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自己否定の思考回路が上手になってしまう現象についてを聞いての感想

★対話屋さん 
自己否定の思考回路が上手になってしまう現象について https://stand.fm/episodes/64cb7c7610c6c6e690b5c1d4

幼少期の頃の自己否定。

私は限りなく自己肯定感は低いし、どちらかと言えば自己否定出来るほどの自分もなかったなと向き合うとよくわかる。

所謂育児放棄とか、両親が不仲で子供に辛く当たったとか、そういう類のことは一切ないです。  

ただ、長女だった私にその家では価値があまりなくて、その家の子だったけど全ての肯定は長男にしかなかったので、自分を肯定すること叶わず、どこかで諦めという否定にはいっていたんだと思う。

嫁姑問題が色濃い家庭だったので
祖母からしたらあの生意気な嫁の子供で、なにかと小賢しくて生意気で、何の役にも立たないと言葉で言われていたのは小学生低学年でしたがよく覚えている。

そんなでも祖母は世話をしてくれていた。
そんなに嫌味言うならそれこそ育児放棄するのでは?っておもうではないですか。
一応理由はある。
祖母が一番愛してる娘(私の叔母)に私の顔は凄くにていたからだ。
だから蔑ろにはできなかったんだと思う。

お世話して貰えるならまぁいいかって。子供ができることは限界があるので私はそれに素直に乗っかった。
子供という立場でなにができるのかとか考えたり、まあいいかと範囲を理解できたのはそういう幼少期の背景があったとは思う。
あと自分の顔面が祖母には有効でその恩恵を受けられたことなど気づけたのも子供にしては面白い気づきだったと思う。
だから私はいつも作り笑いしていたと思うし、祖母の前ではいつも愛らしい叔母の幼少期だったらこんなだろうかと思い描いたかおをしていた。

努力のかいあってか、不自由な暮らしではなかったし、多分周りの友人宅からしたらちょっとうちの家族って違うなとは思っていた程度だった。

母は看護師をしており、本人曰く私を産んだ後は2週間で現場にもどったそうで私は病院の併設している保育所に気がついたら通っていた。
子供の時はやはりあまり多く話す子供ではなかったと両親も言う。
あまり覚えていませんが、私は気管支が弱くてよく熱をだすと両親に珍しく言葉数多く話す子供だったようです。

たぶん、本当は話をしたかったのかもしれないけれどどうしていいかわからなくて、微熱の勢いを借りていつも話していたのかも。

あの頃からはだいぶ成長は年齢としてもしたつもりだけど
やはり幼少期に形成された苦手意識はとても根強いなとほんのりは思うし、改善をするにも完全な改善は難しいと思うと同時に必要性もまたあまり感じていなかったりする。

今はとても楽しいし不満に満ちてるわけじゃない。
色々積み上げた知識がふと生活の中でだれかの役にたったりする。
自分がしたい何かを実行することもできる。
まだまだ学習意欲さえ沸かせたら学習挑むことが出来る。

そして、諦めていた自分を認めて諦めを解き明かすこともゆっくりながらできると思いたい。

でも、それでも、わかっていても今更ながら恋人に依存や執着になってしまうけれど、自分を必要として欲しいと思ってしまうし、自分に自信が無いから他の異性とか見ないでほしいという気持ちが結構大きい。
その気持ちに負けてしまうと手放してしまうのかなってすら思う。

まぁ……大したことが出来ないのに傲慢な願いだとは思うし、嫉妬とかにもなると醜いなとは自分でも思う。
そう簡単に肯定感を高めたり、自信持ててたらきっと困らないのかもしれないですが……。
今の私にはその私の嫌な気持ちを恋人に言うのが精一杯。
でも、恋人の様子とかみて自分じゃない人の影響が大きいと知る度ちょっと勝手に辛くなってる。
自信持ちたい、何事もないって思いたい。
これを最近ずっと考えていて、ひでさんのラジオを聞いた時にぐるぐる考えて……、悩みの根底はこういうことかもって今は思っています。

手が離されないうちはできれば自分から手放すなんてこともうしたくないなって思うのにたまに辛くて逃げ出したくなる。

だから今は色々考えて向き合って
これからをそっと考えている。

今、私はちゃんと笑えてるだろうか……よく思っちゃうけど笑えてるかすら実は自信ないんです。

でも、このラジオと出会ったから自分の中で痛む感情的に触れてみようと思えたんだと思います。



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