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母校の大学祭でネタをやってきた話

どうも皆様こんにちは。
「一浪して大学に入って最初の自己紹介で1個年上であることを話したらしばらく周りの同級生が敬語だった」でお馴染み。
せいぎのみかたの片割れ…もとい正義正義です。
普段は社会人の傍ら、アマチュア芸人として仙台の舞台を中心に活動しています、よしなに。


記事のタイトルにもある通り、先達ては10月8日。
僕の母校である石巻専修大学の大学祭である「石鳳祭」にゲストとしてお笑いステージに出演させていただきました。

改めまして、ステージをご覧いただいた学生の皆様、並びにご来場の皆様、大学関係者の皆様、当時お世話になっていた教授、etc…本当にありがとうございました。
石巻専修大学OB、そして石鳳祭実行委員会OBの端くれとして、石鳳祭を盛り上げることが出来たならば幸いです。


「お疲れ様です。
石巻専修大学・石鳳祭でお笑いライブの枠を20分いただきました。
もしよろしければ出ませんか?」

きっかけは先輩芸人であるふあん★がーるさんから届いたLINEのメッセージでした。


丁度いい写真が無かったのでこれで勘弁を。

ふあん★がーるさん(清水狸さん)は元々東京で20年活動していたお笑い芸人であり、2020年に石巻で開催された「第一回石巻お笑いマスター決定戦」で準優勝したことがきっかけで仙台のお笑い事務所・ティーライズに所属、加えて石巻市地域おこし協力隊として宮城県石巻市に移住することに。
僕自身も10年以上前からその存在は知っていたので、宮城に移住すると聞いた時は大変驚きました。縁は異なものとはよく言ったものだなと思います。


話を詳しくお聞きすると、今年4年ぶりに通常開催がされることになった石鳳祭(これまではコロナの影響などによりオンライン開催だった)において大学構内に設営される野外メインステージで音楽ライブの合間に20分の枠を頂いたので、そこでお笑いライブを開催するのでそれに出演しないか、とのこと。

折角の機会だし、おそらく僕以外にも芸人何組かが出演して各組数分程度ネタをやって軽くトークして終わりって感じだろうと思い
「まあ久々に母校に帰るくらいの気持ちでネタやりますか」
という軽いノリでふあん★がーるさんに参加の旨を伝えたところ、間もなく返信が。


「ありがとうございます!了解です。
ふあん★がーる・正義正義の二組で複数ネタやる20分にしようかと思ってます。」


まさかのツーマンだった。
軽い気持ちで了承したことをちょっとだけ後悔した


後からふあん★さんに確認したところ、元々実行委員会から芸人さん2組まで参加可能と伝えられていたらしく、そこで大学OBである僕に白羽の矢が立ったとのことでした。



石鳳祭。
かつては実行委員としてご来場のお客様や石鳳祭を盛り上げて下さるゲストの方々を迎える立場として運営に携わった石鳳祭。
大学卒業から5年、今度は迎えられる立場として関わることになるとは。

思えば、お笑い活動を始めたのも石鳳祭実行委員会に所属して間もなくの頃。
当時は「実績を残す前から周りにお笑いやってると言いふらすのはダサい」という考えから、結局卒業までひっそりと続けてきたお笑い活動。
在学中「大学でネタとかやれたらいいな~」とぼんやり考えていたものの、結局行動に移すことなくそのまま卒業という形で大学生活を終えることに。

今度はゲストとして、そしてOBとして、大学側に顔も名前も知られている状態でネタを披露するという状況。
のしかかるプレッシャー。
絶対にここでしくじる訳にはいかない。
「久々の母校~」という軽い気持ちが、「あの時出来なかったことをここで果たすつもりで、ちゃんとやりきろう」という決意に切り替わった。



駅で撮った写真、これしか無かった。

そして迎えた当日。
あれから決意を新たにしたものの、その後はコロナに罹ったり、本業が忙しかったり、M-1予選参加のために東京に行ったら一回戦通ったりと、色々目まぐるしい状況だったこともあり、直前まであまり準備ができてない状況に。

前日までに何とかネタを揃え、トークで話したい当時の大学でのエピソード・石鳳祭実行委員としてのエピソードを行きの電車の中でネタ時間に収まるよう構成をまとめあげて、なんとか形にする突貫工事ぶり。
思えば大学の頃も必修科目を3年間落とし続けて4年生で(先生の温情もあって)ようやく単位取れたってことがあったっけ。
マジでヤバい状況に陥ってから諸々着手するのは大学時代から何も変わっていないな。
こんな形で当時のことを回顧したくはなかった。

ちなみにこの時考えたエピソードはほとんど使わず、本番出番前にふあん★さんと話しながら出てきたエピソードや大学関連の小ネタを採用することになった。
さすが芸歴20年は伊達じゃない。自分の付け焼き刃を恥じるばかり。



ふあん★さんと合流後、バスで石巻専修大学へ。
到着した瞬間、あまりの「何も変わって無さ」に感動で震え上がる。
なんだこれ、当時から変わらない、そのまま過ぎて色んな記憶が蘇ってきた。
このバス停から最短距離で食堂行けるんだよな、とか。
5つある建物のうち、1号館は理工学部しか寄り付かないし、3号館は経営学部しか寄り付かないんだよな、とか。
1号館から5号館までのうち、4号館までは一応順番に並んでるのに5号館だけ何故か外れにあるんだよな、とか。
(あ、これネタ前のフリートークに使えるわ、とも思った。)


バス停横のゴミ箱すら変わってなくて思わず写真に収める。



現役実行委員に案内されるまま楽屋入り。
当時選択科目を受けていた小教室が机の配置を変えて楽屋として使われていることに不思議な感覚を覚えながらもネタ準備。
当時はステージ企画に携わることはなかったからこういう風にゲストを迎えていたんだなぁと5年越しの気づきを得られた(でもよくよく考えたらなるべく出演者同士の距離を取るためのコロナ用の措置だったかもしれない)

楽屋入りと共に更に増してきた緊張感。
最後のネタ尺調整を行っていたらふあん★さんから
「一つ聞きたいんですが、石巻専修大学ならではのあるあるってありますか?」と聞かれる。
何でも学園祭のような一般客の方が多いライブだと現地のあるあるがネタ入り前の枕として有用だそうな。

既に思いついていた専修大あるあるはネタの中で採用をするつもりだったので、急遽その場で考えることに。
そこで思いついたのが本番でも採用した
「食堂のかけうどんとかけそば、大盛りにすると普通盛りよりも麵のグレードが上がる」だった。

簡単に説明すると、食堂のメニューであるかけうどんとかけそばは普通盛りだと所謂ソフト麺のようなものが提供されるが、大盛りにするとサイドメニューのミニそば・ミニうどん用の冷凍麺を2玉使って提供されるため、普通盛りより腰のあるグレードアップした麺を食べることが出来るのだ。
これは大学4年間、同じ学科の同級生と食堂で時間を潰すことに青春をささげた結果見つけ出した専修大ライフハックである。

ふあん★さんからの反応も上々で「それを知ってるかどうかオープニングで聞きましょう」と、その後の展開まで考えていただいた。
まさか大学時代の爆発した食欲がきっかけで見つけたライフハックをこうして舞台上で披露する日が来るとは思わなんだ。
「人生に無駄な経験などひとつもない」というどこぞの経営者の言葉を実感する。


あと、終わってから気づいたけど楽屋入り口にちゃんと名前の書かれた張り紙がしてあった。
これがあるかないかで「ゲスト感」ないし「芸能人感」はグッと変わる気がする。



本番15分前、野外ステージ横の楽屋テントへ移動。
もうここまで来たらやるしかあるまい、泰然自若堂々と構える。
改めてフリップを確認してネタ時間が心配になりフリップを直前で減らす。
どこも泰然自若じゃない。



僕の写真がなかったのでふあん★がーるさんの写真で


そして、遂に本番。
最初にふあん★さんと共にフリートーク。
自分が専修大OB&石鳳祭実行委員会OBであることを話しながら先程ふあん★さんと話し合っていた専修大あるあるを披露。
意外にもステージ周辺にいた学生は皆知らなかったようだった。
そば・うどん大盛りのライフハックはマジで有用なのでこれを機に後輩諸君にはぜひ試してみていただきたい(OB面)


そのまま続けて自分のネタ披露へ。
冒頭には石鳳祭トークを組み込みながら2022年爆笑必須オリジナルギャグである「よしなに」を披露。

「よしなに」は、おはようからお休みまで幅広く使える万能挨拶ギャグです(ポーズは上の写真をご参照ください。)

大学時代、お笑いを始めたばかりの頃にはまだ影も形もなかった「よしなに」を卒業後に大学内で披露できるとは思いもしなかった。
ある意味で「よしなに」を通して、あの頃から成長した姿を見せることが出来たのかもしれない。


そして本ネタ披露。
チョイスしたネタは仙台で何度か披露した「街中や電車の中で一人で何かを訴えているおじさんの主張」である。

「おじさんの主張」をやる時の衣装

このネタは、街中や電車の中にいる大声で独り言を叫んでいるおじさんは実はちゃんと意味のある言葉を話しているので紹介する、という内容のフリップネタである。
フリップネタでかつ一言ネタなので時間調整が行いやすく、仙台でも割とウケが良かったネタなので、営業的な場所でやるならTPO的にこれだろうと判断しチョイス(この手のおじさんがTPOに則する場所って何だ)



お客さんの雰囲気もトークとよしなにで温まってきたところだし、よ~し、ここはいっちょ、先輩として後輩たちに格好のいいところ見せちゃいま

いやいやいや待て待て当時お世話になった教授が見に来てるやないか

いや正確には研究室の担当じゃないけど一回酒奢ってもらったことある人だし割とつながりあった方の教授じゃんか。俺久々に会った教授におじさんのネタ見せんのかよ。こういうタイプの芸ずっとやってると思われるかもしれんぞコレ大丈夫かな。今更だけど学校からも何かストップ掛からないだろうな、万が一の時は責任取り切れんぞ、少なくとも学科は偽りかねんぞ。機械工学科とか言っちゃうぞオイ。

大いに心の声を叫びつつ動揺が一気に高まる。
動揺を見せないようにいつも通りおじさんとしてネタをする。


そして最後、おじさんの主張として石巻専修大学に関する主張を披露。
在学中からずっと思っていたことを力の限り叫ぶ。


「石巻専修大学…!石巻って、名前についているのに…!!」


「駅から遠過ぎるだろ!!!」


瞬間、学生から沸き起こる拍手。

最後の最後に笑いではなく、同意の拍手が巻き起こった。
みんなやっぱり遠いと思っていたらしい。
ふあん★さんに後から聞いたら「あそこだけ演説みたいでした」と言われた。



ネタ終了後はふあん★さんとエンディングトークを繰り広げた後、出番終了。

その後間もなく「お疲れ~!!」と、ネタを観てくださった教授がテントへ乗り込んできた。当時と何もテンションが変わっていなくて安心する。
本当に5年ぶりに会ったのだろうか。

とはいえ、当時お世話になった人の前でネタをちゃんとやり遂げて、それなりには笑ってもらえて。
あの時、大学時代に仙台で舞台に立ちながらなんとなくやりたいと思っていた「大学でネタ披露」という本懐を、5年越しでよい形で成し遂げることには成功したと思いたい。


「まさかこんな芸があるとはね」
教授からこの一言を掛けていただいただけでも、今回のステージは成功だったと言えるのではないだろうか。


その後は大学をふあん★さんと共に学校周辺をうろつきながら他の教授の方や石鳳祭実行委員会の皆様、大学関係者の方々にご挨拶をさせていただいてから駅へ向かうことに。
バス時間を調べたところ2時間後までバスが来ないとのことで駅まで3.7キロ歩くことに
ネタの最後に叫んだことをこんなに早く実践することになるとは(久しぶりに駅まで歩いたけどしっかり駅まで1時間かかりました)




その後、ふあん★さんとは解散し、高速バスで仙台へ戻る。
高速道の景色を眺めながら今日一日のこと、そして大学時代のことをぼんやりと振り返る。


2013年10月、大学1年の秋。
「もうちょい実績を残してから周りに言おう」と考え、同級生はおろか他の実行委員にも話すことなくひっそりと始めたお笑い活動。
なかなか結果が出ず、ズルズルと言うタイミングを逃していく。

翌年からは委員としての活動が本格的に忙しくなってきて、結果はおろか、委員会の仕事の為にお笑いの予定を削る始末。
それでも、大学祭を自分たちが中心となって作り上げることは本当に楽しかった。

当時僕は地場産品という主に石巻市の飲食店・食品企業に出店を出していただく企画を担当していた。
観光協会の方に主だった企業を教えて頂いたり、自分で出店していただきたい企業へ連絡を取ったりしながら、先輩に大見得切って揃えると宣言した15団体に出店して頂くことに。

大学祭当日、15団体のテントが立ち並ぶ様子を見た時はただただ達成感に浸っていた。
おそらく、あの時に実行委員としての本懐は遂げていたのだろう。

ただ、肝心の芸人としての本懐はまだまだ遂げる見込みすらなかった。
翌年からは実行委員としての仕事はぐっと減り、要所要所で手伝うポジションに。
お笑い活動にも前より打ち込めるようになったものの、相変わらず爆笑からは遠い日々を過ごしていた。

仙台で一番大きなライブ「IGINARI LIVE」に出演できることが決まった頃には、気が付けば大学4年の12月。
皆、卒研がどうだ内定先がどうだと忙しく、最後のチャンスであったここでも言えず終い。
結果として、学友たちには正式にちゃんと打ち明けることはないまま、2017年3月、石巻専修大学を卒業した。


そして現在。
2022年10月、社会人5年目の秋。

あれから新卒で入った会社をメンタルグショグショになりながら辞めて、なんとか今の会社で多少落ち着いたメンタルと共にサラリーをいただきつつ生活をしている。

その後は大学時代にあまり取り組めなかった「周りに覚えてもらうための努力」の一環として、自分でライブを主催したり、賞レースに出演したり、TikTokを初めてみたり、「よしなに」を開発したりと、少なくとも大学時代よりは出来ることの範囲が広くなっていると自分では思っている。

正直、大学のことを思い出すことはあまりなかったように思う。
卒業から5年間、ロクに大学に寄ることもなかったし、所属してた研究室の教授や同級生と連絡を取り合うこともほとんどなかった。
大学時代は楽しかったけど、このまま思い出として記憶の奥底に封印されて、たまに取り出しては思い出すだけの存在になっていくのだろうなと思っていた。


ところがどっこい。

チャンスが回ってきた。

「石巻在住の芸人さん(ふあん★がーるさん)」
「石鳳祭」
「石巻専修大学OB」

この要素が一つでも欠けていたら、きっとネタ披露のきっかけは得られなかっただろう。
「人生はチョコレートの箱のようなもの、開けてみないとわからない」
フォレスト・ガンプにこんな台詞があったが本当にその通りになるとは。
僕の人生のチョコレート箱には石巻焼きそばフレーバーのチョコが入っていたようだ(石巻焼きそばアイスがあるんだからチョコだってあってもいいだろう)


これまでの人生の約1/3を共にしてきたお笑い活動、多分これからもぼちぼちと続けていくだろうと思う。
けれど、きっとこの「母校でネタを披露した」という経験は、自分のやりたかったことが実を結んだ瞬間として、自分の芸人としての記憶に確かに刻まれていくのだろうと思う。
これからは時折、思い出の引き出しの前の方に置いてある今回の出来事をたまに取り出しては、自分のやる気を持ち上げるための起爆剤にしたいと思います。


改めまして、石鳳祭実行委員会の皆様、石巻専修大学の学生の皆様、教授の皆様、大学関係者の方々、今回お声がけいただいたふあん★がーるさん。

本当にありがとうございました。




よしなに!!



石巻専修大学 理工学部 情報電子工学科 平成29年卒
元石鳳祭実行委員会 総務局所属 地場産品担当
正義正義

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