パチンコ倦怠期
大敗を喫した。
と言うよりは負けが積み重なって、気付けば財布の中身がいつも通りのすっからかんになっていた。
上皿には何もない。
ハンドルを握ってはいるが、玉が出ない。
めくるめく雑音の中で、規則的に虚無を放つむなしい音がやけに澄んで聞こえた。
そうして数秒画面を見つめた後“ああ、ついに終わったか“と、どこか自分を俯瞰で見ているような気分で家に帰った。
それから十日が過ぎ、今までパチンコを打っていた時間は万年床の上でスマホを眺める時間に変わっていた。
”俺は灰になるまで打たなければならない“とは思っていたが、いざ灰になってみると気楽なものである。
確率に翻弄されてべそをかく事も無ければ、ヒリつく熱に身を焦がす事も無いのだ。
いつしか、パチンコと言う概念は記憶にあれども、それがなんだったのか少しずつボヤけはじめていた。
なるほど、パチンコとは行かないと忘れてしまうものだったのか。
幾度も聞いた、銀玉が弾ける音でさえも今は記憶の彼方である。
多分、うっすらと残る”パチパチ”と言う音がどんどん大きくなって、うるさくて堪らなくなったらまた俺はパチンコを打ち始めるのだろう。
それまではこの惰眠を貪るつもりである。
それではまた。