アイちゃんのラストライブhelloworld2022を通じて「私が生まれた意味」を見つけた話
さきほど、キズナアイちゃんの休止前ラストライブ「#helloworld2022」が閉幕しましたね。見た?
こちらにはゲストとしてバックのひな壇に立たせていただいてたんですが、人数が人数だったし泣きすぎて画面見えないしで自分の存在は一度も確認できませんでした。笑
(後ほどリスナーさんにうまぴ発見報告をいただきました!天才!?)
さてさて、ここからは明るくない話も入ってきます。
結論はハッピーだけど、苦手な人はごめんね。
先日、というか昨日。
Twitterでもお知らせしたんですが、おばあちゃんのお姉さん(なんていうの?)が亡くなりました。
私を育ててくれたのはおばぁちゃんで、よくそのお姉さんのところに泊まりに行ったりしていたんですが、逆に言えばそれくらい。
ちょうどコロナが蔓延しだした頃に旅行の計画を立ててたんだけど、電話で「コロナ収まったら会いに行くね」って話したのが最後でした。
もう齢も齢だったし亡くなっても不思議ではないんですが、そもそも私は特殊ないきものなこともあって親戚がほとんどいないので、自分でもびっくりなくらいショックを受けちゃいました。
生き物の死に出会うと、どうしても考えてしまう「生まれてきた意味」。
私はなにか出来たんだろうか、今のままで本当に良いんだろうか。
取り留めもなく答えもない事を、ぐるぐる考えていました。
そんな中で迫るアイちゃんのライブ。
遠方なので通夜には行けないとはいえ、真裏になる時間でライブに現を抜かすのはいかがなものかと、ずっと悩んでいました。
(それもあって、ろいさんの枠での同時視聴は欠席させていただきました。すみません。)
結局は、ご存知の通り、観たんですけども。
落ち込んでても仕方ないし、このライブは今見ることに意味があると思って。
前置きが長くなりましたが、これから書いていくのは、このライブを今見たからこそ得られた、ひとつの答えの話です。
そもそも、私はアイちゃんをずっと見てきたわけではないどころかファンと言えるような存在ですらありません。それでも、そんな私が見ても、演出、歌声、MC……そのどれもが、心揺さぶられるに十分なものでした。
こんな私がアイちゃんのライブを見て、勝手に心揺さぶられて、「出会ってくれてありがとう」なんて言葉を素直に受け取ってしまっていいんだろうか。そんな罪悪感すら感じながら、溢れてくる涙をぬぐっていました。
曲中でも何度も歌われ、MCでも出てきた「私が生まれた意味」という言葉。昨夜考えていたことが、またぐるぐると頭を回りました。
出会った人にとって、別れた人にとって、私の存在は果たして意味があったのか。「私が生まれた意味」って、なんなんだろう。
生死まではいかずとも、私のまだ短いVtuber活動の中でさえ、もう見なくなってしまった人が何人もいます。その度に、私で埋めていた気持ちに代わる何かがきっと見つかったんだなって、嬉しくも寂しくもなりました。
意味のある存在になるために、もっともっと、と夢を追う。
でも、夢を叶えることはおろか、追い続けることさえ簡単じゃない。
夢を追えば追うほど、叶えれば叶えるほど、次の夢が大きく遠くなっていく。
大きな夢を目指すほど、かかる時間と労力とお金は増えていく。
なのに、手元にある時間も、お金も、どうしようもなく有限。
限界があるよ。
今のままで十分幸せじゃん。
そんな風に悩む間にも、日々すごいVtuberさんたちが現れ、周りにいる人たちもどんどん力をつけていく……。
ライブを見ながら、アイちゃんはこの5年間でそれをどれだけ経験して、何度はねのけて来たんだろうと思いました。常に一線を走り続けることが、どれだけ怖くて過酷なことか。それでもなお、毎日毎日、みんなじゃなく「あなた」にひとつひとつ笑顔を配り続けてきたことが、どんなに凄いことか。このライブひとつとっても、泣き崩れることもなく笑顔で走り抜けたことが、どんなに凄いことか。
考えれば考えるほど、涙が止まらなくなりました。
元を辿れば、私がはじめて知ったVtuberはアイちゃんでした。その後、おめがシスターズというVtuberさんと出会い、にじさんじの戌亥とこさんにハマり、やがて私自身もVtuberとしてデビューし……。
おめシスの2人がデビューしたきっかけはアイちゃんだと公言されていたので、きっとアイちゃんがいなければおめシスが生まれることもなかったんだと思います。
先にも話した通り、私はアイちゃんをずっと見てきたわけではないどころかファンと言えるような存在ですらありません。それでも確かに、「キズナアイ」がいなければ、「未確認動物うまぴ」はいませんでした。
そして同時に、今日あの瞬間までアイちゃんをずっと応援してきていたファンの人がいなければ、関係者の人たちがいなければ、私はあの最高のライブを目の当たりにすることもできませんでした。
あの感動を与えてくれたのも、今の人生を歩むきっかけをくれたのも、もしかしたら他の誰かでも良かったのかもしれない。けど、少なくとも今この瞬間を生きる私の中には、「キズナアイが生まれた意味」がハッキリとあります。
同様に、アイちゃんが繋いで、アイちゃんを支えてきた無数の人たちの存在意義も。
もしかしたら、一生かかっても自分が生まれた意味なんて分からないのかもしれません。私が誰かに与えてきた何かだって、きっと私がいなくても代替が利いたものもあるはずです。
それでも毎日生きていて、色んな人と知らず知らずのうちに影響を与え合って生きている。だからこそきっと、自分では見えなくたって、それぞれの心の中にひとつひとつの「私が生まれた意味」があるんだと、心が温かくなりました。
それはきっと、おばぁちゃんにとっても。
「出会ってくれてありがとう」という言葉を、今日だけは、図々しくも素直に受け止めようと思います。
受け継がれた遺伝子を受け取れたことを、そして、アイちゃんが生まれてきた意味のひとつを抱いて生きていることを誇りに思って。
そして、これを読んでいるあなたに心から伝えます。
未確認動物うまぴと出会ってくれてありがとう。