないかという指摘もある。そんな中、日本神話の世界で、「八」は数が多いことを意味することから、八岐大蛇も、いくつもの股がある大蛇ということなのだろう。まさに、古代のUMAといったところか。
『神代物語』 佐藤小吉著 大日本図書/国立国会図書館蔵
「八岐大蛇伝説」
全国的に有名な「八岐大蛇伝説」とは、出雲地方発祥であり、「八岐大蛇」を日本で最も恐ろしい怪物として古事記が編纂されてから1300年以上に渡って、言い伝えられてきた神話である。
日本古代の歴史をしっかり刻んだ神話であり、伝説であり、そんな局面に登場した八岐大蛇とは、一体何者なのだろうか?伝説を振り返りながら、その正体を見てみよう。
「八岐大蛇伝説」は、日本の総氏神の天照大神の弟にあたる神様、須佐之男命が主人公となり、八岐大蛇を退治し、平和な世の中を作っていくという神話である。
姉である天照大神との誤解から、姉と住んでいた高天原を追放され、須佐之男命は出雲国(現在の島根県)の流れる、斐伊川上流の鳥髪という地に降り立った。
須佐之男命が上流へ向かうと、一人の娘、奇稲田姫を囲んで泣いている老父、脚摩乳と、老婆、手摩乳と出会う。
泣いている理由を尋ねると、「我が家の八人の娘達を、毎年八岐大蛇がやって来ては、一人ずつ食べていくのです。そして、今年もまた八岐大蛇がやってくる時期がきたので、最後の娘である奇稲田姫も、食い殺されてしまうかと思うと涙が止まらない」とのことだった。
須佐之男命は、その八岐大蛇について尋ねると、前述のような何ともその恐ろしい風貌と聞かされ、暫し思案するうち、「私が八岐大蛇を退治しましょう。その代わり、あなたたちの娘、奇稲田姫と私を結婚させて下さい。今から私の言う通りにすれば、怪物は必ず退治できます。」と提案した。
脚摩乳と手摩乳は、迷ったが「娘が助かるなら」と、須佐之男命の提案に全面協力することにした。
水木しげるロードに設置された
須佐之男命と八岐大蛇像
須佐之男命、見事な作戦でヤマタノオロチを退治
須佐之男命は、退治の準備として、まず嫁になる奇稲田姫を守るために、彼女を爪櫛の姿に変え、髪に刺した。そして、脚摩乳と手摩乳に、「八回醸造した強い酒を造り、垣根を作り、そこに八つの門を作り、門ごとに八つの棚を置き、その棚のすべてに酒を置くように。」と指示する。二人はその通りに準備し、八岐大蛇がやってくるのを待つことにした。
そこへ、八岐大蛇が轟轟しい地響きを立てながらやってきた。八つの門にそれぞれの頭を入れ、用意しておいた酒を豪快に飲み始めた。そうしたところ、泥酔してしまい、八岐大蛇はすさまじいイビキをかきながら爆睡した。と、その時、須佐之男命は刀を振りかざし、勢いよく八岐大蛇に切りかかり、身体を切り刻んでいき、見事に退治することに成功した。
この時、刀が八岐大蛇の尻尾を切り落とそうとした時、何かが刃先に当たり、切り刻んでみると、なんと剣が出たという。この剣が、天叢雲剣で、須佐之男命は、姉である天照大神に、この剣を献上したと言われている。
この剣こそが、後に皇室における皇位の印として、代々の天皇が伝承する三つの宝物となる三種の神器の一つとなる、天叢雲剣である。草薙剣と呼ばれることもある。
八咫鏡、八坂瓊曲玉とセットで、三種の神器として、天孫降臨に際し、天照大神から授けられたものとされている。
八岐大蛇が住んでいたとされる
「天が淵」への道標
八岐大蛇が住んでいたとされる「天が淵」
なにやら河童が出てきそうだ…
日本で初めての宮殿、日本初の和歌が詠まれた地、須我神社
ヤマタノオロチの退治に成功し、出雲のこの地が気に入った須佐之男命は、ここに奇稲田姫と住むための宮殿を造ることにしました。それが、古事記・日本書紀に記載されている「須賀宮」であり、日本初之宮、現在の須我神社となる。
この宮殿を作る最中、雲が立ち上がった様子を見て、須佐之男命は歌を詠んだという。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」
訳:幾重にも重なり合った雲が立ち上るこの出雲(雲のいずる)の地。
この地に妻を招き入れるための宮を作ったが、幾重にも重なり合ったこの雲のような垣も作りたいものだ。
須我神社
須我神社にある須佐之男命が詠んだ
日本初の和歌の石碑
須我神社にある「日本初之宮」の石碑
須我神社 奥宮
奥宮には、大小三つの巨岩の岩倉があり、その巨岩は
須佐之男命と奇稲田姫、
その御子神であるヤシマノミコトの神霊が鎮まっている。
それ故に、良縁結び、夫婦円満、子授けの御利益があり、
パワースポットにもなっている。
「八岐大蛇」の骨が奉納されている「須佐神社」
さて、八岐大蛇を調べるうち、気になる情報を入手した。
出雲市の須佐神社には、八岐大蛇の骨が奉納されているらしい。須佐神社は、須佐之男命が、八岐大蛇を退治した後、家族とともにこの地にやってきて、最後の開拓開墾を行った場所だ。そして、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと「出雲国風土記」記されているという。
また須佐神社は、須佐之男命の御魂を祀る唯一の神社とされ、祭神は須佐之男命と、妻のクシナダヒメノミコトと、その両親であるアシナズチノミコト、テナヅチノミコトの、八岐大蛇退治に登場する四神が祀られている。
パワースポットとしても有名で、良縁・子孫繁栄・家内安全・諸障退散などのご利益があるとされている。
八岐大蛇の骨が奉納されている
「須佐神社」
そして、須佐神社の中でも、とりわけ強力なパワースポットとなっているのが、本殿の裏手側にある樹齢1300年を超える、この御神木周辺と言われている。この「大杉」は、周囲が7m、根の回り9m、樹高約24mの大木である。
残念ながら、現在はこのご神木に、直接触れることはできないが、近くに寄るだけでパワーをもらえそうな、荘厳な雰囲気を醸し出している。
須佐神社の御神木「大杉」
さらに、気になる八岐大蛇の骨だが、調べたところ、確かに存在している。宮司さんに依頼して、見せて頂いている人もいるようだ。個人のブログで発信されている方もいる。
ここでもお見せしたいところだが、現地取材訪問の機会に恵まれず、残念ながら、またの機会とさせて頂きたい。
さて、お届けしてきた「八岐大蛇」いかがだっただろう…
今から1300年以上も昔にも、世の中を脅かし、神話にも登場する、この奇怪な怪物は天災や水害などの象徴として、人々が捉えていたのかもしれない。だがしかし、それほどの歳月の向こう側には、これこそ伝説として語り継ぎたいほどの怪物なのか化け物なのか、八岐大蛇のようなUMAが出没していたのではないだろうか…
古への想像を膨らませつつ、この「島根県雲南市・奥出雲町エリア」をUMA遺産として認定したい。
出雲大社を訪れた際には、是非ともパワースポットである須我神社、須佐神社も訪問し、須佐之男命と八岐大蛇伝説を思い起こし、恋愛成就や縁結びを、お祈りされてみてはいかがだろうか?
◆須我神社
住所:島根県雲南市大東町須賀260
JR松江駅より一畑バス「大東行き」に乗車、須我バス停で下車徒歩3分。
◆須佐神社
住所:出雲市佐田町須佐730
JR出雲市駅よりバス約40分出雲須佐下車タクシー5分
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