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観劇記録:パショナリーアパショナーリア「おもちゃワーカーズ」
演劇をやりたいが子育てしていて親も遠方なので無理。
うそやん、女の演劇人たちはどこにいっちゃったの?!
と以前noteで「演劇 子育て」とか検索したらヒットして出会った、パショナリーアパショナーリア。通称パショパショ。
家庭と演劇の両立をめざして活動されている方たちを発見して大変励まされました。
そしてふとXに公演情報が流れてきて、「0歳から観劇可能」だったので、「ときはきた!行く!!!!」とその場でチケット予約。
(帰省するために東名高速道の山間部を通過していた深夜だった)
そして7月7日、うちの3歳を連れて、1時間かけて見に行ってきました。
●お話
おもちゃ関連の工場で働く非正規労働の人々。
ああ、中年。
ああ生活、ああ人生。
衛生キャップをかぶり、とってもかっこ悪く、それがとてもかっこよくて。
「思い描いていたそれとは違うけど、でも、みんな頑張ってる。よく頑張ってる!!えらい!!みんなえらいんだ!!!」
あの場にいた全員を、エネルギッシュな肯定でめいっぱい包んでくれました。
歌や踊り、サックスやミラーボールのキラキラとともに・・・!
ありがとう!
●感想:こどもOKのすごさと、むずかしさについて
17歳以下はこどもということで無料だった。すごい。それはすごいことだ!!!
私は大人一人分の値段で子連れ観劇ができたのがうれしかった。おきもチケット(1口1000円)はもちろん買った。
こどもOKだけど、大人の観劇体験だった。チケット区分と違って、見に来ている子供を子供扱いしてないんだなと驚いた。うれしかった。
だから、大人しかわからない下ネタに関しては無理に入れなくてもよかったのではないかと心底思った。それは、年齢関係なく人間としてまざりかけた子供と大人を、あえて分断してしまう作業だった。大変戸惑った。
それに子供連れてきている時点で親モードになってしまうので、突然の下ネタに笑うことができなかった。観客として岐路に立たされたので面食らった。普段の小劇場とかなら笑ってたと思う。
このプロセスが最序盤に投下されたことがマジで残念でならない。それ以外は楽しめた。
私がそういう点で潔癖側のスタンスなのと、パショパショ初見なのでほかの方はどう思ったのかわからない。聞いてみたい。
●ちいさな子供の観劇の難しさにぶちあたった。
先にも触れたけど、うちの子は3歳でした。
3歳って超微妙だ。
物語慣れしていないこともあり、登場人物たちが軽く言い争うシーンを「こわい」といっておびえていた。
あれくらいの言い争いはお芝居として超超超普通なのに、だ。
成人していない人間を「子供」ってひとくくりにするのは、この場合、結構暴力的かもしれないと思った。
絵本が1歳ごとに対象年齢設定されているように、また幼稚園・小学校・中学校・高校と区切りがあるように、年齢による発達度合いの世界の見え方って全然違う。
ベイビーシアターに大変興味があるのだけど、年齢区分が確か0~1歳半・1歳半~3歳未満と2つあったはずだ。
そして3歳になると、ベイビーシアターからはこぼれる。
子供向けのミュージカルとかで調べると、がっつり系は5歳からとかであり、3歳・4歳はもう一段階安い区分や無料(つまりnot for)とかだったり、×だったり、なかなか見つからない。
3歳っていうのは、そんなハザマにいる。
絵本の世界でいえば、赤ちゃん向けの「●、▲、■」とか「赤だね、黒だね」とかいう世界から、「でんしゃがはしります」とか「ねこちゃん、おやすみなさい」を経て、文字(記号)がわかったりわからなかったりしながら、言葉を通じて世界をとらえ始める。
つまり、これからたくさんの物語の世界に行くための準備や練習をしている期間なのである。
ほかのお客さんで赤ちゃんが来ていたので余計に思ったけど、もう3歳って「あうあう~」で忘れ去る時期でもない。そろそろ記憶が人生の最初のページに刻まれる頃。それが3,4歳。
(ついでにいうと、人生ではじめて”「うんち」と「おしっこ」を発言する喜び”を知る頃であり、食べ物の好き嫌いが1日単位で変わるときでもある。)
そんな彼らが観劇?
むずい。難しい。
なんていうか。
これは自分自身の演劇オリジンが、学校公演で、当時小2で、大変感動した経験から、演劇は見る人間にとってぶっささるものであってほしいという願いが個人的にはあって。
ぶっささるためには、その人間がそのとき受け入れられる・理解できる言語で行わるべきだとおもっていて。
私が母である私を完全に脱ぎ捨てることはできないこともあいまって、
連れてきた子どもが「何が起きているかわからなくておびえている」という状態は衝撃であり、中身を楽しむどころではなくなってしまった。
(となると残念ながら、母である私が、子供とともに、心から安心して親子ともども楽しく観劇できるのは、今は、やはりヒーローショーかサーカスやダンスのショーだけなのかもしれない…。)
演劇と家庭の両立とは?
それが、「産前と同じように自分と劇場の関係をもったまま、大人の芝居に子供を連れてくる」ということならば、
「子どもの年齢的に、連れてくるのを控えた方がいい時期」というのは存在すると思った。
私は演劇が好きで。
もはや私から母という属性は切り離すことができなくて。
いつか演劇が、自分がそうだったように、彼を救ってくれる存在であってほしい。
そのためには、演劇が彼にとって演劇や劇場が「なんか好き」な場所であってほしい。
だから、
演劇が単なる身体のパフォーマンスではなく
(発声をともなうにかかわらず)言葉や会話で世界をとらえるパフォーミングアーツである以上。
小さい子供の観劇体験には、慎重になりたい。
というのが私の感想だ!
が!!!これはこの公演の良し悪しではなく!!!!!!
たとえばうちの子は「たまたまTVでうつったプリキュアの戦闘シーンをみて怖がっているような3歳」!!!!
その前情報をしっているのは私だけであり!!!
ちょっと言い争ったりするようなシーンでおびえる子どもを想定して演劇の物語はつくれないよね!!!!ふつうにわかる!!!!!!
だからね、「パショパショは大人向けの演劇である」というような記載を見かけたときに「あ、いくら子供OKでもうちの3歳はやめたほうがいいな」っていう判断ができなかった時点で親の失敗なのです(しかも記載を見てたんだから)
これは・・・マジで・・・演劇(子供向けではない)が身近すぎる人間ゆえの、迂闊なミスでした。(わざわざ韓国料理にからいって書くか書かないかみたいな、そしてからかったからウヒーてなってるみたいな)
家庭と演劇の両立、そしてこどもと大人の演劇のことを真剣に考えて、ここまでも公演をきざみ、実際にこどもからお金はとらず、雨にも負けず、60分のお芝居を見せてくださったパショパショの皆さん。本当にすごいです。リスペクト…。今回こういったことを考えてとらえるきっかけにもなりました。
ありがとうございます。
このスタンスに気が付いたなのでしばらく子連れはパスだろうけど、ぜひまた見たい、見ていきたい、「演劇を愛する人生」の先輩たちを知れてとってもうれしい。
そして今回怖い思いをしちゃったのにおとなしく60分見てた息子。えらい。えらすぎるよ!!!
最近ブンブンジャーを見るようになって、8月のあたまに馬事公苑でキャラクターショーがあるみたいなのでそれ連れていく予定です。
わたしもキャラクターショー、観てみたい。
いつかきぐるみの中に入りたい。
●その他、感想
絶望した。
(またネガの世界にはいる!!!)
数年後の私の姿がそこにあり、私は励まされながらも、絶望した。
絶望している自分に絶望した。
いま33歳であることとこれから中年になることに震えた。
他人から「あなた生きづらそう」といわれることを思い出した。
このやさしい肯定のパワーを受け取ることができない。
受け取る準備が私にはない。
そう、これはどう考えても受け取る側の問題なんだけど。
往々にして観劇の感想とは大変にパーソナルなものだと思うので絶望させてくださいね。
(※先に行っておくと絶望するのが趣味みたいなところはある)
ほんと個人的なことで。
私の人生の話なんだけど、25すぎてようやく夢(演劇)を追い始め、なのに結婚してしまい、なんとか芸能の業界にふみとどまるも出産までしてしまい、ろくに演劇の経験を重ねないまま今に至ってしまった。
それに、近くに私と同じように幼児子育てをしている演劇人がいない。いるんだろうけど会えてない。
私は自分の芝居に自信がない。演劇のキャリアもほぼない。ブランクも長い。声では多少やってるけど身体とのつながりがどれくらいなのか、チューニングできてない。自分がどれだけ芝居ができて、できないのか、わからない。
子育て・ブランク・パフォーマンスをひっくるめて近い温度感で、一緒にやれる仲間がいない。
だいぶ孤独。
これは、私の人生において演劇側からの見方であり、夫は最高な男だし子供も確かに望んだし本当にいい子ですくすく育ち、大変に幸せ者である。
だけど、演劇ができなくなってしまった。それがいまとても苦しい。さみしい。妊娠してからこの矛盾にやりきれなくてたまらなくなることがたびたびある。
そんななか、現にステージに立っている俳優たちの「みんなよくがんばってる!おっけーおっけー!」に、孤独感が深まってしまった。
ここまで登場人物たちの地獄を共有したというのにもかかわらず。
この俳優たちは自分と同じように家庭があるというのにもかかわらず。
結局のところ、私がすごくひねくれものなのはまちがいない。
ネガティブで、できない理由を並べまくっている。
だから仲間がいないのかもしない。
でも・・・でも。
とってもうらやましかった。
そして絶望はもうひとつある。
子供が多少大きくなっても今度は親の介護とかで、結局ステージに立てないことに苦しむダンサーというキャラクターが出てきたことだ。
やめてよーーーねーーーやめて^^???
ピンポイントでえぐってきたな。
10年立てばできるかもしれない、という淡い希望を抱いていたが、「それは淡い希望だ」と突きつけられてしまった。
さらに、結婚や出産はしなかったけど、たいして大成もせずマンネリになりながらアルバイトで役者を続ける44歳女性というキャラクターまでできた。
しかも女優と呼ばれるとなんかちがうから「俳優か役者と呼んでほしい」とか言っている。
や、やめろ・・!
私みたいなキャラクターは一人でおなか一杯なのに、二人も登場させないでくれ!!!!
この公演、話の内容でも、メタ的な部分でも、結構心を揺さぶられてしまい、数日しばらくフワフワしてしまいました。
そして考える。
自分が作品作りをするとして「面白かった!」「最高だった」みたいな声はいくらでも聴きたいけど、想定外の方向で自爆ダメージ食らってる観客の「なんかいろいろ刺さってやばかった」というのは、あまりいい感想とは言えないかもしれない。
どうか、もし関係者の目に留まったらお気を悪くしないでほしい。それだけが願いです。
こういう刺さり方をしているけど、ぶっささったことには間違いない・・・。