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私と成長した女は、その男を選ばない “クズ男”見極め教本 (大和出版/見知らぬミシルさん)③

正直、そもそも婚活していた理由もなかなかクズなのもわかっているんです。

理由はとりあえず結婚、そして子供を授かりたい。

親のためにとかものすごい言い訳を携えていました。

要するに、人の為にとか大義名分をくつけて楽になりたかった。

色んな据から解かれると思い込んでいたんですよね。

まぁ結構この言い訳を本気で思ってたのも事実なんです。
親にちゃんと継ぐ子供を成しましたと報告したかったのはあながち嘘とかでもなかった。
その理由はちょっと深いのでまたべつの機会にでも。

年が明けて、とりあえずいつまでもクズついてても仕方ないと思って
自分の行動や思考分析を始めた。
スマホとかでメモもしていたけどアナログ人間なので結局は紙の方が落ち着てノートにビッシリ文字を描き始めた。

どうして自分がこう思った?とかを掘り下げて結局結構人になんとかしてもらおう的な自分が見えてきた。

正直そういう思考も少しあったっていいとは思うんです。
(今でもそれは思ってます)

でもね、それだと自分以外の人が必ずしも自分の望んだとおりになんでもしてくれる訳じゃないし、クオリティは保証されない、文句言えない、腹を立てるのもお門違いなどなど理解した上でそうしないとね、ならないです。

人間誰しも完璧なわけじゃ無いですからそんなもんじゃないかな、と。

そして年明けてミシルさんのトークイベントを境に結構変わったなと思うのが「認識の仕方」「信頼と信用への意識」「受容と尊重」

ひとつづつ言うと認識の仕方は
頭の中では当然と思っていたけど
こうなのではないか?という認識の視野がひろがりました。

結構それまでは認識間違いであるわけないと思ったらどこまでも相手が悪いもしくは相手と合わない(悪)みたいなところがありました。
理解力が乏しかった癖にそう思ってたんだからなかなか厚かましいな自分笑

貴方が私を認めてくれるように、私もまた目の前の人の考え方や主義主張を自分にあてはめられなかったとしても「そうなんだね」って思えるのが大事だなと。
そこに悪いとかはなくてね。

あと、他の人の考えを理解しようと思うと自分の想定外のことなんていくらでもあるので
この人はこう思うんだな、なるほどという関心もまた大切かなと。

私が人を好きになれていたと思って生きていたけれど振り返ると私を好きだと重くも軽くも言いよる異性からの行為にどこか依存して期待して、まるっと任せてたんだということに気づきました。

私は誰1人、好きでは無かった。
何より誰1人信用もしてこなかった。
結婚さえした夫でさえも。

しかし、今だからこそ
過去の男性たちには嫌な思いしたなという所は「そういう経験」という形になり、その人たちに対しては「あの時はありがとうございました。」と思うようになった。

会いたいとか、会いに行こうとかは全く思ってませんがあの日々があったのはその人たちがいたからという部分もあるのでそこは、感謝だなと思います。

色々気がつくと同じ日常が色が変わる。

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