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怪物をまた見た!
コンバンワ。雪です。
宇宙が無限に大きいかどうかはかんたんに確かめられるのを知ってますか?例えば、今空に幾つかの星が見えていたとして、この場合に宇宙が無限に大きければ星は無限個あることになり、したがって空は星で覆い尽くされて明るくなると予想されます。しかしながら、今空にあるのは幾つかの星であります。ですから、宇宙というのは無限に広くないのです。膨張はしているかもしれませんが、その空間は無限とは限りません。
これを、僕は人に教えてもらいました。とても、なるほど!と思い、納得しました。みなさんも、宇宙が有限の空間を持っていると納得すれば、もしかしたら世界の見方は変わるかもしれません。
僕は、隠し事が多い人間な部類かもしれません。
いや、むしろ開示が苦手というべきであると思います。誰にも全てを知られたくないと思っています。一方で、誰かに教えるときはあってもいいと思います。
全てを知られて、全てを理解したなどと思われたくないためです。予防線なのです。
怪物は、嘘つきで隠し事をしていいる人がたくさんいて、僕的には非常にわかりやすくて、僕にとって普遍的な問題を皆が抱えていて、怖くとも安心の要素を持っているのですが。
大切なものがあって、相手より自分の大切なものを優先して、そのことを見越したりして嘘や隠し事で辻褄を合わせようとしたりしているように見えます。
意外にも人間(?にんげん?)は色々と考えるものです。それは悩むという意味ではなく、何かを知られると何かが壊れるという思考をするという意味です。ずっと思うことは、勘違いしないでくださいということなのです。どうでも良いことに答えを求めたり答えを与えたりしないでほしいと願っています。
僕は、怪物を見たのは2回目でした。初めて見たときは、2人は楽しそうだと思ってAquaに浸りました。今日は、なんだか2人がやっと自由になれたように思いました。今日まで何度か頭の中で怪物を見たけれども、その結末は2人と麦野母と堀先生はまた会うというふうに思っていたけれど、実際にはその描写はなくて、ずっと繰り返し言っていた生まれ変わりについて、最後に「生まれ変わったのかなー」なんて言っていて、僕は2人が死んでしまったように思ってしまった。
死なないでほしいと思った!とても強く!
これもまた決めつけで、私はそんなことはどうでもいいんだー、大切なのは2人が楽しく在ること!と思った。わからないことや不確実なことに答えを与える価値は何かと言われたら、それは自分の納得感のみに帰着するだろうと思う。それは、あまりにそのものに対して興味がなさすぎて、飽き飽きする。興味関心はそれ自体に向けていたいと思う。答えがないことは、ダメなことですか?
事実を常に知っておきたいですか?
全てを把握したいですか?
楽しくない楽しくない楽しくない楽しくない!それって全然好きじゃない好きじゃない好きじゃない好きじゃない!うるさいうるさい!
僕はね、なんでもいいと思うの。どうあってほしいなんて思わないの。ずっとね、それでいいよ。
僕が母親の立場なら、同じような行動をとっただろうなんて浅はかな共感をする。必死という言葉がお似合いの感じです。生きるのは必死ですからね、本来とっても難しいことですから、社会についてくために必死を通り過ぎます。
母親の大切は麦野湊を貫いて母親自身に向いてたように思う。必然であると思う。きっと、俗にいう正しいであると思う。
僕はね、それらを自覚的になりたいと思ってる。
怪物大好き!
是枝監督、サイコー!