パートナーを顔で選ぶ人、年収で選ぶ人。

クリスマスイブの恵比寿はカップルばかりだった。
街を歩くカップルや、ご飯屋さんで居合わせた男女を見ると、男女関係って難しいな…と思うことが多々ある。

たとえば、Twitterでしばしば見かける『デートの時、男性は奢るべき?奢らないべき?』や『二人っきりで会う=好意がある?』。
そういった類の論争を見ていて、私自身も「男の人ってわからない…!」ってなってしまうこともある。
そして、実際に男性と話していてもわからないことだらけだ。
男性(女性)とはそういうものだ、とわかっていても「なんで!!」となってしまう感じも含め、男女というものは本当に別々の生き物なんだなーとつくづく思う。

そういった前提も含めて『素敵な男女』というものは、私にとって永遠のテーマかもしれない。
私は結婚には興味がないけど、楽しく生きていくためのパートナーという存在は人生には必要だと思っている。
(それが結婚相手だと思ってる人もいると思うけど、現在の私の中では微妙に違うものだと思ってる)

『素敵な男女』って、大まかな言葉だからいろんな男女を想像できるだろう。
おしどり夫婦的なふたりを思い浮かべる人もいるかもしれないし、亭主関白なペアを思う浮かべる人もいるかもしれない。
だけど、どんなふたりであっても共通するのは、『対等であること』と『信頼し合ってること』ではないだろうか。

私は、相手に対して不満がある時に、相手も私に対して何か不満に思うことがないだろうかと立ち止まるように心がけています。
(カーッとなると忘れるけどね…)

結婚相手には年収○○万円以上がいいとか、デートで奢れない男はダメとか、痩せてない女は魅力的でないとか。
それらは全部、正解なのかもしれない。
だけど、その前に自分ってどんな人間なの?と思うのです。

仕事もだけど、恋愛も、人の前に自分。
自分ありきだなと最近は思うようになりました。
それは、仕事で自分がしたいこと、できることが増えたことにも関係してるかもしれないです。
恋愛も、自分という人間がどういうふうに生きていきたいか。そして、それを一番楽しめる相手ってどんな人なんだろうかと考えるようになりました。

そこに世間体とか挟む必要ってあるのかなって疑問に思うのです。
みんなそれぞれ目的があってパートナーを探すと思います。
それが悪い意味で打算的だとやっぱりハッピーじゃないなと思ってしまうのです。

いまの社会って余裕がある人が少ないかもしれません。
私自身も低所得者だし、顔もさして可愛くないし、スタイルもよくありません。
決して余裕がある側の人間ではありません。

余裕がないと、自分の幸せって大事にしにくいのかなーと思います。
考える余裕や、反抗する気力がないから。
でも、こういう時代だからこそ自分のことを考えて、本当の幸せについて考えたほうがいいのかなと思ってます。

まだまだ言語化する余地もありますが、きょうのところはこのへんで。
みなさま、素敵なクリスマスを!


eri

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