イワナイ、イエナイ
前の会社に在籍中、2回始末書を書いたことがある。
2017年春。
1年間の浪人生活+4年間の大学生活を経て、同級生とは1年遅れで僕は社会に飛び出した。
当時勤めていた会社は暦通り休みが貰える会社だったので、大学時代から始めたお笑い活動に支障が出ることなく引き続き土日祝日を中心にライブに出演する生活をしていた。
お笑い活動に関して大きな変化はなかったが、大学生から社会人にジョブチェンジしたことで僕の中には
「会社で何か失敗とかしても、それをトークに出来るよな~」
という、社会舐め放題な意識が芽生え始めていた。
舞台に立っていると「お笑い芸人をやっていればどんな失敗をしても笑いに昇華出来る」という話を耳にすることはあるが、曲がりなりにもサラリーマンを生業にしてる奴がこんなバイタリティでいいのか、と今になって思う次第である。
勿論、そんなMAXコーヒーが如く甘い意識の持ち主なので失敗を起こすまでにそう時間はかからない訳で。
その年の秋。
とある失態を侵した僕は始末書を書くことになった。
えらいもので創立以来、始末書レベルの問題が発生したことがなかった当時の会社において、なんと僕が栄えある始末書第一号になってしまった。
会社史上初の始末書作成ということもあり、上司へ提出した後に2、3度程書き直しを命じられたのだが、内容の問題があった訳ではなく
「フォーマットに変更があったので別のバージョンで描き直してほしい」
という理由だった。まさかの向こう側の書類不備である。
さて、失敗談も準備が出来たということで早速この話をエピソードトークに落とし込み、ライブで話したのかと言うと流石に始末書レベルの失態と言うこともあり表舞台で話すことは控えていた。
一歩間違えれば会社の信用問題に関わる「笑いに出来ない」タイプの失敗だったので、そりゃそうだといったところである。
とはいえ、この出来事を自分の恥部としてひた隠しにしておくのもどうかという考えもあったので
(2年くらい経ってほとぼりが冷めたらどこかのライブでこっそり言おう…)
などと企てていた。
それから2年後の春。
僕は人生2度目の始末書を書いた。
これも失態の子細を書くのは憚られるので、どのくらい大事になったかだけ話すと
「当時勤めていた会社のマネージャーが家まで来た」
というところまでいった。
学生時代、問題起こして学校に親と謝りに行くみたいなイベントは回避しながらここまで来たのだが、よもや社会人になってからこの手のイベントの逆パターンの実績解除をするタイミングが来るとは思わなんだ。
結果として僕はほとぼりが冷めるタイミングを逃してしまい、社会人の失敗エピソードトーク披露の日はまた先延ばしになってしまった。
そしてまたその2年後にまた始末書を書くことになり…ということはなく、翌年僕はその会社を退職した。
会社も辞めたし、そろそろお披露目としゃれこむか?などと考えもしたけど、ライブで話した内容が何らかの形でかつての上司や同僚の耳に入ってしまったら守秘義務がどうとかで怒られるかもしれない、という考えが頭をよぎり、以来そのままである。
現在に至るまでこの2つのエピソードトークは、冷めることのないほとぼりを僕の頭の片隅で待ち続けている。
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