経済学と映画論「サンクチュアリ-聖域-」
日本の国技・相撲は、経済学で題材になったりします。
題材は「八百長問題」です。
1大会15戦で、最終戦に7勝7敗で挑む力士の勝率は、6勝8敗の力士に比べて異常に高いというもの。
もちろん、背水の陣で挑む力士が、実力以上の力を発揮して勝ち越し(8勝7敗)を掴でいる!という可能性は捨てきれません。(一観戦者としてたまらない展開)
しかし、この可能性を否定する研究が、経済学の論文で示されています。(Duggan & Levitt, 2002)
学術的な論争はさておき、ここで着目したいのは、負けてあげる力士の感情です。
例えば2勝12敗で最終戦に挑む力士がいたとしましょう。負けてあげるモチベーションがあることは察しがつきます。
負けてあげたらお金がもらえる、次に7勝7敗になった時に勝たせてもらえる、そして何か弱みを握られている、などが考えられます。
Netflixのドラマになりますが、「サンクチュアリ-聖域-」に登場するラスボス・静内が、まさに弱みを握られて負けてほしいと、八百長を持ちかけられていました。
八百長の良し悪しや、存在有無など考えさせるものはありますが、重要なのはそのあと。
静内は脅しに怯まず、自分の実力通り、もしくはそれ以上の力を発揮して戦いに挑むのです。ここに経済学の域を超えた、”人間の尊厳”を感じます。
自身の利益になる、もしくは不利益にならないように不正を働くのは、スポーツに限らず政治や、ビジネスでも起こる生物としての感情だと思います。
一方で自分、いや人間としての尊厳を守るために、負けてくれと言われたら余計に勝ちたくなる。不正をしてくれと言われたら、むしろ正しいことをしたくなる。これも、人間として起こりうる感情だと。
この相反する感情の中で、どちらを選択するのか。これは置かれた立場によって様々だと思います。不正を反故にする方を選んだら、命を危険に晒す場合もあります。
告発する場合や、反故にする場合は、極力匿名で行うよう心がけたいです。
自分が不正を持ちかけられた時、利益ではなく、どうか尊厳を選択できますように。
【参考文献】
Duggan, M., & Levitt, S. D. (2002). Winning Isn’t Everything: Corruption in Sumo Wrestling. American Economic Review, 92(5), 1594–1605. https://doi.org/10.1257/000282802762024665