一流の人は何をしてきたか

こんにちは。ゆりりうすです。
この間、谷川俊太郎さんの話をしていて、あー、言い忘れたと思ったことがありました。
昔、まだ私が20代の頃、神奈川県の図書館に勤めていました。
正規職員ではなかったけど、その仲間に演劇をやっている女の人がいて、ある時谷川俊太郎さんの翻訳の絵本を演劇でやることにしたんです。
それで、ちゃんと手順を踏んで、先ず出版社に許諾の手紙を書いて、谷川俊太郎さんにも許可をもらいたい、との一文も添えて出しました。
暫くしたら、図書館宛に手紙が来て、みんなで何だろうと思ったら、谷川俊太郎さん本人から直筆のお手紙が来ました。
みんな、ビックリですよ。
一地方の図書館です。
それで、その手紙を出した人が読んだら、ちゃんと筆ペンを使った便箋に
「是非とも、演劇でそれをやってください。とても楽しみにしています。」
って書いてあって。みんなで感激して、その手紙を回し読みをしました。
谷川俊太郎さんは、きちんとそういうことを、さらっとやる人でした。
今度は、西田敏行さんの話です。
私が友達から聞いた話。
西田敏行さんは、小学校の近くにお住まいだったんだとか。ある日、その小学校の男子生徒が、西田敏行さんの家のポストに直接ファンレターを出したそうです。3人って言っていたかな。
そしたら、暫くしたら、男子3人は校長室に呼ばれました。3人共、きっと叱られると思ったそうです。
ところが校長室に行ってみたら、校長先生から男子生徒3人宛に、西田敏行さんからファンレターのお返しが渡されたとか。
男の子達は、ビックリしたけど、嬉しかったでしょうね。
もう1つ、黒柳徹子さんの話です。
黒柳徹子さんの「徹子の部屋」は、誰でも知っている人気番組ですよね。
そして、黒柳徹子さんは「徹子の部屋」で一回着た服は、もう着ないのも有名な話です。
でも何故、彼女がそういうことを始めたそのはじめの話は知っていますか?
ちゃんと理由があるんです。
昔、「徹子の部屋」を見ていた、介護をしながら、主婦をやっていた女性が、楽しみにしていたのが、「徹子の部屋」だったんです。
でも、その頃の黒柳徹子さんは、あまりしょっちゅう服を変えなかった。
でも、見ていたその主婦の人は、毎日介護に主婦業に忙しいわけです。お洒落なんかする余裕もない。
だから、せっかく楽しみにして見ている「徹子の部屋」でも、徹子さんが代わり映えのしない服を着ているのを、つまらなく思ったんですね。
で、電話かな?手紙かな?
とにかくその情報が、黒柳徹子さん本人の耳に入りました。
だから、それ以後、黒柳徹子さんは「徹子の部屋」で、同じ服を着なくなり、毎日素敵な服を着るようになったんですって。
最後に、少し恥ずかしいんですけど、家の母、せなけいこの話。
作家さんにも色々なタイプの人がいるから、ファンレターをもらっても返事を書かない人も結構います。それだって、その人の態度表明ですよね。
家の母はどうだったかと言うと、お子さんからファンレターが来た時は、必ず返事を書いていました。大人の人には出していませんでした。
たぶん、数も多かったし、彼女は一番のお客様が誰かを、よく知っていました。
だから、お子さんには必ず返事を書いたんです。
どうですか?
まあね、自分の母親を一流に入れるのは恥ずかしいのですが、巨匠とか、レジェンドとか言われているようなので、入れました。
一流の皆さんは、小さなこともとても大切にされていて、誰が一番のお客様かを、よく知っていました。
こういう人がずっと残る人なんだろうな、そう
ゆりりうすは思うわけです。
ちなみに、最近、せなけいこ宛の手紙は全てお子さんに限り、ルルちゃんから返事が来ているはずです。
母が元気でも、返事は書いたと思いますけど、SNS 等で、母を推してくださっている方にはきっと
「色んな人が、母の絵本を好きだと言っているよ。」と言っても、母も機械音痴なので、絶対に
「かおるがお礼を言っておいてよ。」
とか言ったはず。
だから、ルルちゃんは奔走しているのですね。
ファンの方は、大事なお客様ですから。
以上、ルルちゃんもやりながらの、ゆりりうすでした。

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