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#ミシルラジオ 自己肯定感が高いことから生まれる加害性①

軽く聴きながらTwitterでつぶやいてたのですが段々色々でてきてしまったのでnoteに。

▶前半の謝罪のお話
相手が話を聞けるようになったら話をする。
聞く準備ができていなければ伝わりにくい。

電話応対でもよく言われる基礎なんですが、やはりこのあたりは苦手な方が多い。
意識してもやりにくいかもしれませんが、意識できるのか出来ないのかでコミュニケーションの質は向上すると思います。

▶人は言葉により認識する
仮説の病名として定義することで、医者であれば仕事に割り振れる。
逆に、個人は自分がそうなんだと認識を持つことが時に救いだったりすることもある。
その救いが、ときに牙を剥く時がある。
ミシルさんもいってますが言葉は人を救うこともできるし、殺すことも出来る。

▶自己肯定感について
私は自己肯定感をミシルさんの本に触れたあたりから意識し出して、正直その存在を理解する前とても怖かった。

私は気づけば自己肯定感がないまま生きていて、自分に価値を見いだせていなかった。
そんなひといないでしょ?っていうけど私はそうだった。

何故?

女性は拒絶されない、性的価値がそもそも高いからと、ラジオでもいわれていたけれど
私は自分という存在の価値を放棄していたからです。

私は、性的価値が自分に向けられたものと思いたくなかったんだと思う。
だから認めたくないし、その結果を拒否していた。
「肉体に触りたいだけ、私でなくても良くて、誰でも女性ならいいんだろう」
「興味を向けられているのは私では無い、私自身に向けられてるのでは無い」

結構子供の頃から気がついたらそう思っていた。
それを、認めたくなかった。
ただ私は自分を性的な目で見てくれて近づく人はそれなりにいた。
私がモテるのでは無い、単純に触りたいだけ、それ以上でもそれ以下でもない。女というカテゴリだから興味持たれただけ。
どこかで自分から切り離すことで、その不快な気持ちを避けていたんだと思います。

後で述べますが、私がそう思っていたのは家庭環境の影響かな。
家族から無条件に〜というくだりを聞いた時にハッとした。
私の家は逆で、条件があり女である私の価値は家の中では無かった。
今のご時世そんなことってあるのか?っていう田舎の風習ですね。

虐待やネグレクトの被害にあっていた訳でもない。
貧困に喘ぐほどの家柄ではなくごく一般よりは恵まれていたと思う。
だから、不幸だとか思ったことは無い。

ただ、家族にとって私という価値が無かったのを私は知っている。
全くなかったと言うと言い過ぎだけど…かなり無価値だったのが現実で、それを私は幼い頃から教え込まれていたから、肯定感がなかった理由。

だから女性であるだけで他者から勝手に価値を見出されてもそれは、私自身ではなく、女性の肉体そのものに向けられたもので、私では無い。

家族からしたら兄という存在は絶対的に肯定すべき存在だったが、妹の私は必要ではなかった。
拒否をされた訳では無い。
ただ、無関心だったのは体感していて、好きの反対語なのです。
嫌われていたらまだ苦しめただろうなって。
祖母や叔母は私の事が嫌いだったから子供相手になかなか酷い言葉を浴びせられたけど私の存在をある意味興味をもって人扱いした大人という認識だった。
なので、私には価値を見いだせず、価値があるなんて思えなかった。
価値を持ちたくなかったんだと思います。
私は私でしかなくて、それだけだった。
女でなければ、私でなければ
私に価値は生まれるのだろうか。
その問いに気づけたのは大人になってからでした。

▶肯定感を拒絶した

社会にでて色んな人と出会ったけれど、私は基本的に自分をはじめ、人を認めなかった。
愛する家族がいる人、愛されている人、無条件の愛を受けてる人、大切にされている人、自分に価値を持ってそうな人。

自信の無いという人すらどこかでその時は「で?そんなことないよって言ってもらいたいのかな?」なんて性格のねじ曲がった人間だった。

私に価値を与えてくれる人も、拒否をした。
悪い意味でこんなに否定ベースな私だったから、人との距離もはなれてて、物言いにはお世辞がない。相談なんてしたらどストレートに言葉を言って時に人を傷つけたりもしてたと思う。
経験ある人もいるかもしれませんが、しかしその歯に衣着せぬその言葉で偽りもないので食ってかかってきて口論して、言い合って、言葉が気配りのある言葉じゃないだけで道理なのではと思ってくれたりする人が増えてきて…

どんなに私が気配りのない言葉で噛み付いても、あえてその言葉を受け止めに来る人が現れた。
優しいね、本当のことをそんなふうに言ってくれることなんてなかなかないよと言われても私は優しさからその言葉を絞り出してるわけではない。
優しいなんて言わないで。
私は優しくなんてない。

あなた方のように誰かを無条件に愛せない。愛されたこともない。

あなた方のように自分に価値なんてなにもないのだから。
私に価ないで。

価値があるのかもしれないなんて、勘違いさせないで。

必要として貰えるなんて期待させないで。

自己肯定感のない自分なんていくらでも何かの代用品として利用された。
必要なのは私では無い。
適当にしてもらいたいことやってくれる存在だけ。

私はとても、自分を見てくれない人間にその影響あってか敏感だと思う。

代用品なんだ、と思い込んでしまうと心が死んでいく。
悲しくは無い。ただ、私が死んでいく。そんな感じだった。

長くなったので記事をわけようとおもいます。
見ずらい文章になっていると思いますがお付き合いいただきありがとうございます!(´▽`)



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