5月某日のパチ禁日記
唐突ではあるが、パチ禁を始めた。
理由は一つ、町の貯金箱から引き出した金が街の貯金箱に消えたからである。
往々にしてパチ禁なんて物はイヤな事があった人間がするもので、敗北の傷心を引きずる俺にピッタリだからやっている。
つまりはいつもの奴なのだ。
しかし、パチ禁と言うのは辛い。
何が辛いかと言うと、パチンコを打って勝ったりする楽しい夢を頻繁に見る為だ。
夢と言うのは記憶しようとしても、目覚めると同時に加速度的に消えていく。さながら俺が勝ち得た金の様に。
そんな中でも断片で残る記憶が楽しかった事だけを伝えるので、目覚めて1分後くらいにはパチンコ屋へ行きたくなる。
何が何だか分からないまま財布の中身が空になる熱い痛みも、喉元を過ぎれば忘れてしまう。
と言うわけでこの1週間ほど、Twitterを断ち、パチンコの情報も出来る限り入れない様にしてきた。
それでも夢を見る。
情報を入れない事で少しだけ曖昧になってきたパチンコは、夢の中で楽しくてよく分からない物になりつつあった。
そんな日々ではあったが、Pガルパンを打ちたくなったので試しに実践動画を見てみる。
遊タイム直前にほぼ確定で激アツ演出が出現し、そして外れるらしい。面白そう。
そこから流れでTwitterを開いてみると、何万発も出した画像が目に飛び込んで来た。これは他人が叶えるものでは無く、俺の夢の中でだけ見られるものでは無かったのか。
あまりにも刺々しい眩しさ。刺激と哀しさで泣いた。こんな思いをするならばTwitterなんて開かなければ良かった。
哀しみの次に来るのは怒りである。こうなると全てに腹が立ってくる。
たまたま見たブログが霊感セミナー関連の物で、セミナー料を“円”ではなく“縁”としていたのにも腹が立った。舐めるな。誰がお前と結ぶか。
そうしている内に日が登り、キジバトが鳴く。
これにだってケチを付けようと思えば付けられたが辞めた。
動物の悪意無き鳴き声に苛立つようでは終わりである。色々と。
まだ朝は早いしもう一眠りしようか、出来ればパチンコの夢は見せないでほしい。
ではまた。