コロナと戦争と空気と
ちょっと真面目なこと書きます。
戦後75年目になるのかな?歴史は繰り返すというけれど、それってきちんと後進の者たちが歴史を特に現代史を、学ばなかったからではなかったかとふと思うことがある。
例えばヒトラーが、民主主義の仕組みの中で現れてきた独裁者だということ、あまりきちんと教育されていない。さらにいうなら、国際金融資本家たちによって育てられた存在だということさえ、僕はつい最近まで知らなかった。
一方で、日本が戦争を始めたことがいかにも軍部の独走だったみたいな、歴史観で教育されたけれど、独学で経済学を学ぶようになって、ちょっと待てよ。となってきた。
戦争の原因の大半は経済の混乱であり、確かに軍は愚かだったが、政治家の方も愚かだったと思う。だったらどうすればよかったのか、その時代に実際にいたように当事者になって悩むという仮想体験こそ歴史を学ぶ本当の意味であり、次の時代につながってくるのだと思う。
2.26事件というのがあった、その時殺された大蔵大臣、高橋是清は、まさに財政出動をおこなって、恐慌から日本をいち早く救った立役者でもある。なのに彼は、青年将校たちによって、殺された。彼が生きていれば、戦争には反対しただろう、その後の歴史が変わったかもしれないほどの人物だったが、当時の世の中の空気によって殺されたようなものだ。だから空気は恐ろしい。このことを歴史から学ばなければならない。
どんなに我々が戦争反対していようとも、戦争はそれを仕組んでいる輩によって計画的に実行されるので、世論や、経済状況、を少しづつコントロールしながら、持っていかれるものだ。経済が混乱した時、今の空気は誰が仕組んだのか、そのことに注意しながら生きることが大切だ。この時歴史を学んで仮想体験しイメージトレーニングしてきたことが初めて生きてくる。
単なる反戦だけを唱え、大声で叫ぶことには、何も意味がない。
そういうことだけをしていると、現在が当時とかなり近い世界情勢になっていることに気がつかないし、考えもしない。
コロナ騒ぎに溺れて、Go toとか言っている。
コロナが世界を経済的な混乱に陥れるように仕組まれている可能性について、一片たりとも頭の片隅にもない、それどころかもしかしたら、それに加担しているかもしれない既存のメディア。
我々は、歴史を甘く見てはいけないし、今こそ、経済的なバックグラウンドからもう一度世界史を眺め、自分の周りの人々の言動や顔色や心の中をよくみてみる必要があるのではないかと思う。
実はそれが最も静かで効果的な反戦運動であり、歴史を学ぶ本当の意味なのかもしれない。