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2020年パチ禁日記

はじめまして、馬秩(うまちつ)太郎と申します。
実は私2020年の12月末からパチンコを禁止しておりまして、その間に書いていた日記を掲載させて頂こうかなと思います。


<序文>
いつだって享楽の対価には破滅が潜む。
無論享楽と言ってもパチンコメーカーのアレでは無い。

俺は5日前の金曜、数時間打った後にプラマイ0で終われたので帰ろうかなと思っていた。
無論その数時間は財布の中に潜む数字が激しく乱高下する激闘だったので、あの時点ではパチンコを打ち続ける事に未練はなかった。

しかし最後に打った“とある魔術の〜”なるパチンコで遊タイム突入8回転前に当たり、4R2連終了で800発しか出ない不甲斐ない結果。
未練は無かったが、不満があった。

不満が積もれば狂った行為にも手を染める。
財布の中には13000円、1パチを打つには十分すぎるが、レートを上げるには心許ない額。
しかし狂っているので20スロのジャグラーに手を染めてからはあっという間で、気付けば鈍重の極み、光る気がしないハナハナの前で最後の50枚を突っ込んでいた。

外は実に寒く、少し溶けた雪があちらこちらに散らばっていた。
賭博で熱くなって火照った身体には丁度良いかと思ったけれど、冷たい風が胸にぽっかり空いた穴を通り抜けて凍えるようだった。


と言う訳で、俺は決めたのだ。

今年中はパチンコに行かないと!


勿論、打ちたい台が無い訳ではない。
ひぐらし祭2とか凄い面白そうなので、1日中ボーッとしながら打てたらどれだけ楽しい事だろうかと思っている。

しかし、今の俺はパチンコにちょっと冷めてしまっている。
パチンコで勝とうが結局はまたパチンコにぶち込むだけのサイクルにそれらしい意味は無い。
打っている最中、にわかに沸き立った熱は結果的に敗北を以て終わるのだ。

この様な気持ちで行って、勝とうが負けようが楽しい筈がない。
勝っても負けてもエッジの効かないぼやけた何かが残るだけだろう。

なので俺はこう考えた。
パチンコを1番楽しくさせるものは何か、それは懐かしさである。
いつだって過去の記憶は美しいのだから、パチンコを打っていた事を過去にしてしまえば良いのだ。

つまり、パチンコを打たない期間を設ける事でまたパチンコを楽しく打とうと、こう言う訳である。

と言う訳で俺は4日前の19日からパチ禁をしている。
もっと言えばパチ禁の理由を思いついたのが書いている最中なので、本格的なものは23日からになるだろうか。
三が日は打てないと仮定すると、次にパチンコを打つのは1月4日の予定である。

これは16日間を経て、俺はまた楽しく打つ事が出来るのだろうかと言う話なのだ。

明日から日記を付けようと思う、それではまた今度。


<1日目>

設定つき甘デジはこの先生き残れるのだろうか。

例えば最近出たホームランキングのように釘が無いタイプだったら意味を成すかもしれないけれど、これから先普通のST、確変機で高設定を使われる未来が全く見えない。

設定を付けた事で一番辛いであろう設定にされ、さほど回りもしないので誰も打たず、いつの間にか消えていったパチンコ台はいくつもある。

高設定にしたとしても回さなければ良い事だし、なんなら回さない店が高設定を入れる事はないのだ。

結果的に打たれるのは設定が付いていない物である。
それはそうだ、だって平打ちが出来るのがパチンコなんだもの。
わざわざ低設定と分かっているものを打つ程台に愛着も、熱意も無い。

そう言えばセブン2甘は設定付きだけど1でもボーダーが低めで連チャン性もあるから全然打てるなあと思ったが、良く考えたら最高3連しかしていなかった事を思い出した。

<1.5日目>

夜中に胸がざわつく。

しんしんと悲しくなっている胸の内には空いた穴がある。そしてその穴の形はパチンコの台を成している。

おそらく“打ちたい”というより“寂しい”のだ。
今まで行っていた事を期間を決めているとは言え辞めたので、身体の方が困惑をしている。

そりゃあ俺だって出来るなら打ちに行きたい。
それこそ胸のざわめきを治める特効薬であると思う。

だけどもこの寒い中歩いて打ちに行き、財布の中身を空にすると言うのはあまりに身が凍える。

思えば今日はクリスマスイブ。
だからどうしたと言う事も無いけど。

<2日目>

意識が支配されかけた。
打ちたい欲求だけが先行して、何を打ちたいかが決まっていないのにパチ屋へ向かう所だった。

何を打っても、1週間近く経った今ならそこそこ楽しく打てるだろうと言う楽観が芽生えてきている。

そうして浮かれた気分で行ったパチンコ屋で流した涙の数の多さを忘れている訳では無いのに、良くないポジティブに絆されそうになる自分が居るのだ。

幸い今日は何とか耐え切れたが、明日はどうなるか分からない。
パチンコに行かない事で得られる物は日々の安寧であるはずなのに、何故だか家で浮き足立ってしまう。

恐らく、パチンコに行かない事で“得られる”安寧では無く“戻った”安寧と感じているのだと思う。
言うなればマイナスが0に戻っただけ、スポンジが膨らんだ訳ではなく凹んだのが元に戻っただけなのだ。

それじゃあ浮き足立つのも仕方無いよなあ、と思ったけれど今日は12月の25日。
丁度いいからクリスマスのせいにしてしまおう。
クリスマスなんて物はソワソワする為にあるのだ。

<3日目>

もう完全に、行く気。

隙さえあればパチンコ屋に猪突猛進しようと思い始めている。これが猪年生まれの性か。

それでも何とか理性の一片が堪えようとはしているけれど、身体が余りにも前のめりなので意味が無い。

ここ3日くらいはYoutubeで打ちたいなあと思った台を探して視聴しているけれど、いつの間にか打ちに行く代替では無く行った時の予習と化している始末である。

なんだろうか、この闘志満々かつ鬱々たる気持ちは。
年を越してからパチンコに行こうと思っている人間がなって良い感情ではない。

俺は果たして“新年明けましておめでとう”と言えるのだろうか、と言うかその前に2021年までパチンコを控えられるのだろうか。

クリスマスを過ぎたら後は新年......ではあるが、今の俺が何とか2021年になるまで耐え切る為に、その間にもう一つイベントが欲しい。
乗り越えた感の無いクリスマスと乗り越えられなさそうな新年の間に何か一つ劇的な物を......。

あ、そうか。

パチンコを打てば良いのか。

......本末転倒で本文も末。

<4日目>

行った。パチンコ屋。

徹夜をしていたら眠るタイミングを見失ってしまった為、朝9時になった頃合いを見てホールへ向かった。軽快な足取りで。

8日間ぶりに海物語に座ってみると......うん、普通。
沸き立つ事も無いのでとりあえず打ってみると、1400円で当たり2000発少々の出玉。

これで遊べるかな、なんて思っていた自分の甘さに気付くのは1時間とちょっと後で、2000発が呑まれて追加投資の末手持ちが残り3000と900円になってしまった。ちなみに今回財布には8900円を入れていた、これくらいあれば1パチを気ままに打てる程度の額だろうと思っての事である。

しかし、残金を思うと気ままに打てなくなってしまったので20スロの6号機ジャグラーに特攻。
脳内で今日の悔恨を巡らせながら打つと、1000円で光りビッグ。
千載一遇のチャンスではあるが、コレを呑ませてしまった時に心が耐えられる気がしない為即流し。

手持ちが8000円に戻ったので色々と甘デジを打つが、当たれども連チャンしない。
段々と目の前の台が褪せてきた。どうせ当たっても連チャンしないだろうと思うだけでここまでテンションが下がる物か。

3000円目を海物語3R2にぶち込む。
手持ちが5000円になったのでまたピエロと激闘を繰り広げようとして席を立つと、4が間延びしてテンパイ。もう一度着席。
当たったので3200円目の貸玉を押し、左下を見ると10Rのセグ。

そこから偶数図柄で揃ってもラウンド終了後に昇格するわ、時短に突入しても引き戻すわで14連。
今日のヒキはおそらくここに集約されたんだと踏んで帰宅、の前に近場のスーパー併設のゲーセンに寄った。これはウイニングランとほぼ同義である。

しかし、日曜だし年末だしもあって人が多い。
そしてこの人の多さにめちゃくちゃ違和感を覚えてしまうのは今年色々あったからだろうなあと思って家へ帰った。

<5日目>

今日も打ちに行った為、パチ禁日記としての体を為せない。

今回は1パチ甘で3600円負けたものの、1パチの乙女6で起死回生出来たので20スロのひぐらし祭2を打った。CZまで打とうと思ったが当たったし連チャンも出来たので楽しかった。

......夏休みの日記かな?

<6日目>

今日も今日とてパチンコへ。
9時半にはホールに着いていたのにひぐらし祭2が打たれていた。
しょうがないので1パチの牙狼コレクションでお茶を濁す。
確かにAタイプパチンコではあるけど、ひぐらし打ちにきて牙狼コレを打つ事になるとは。

2、30分後に見に行くと空いていたので着席。
手持ちの半分である1万3、4000円ぶち込んでレギュラーだったので絶望に浸りかけたがそこからあまりハマらず連チャンしたので最盛期には1800枚弱に。
結局600ハマって辞めたので1200枚ちょっとで終わったが、あの展開から勝てるだけで万々歳なので文句を言うつもりは無い。

ひぐらしが6号機である事を感謝しつつ退店し、適当なファミレスでトマトソーススパゲティとサラダを食べた。

<7日目>

アストラギウス銀河を二分するギルガメスとバララントは、もはや開戦の理由など誰も知らない戦争を100年も続けていた。その“百年戦争”の末期、ギルガメス軍の一兵士キリコ・キュービィーは、味方の基地を強襲するという不可解な作戦に参加させられる。その作戦でキリコは軍の最高機密「素体」を目にしたため軍から追われる身となり、町から町へ、星から星へと逃亡の旅を続ける。その逃亡と戦いの中で、やがて陰謀の闇を突きとめ、自分の出生に関わるさらなる謎の核心へと迫っていく。




<7.5日目>

迷いに迷って貯玉をした。

今日は1パチで3800円を使って3360玉、勿論数時間の紆余曲折はあれどちょい負けになってしまったので、5スロを1000円だけ打って当たり、飲ませる。

1800円の負け、もう帰っても良いよなあと思ったが何故か20スロのサンダーVライトニングに着席していた。

そこからはもう、乱れ打ち。
1000円入れて台移動を繰り返していたらいつの間にか8000円が消えて計9800円の負け。

1800円と言うこそばゆい程度の負けだったのに、いつの間にか明確な痛覚を感じ始めている。

25パイに見切りをつけてハナハナへ行くと1000円で光りビッグ、そこから150ゲームでもう一度光りビッグ。

100ゲームを回した所で辞めるか迷って別のハナに移動するとすぐ光るし、プレミアム点滅のターンフラッシュと言う奴だったのでコレは辞めどきとして丁度良いなあと思って流す。590枚。

結局パチンコ・スロット全て合わせて13800円投資の13400円回収......だが迷う。

換金しなければ20スロの590枚と1パチの3360発となるので、ギリ勝ちになるのだ。
手元に即使える銭があると言う状況は選択肢が増えるのと同義なので換金しがちなのだが、ここは次回に繋げようと思って貯玉した。

何故俺が換金するのかと言うともう一つ理由があって、現金を入れないと負けている感じが薄れてしまうからだ。

勿論貯玉でやった方が良いとは思うが、カードの中から玉貸しするのと現金を入れて玉貸しを押すのでは焦り方が違う。

現金では無いと言う安心感からフワフワと打っていたら亡霊の如く貯玉が消えていて、多少の悔恨だけが残る状態がなんかイヤなのだ。

それならば、ヤバいヤバいと思いながらもサンドに金を突っ込み続けて額に汗が滲むのがパチンコらしくて良いなあと思う。

まあ結局の所、次回勝てれば貯玉して良かったなあと思うし、負ければ貯玉せずに別の店へ行っていれば良かったと思うのだろうけど。

<8日目>

年が明けた。

初夢を見たが、内容はパチンコで負けてクダを巻いてて“こう言うのはTwitterでやるべきだ”と何度も言う夢だった。まさかの悪夢。
勝ってる夢を見る時は大体負けてるので、調整でもしようとしているのだろうか。

普段負けた時は勝つ夢ばかりで起きても“ハイハイいつもの奴ね”となるのに、負ける夢を見るのは初めての経験だったので、目覚めて少しの間は本当に手元に金があるのかどうか分からなくて奇妙な気分だった。

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