今日は姉の誕生日である。

今日は姉の誕生日である。

今日を以て姉は御年30歳。遂に大台に乗り上げる。直接本人にこの言い方したら多分怒られるのでここで書くのに留めておく。
1992年3月11日生まれ、小学生の頃は学年が2個違いなので意識していなかったが僕と姉は年子にあたる。姉が産まれた半年後には母の腹ん中に僕が宿っていたとと考えると中々の短期スパンである。今のご時勢で例えるならば2回目のワクチンの時に出産して3回目のワクチンの時には既にご懐妊だ。

そんな姉と僕の関係性は良好かと聞かれるとそうでもないし、かといって険悪かと言われれば決してそんなこともない。
連絡を取り合うのはもっぱら妹の方が多いし、直接会う機会があっても僕は大抵姉の娘二人、僕にとっては姪っ子にずっとデレデレゲヘゲヘウッホウッホしているので、あまりちゃんと会話をしていない気がする。

幼少期を振り返るとどうだろうか。
小・中学校の頃は姉から割と一方的にしっちゃかめっちゃか無茶苦茶されてはいたと思うし、姉を持つ人間が一般的に体験する理不尽はおおよそ被ってきたと思う。
それも僕が高校に入学するくらいからは不思議とお互いいがみ合うことはなくなり、姉からの露骨な理不尽も次第になくなっていった。おそらく姉の方が大人になったんだと思う、精神面で。
姉は中学から高校初期にかけてバチバチの反抗期であり父とは時折ピリッとしたやり取りを繰り広げていたのだが、それも僕の高校入学と同じタイミングで徐々になくなっていったのでなおのことそう感じる。やはり反抗期がちゃんとあった人の方が後々の人間性がちゃんと成熟するんだろうなぁと今現在の姉の姿を見て思う。

今になって振り返ってみると、当時は姉を一方的に下に見ていた節があったと思う。
どちらかと言えば自分の方が勉強が出来ていたし、対外的に利口だったので大人からの評価もけして悪くなかった(と勘違いしていた。今考えると当時から社交的だった姉の方がよっぽど評価は高かったと思う)。
当時は姉からの一方的な理不尽を受け続けるフィーバータイムの真っ只中だったこともあるので、そう思うことで自分の尊厳を守っていたのだろう。

では改めて、今現在、僕自身が「姉」という存在をどう思っているかと考えると、おそらくこう一言で表せる。
「一番身近にいる、ちゃんとした大人」だと。


11年前の3月11日、出先からなんとか姉は徒歩で帰ってきた。


ろうそくの光でかろうじて確認することが出来た姉の部屋は、本棚が倒れ、学習机は物が散乱していた。

19歳になったその日に、日常はいとも簡単にゆがめられてしまうという事実を突きつけられた姉は、その時何を感じてたのか、僕にはわからない。

その日を境に、姉は明確に「ちゃんとした大人」になり始めたと思う。


あの日から1ヶ月が経った頃、姉は当時勤めていた会社の意向で名古屋へ転勤となった。
1ヶ月の短期間とはいえ、まだ普通の生活もままならない状態で急遽県外で仕事。28歳の僕ですらちょっと躊躇してしまいそうだが、姉は間もなく宮城を発った。まだ成人式すら済ませていない年齢の人間が、そんな簡単に決断できるのか。これを書いてて結構驚いている自分がいる。

宮城に戻ってきて間もなく、姉は一人暮らしを始めた。
場所こそ実家近くだったが、一人でちゃんと身を立てて生活を始めたのである(父に頼ることもあったらしいが)

免許を取って車も買った。なんとミニクーパーである。MT車ですよMT車。

それから2年。
姉は結婚した。
結婚式には僕が知っている人間もそうでない人間も含めてたくさんの友人が出席していた。
あとその席で義妹(姉の旦那の妹)に会ったのだが、身長が170cmあってびっくりした。ちょっと委縮した。


そして現在。
姉は県内に一戸建てを建て、旦那と、二人の娘と一緒に生活している。
上の子は今年小学校入学だ。入学式は普通に開催できることを願う。
育児は大変そうだが、対外的に見て楽しそうではある。
きっと僕には想像もつかないような苦労があるんだろうが、姉はそれらに対して、きっと「ちゃんとした大人」として真っ向からがっぷり4つで組み合ってるんだろうと思う。


僕もなんだかんだでダラダラしていたら今年で29歳を迎える。
自分一人でなんとか身こそ建てているものの、免許はあれど車も持っていないし、結婚はおろか彼女が出来る気配もないし、1K月3.9万(共済費込み)のアパートで録画したバラエティを観ながら「我は一国一城の主であるぞよ」なんて戯言を行ってみたりしている。
僕のイメージする「ちゃんとした大人」の像からはだいぶかけ離れているな、と。


だからこそ、けして順調にとは言えなくとも着実に大人の階段を登り続ける姉という存在を、心のどこかで尊敬しているのだ。
小学校の頃の僕、君のお姉さん、ちゃんと凄いぞ。ちゃんとやるべきことやっているよ。


ここ数年、姉は誕生日の14時半から15時にかけて、必ず運転をするようにしていると聞いたことがある。
理由は本人曰く、「目ぇつぶんなくて済むから」らしい。

今日という日は、多くの人間が何とも言えない記憶をふと思い出す一日になるのだと思う。
然れども、毎日をちゃんとやるべきことやって頑張っている人間にとって、たまたま今日という日が特別な一日だったのだ。
そんな一日くらいは、目を瞑ることなく、あの時のあの瞬間のことを忘れて、前を見つめてたっていいんじゃないだろうか。


長く、取り留めのない文章になったけど最後に改めて。
姉よ、誕生日おめでとうございます。
また姪っ子に会わせておくれ。
僕もゆっくりでも、ちゃんとした大人になるよう頑張るからさ。

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