夢は諦めて、現実は我慢して
物心ついたとき、私の母は専業主婦だった。
幼稚園のとき、私の夢はケーキ屋さんだった。
父は自営をしていて、毎晩帰ってくるのが遅かった。
母はそんな父の夕飯を作って帰るのを毎日待っていた。
たまに母は短大時代の話や社会人の頃の話をしてくれた。
母は小学生の私と同じように学校で勉強して、父のように働いていたこともあったのだ。
たまに母と一緒に、母の友人とも遊ぶことがあった。
そのとき、母の友人は母のことをニックネームで呼んでいた。
母は小学生の私と同じように少し恥ずかしいニックネームがあったのだ。
母の母じゃない顔を知るたびに驚いてた自分がいたことを思い出す。
母も私のように一人の女の子で、女性だった。
そう気づいた頃から、私は「母親」という存在に違和感を持つようになった。
将来のことを想像するたびに、母の影がちらつくようになる。
私にとって一番身近な女性が母だった。
なりたいものを描いても、
どんなに勉強しても、
母になったら全てを手放すしかできないのだろうか?
いま、学校で勉強する意味を見失いそうになる。
母が不幸だとは思わない。
自分を犠牲にしてるとも、
自分を不幸だと嘆くこともない。
タラレバを語ることもない。
それが私には不思議だった。
そして、いまも不思議だ。
母には夢があったとは思う。
いま、したいこともあると思う。
でも、それができないことが不幸ではないこともわかる。
だけど、幸せが自分を豊かにするわけではないと私は勘づいてる。
だから、よくわからなくなる。
正解なんてないけど。
自分の人生について、よくわからなくなる。
eri
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