北条かやさん、昨年の炎上騒動からまったく成長していなかった
むしろ一年の歳月が経過したので、
成長どころか退化しているといっていいだろう。
本は読まない。少なくとも、私にとっては読む価値がない。書店で見つけても、手に取らないだろう。時間の無駄だから。
「私なりに頑張った」が許されるのは高校まで
北条かやさんを長く観察しているが、ブログやツイッターで最近はよくこんなことを言っている。
「私なりに努力しているのに伝わらない。悲しい」
「こういう意図で言ってるのに、誤解される」
ここ一年で
「誤解されてる」
「私のこと知らないくせに」
このワードが、一体何回出てきたことだろう?
「私なりに~~」という言葉を使えば、周りに「頑張ったね」と評価されるとでも思っているのだろうか。
入ってすぐの新入社員なら、そういう評価のされ方もあるかもしれない。だが、彼女は原稿料をもらって、多くのスタッフと関わって文章を発表している立場だ。
「私なりに~~」と言われたところで、
「で?あなたはこの文章で、何を伝えたいの?」
としか言いようがない。
ところで、なぜ上の小見出しで「高校生まで」と書いたか。それは私自身の経験による。
大学で卒業論文を書いたのだが、卒論の「はじめに」の部分で
「私なりに論を展開していきたい」
と書いた。
たぶん、無意識のうちに。
教授は一対一のダメ出しの際、
「ここは削りましょう」
と言って、「私なりに」のところに線を入れた。
「論文はデータを集めて検証する場なんです。卒業論文ということで、フィンさんがいままで勉強してきたことや集めてきた知識を放出したい気持ちはよくわかる。
でも、だからといって『私なりに』と書くのはよくない。論文が妥当かどうか判断するのは、あくまで読み手ですから。
こういう言い回しは、若い人ではよくあることなんです。だから、この機会に改めましょう」
決して頭ごなしではなく、責める口調ではなかったが、私はとても恥ずかしくなったのを覚えている。
そうか、「私なりに」というのは、大学の段階で捨てなければいけないんだ。
ライターとしてデビューした今でも「私なりに~~」と繰り返す北条さんを見て、哀れに思う。この人は、今でも独りよがりを捨てきれていないのだと。
すべての世界で好かれるなんて無理です
私は自己中心的な性格で、敵を作りやすい。30代になる前に縁切りした人も多いし、現に離婚だってしている。家族とも疎遠だ。
それでも、私を慕ってくれる人がいる。私を頼る一方で、いざとなったときに助けてくれる人がいる。
すべての世界で好かれるようになるには、人生は短すぎる。間違ったことは謝るし、傷つけた信用は努めて回復する。でも、自分が合わないと思ったこと、人と深く関わる必要なんて、(仕事でもない限り)ただの1ミリも無いのだ。
北条さんには、このたび発売した自身の本のアマゾンレビューを見てもらいたい。
今のところ彼女に望むのはその一点だけだ。
すべての世界で好かれることが無意味だということに、早く気づいてほしい。