夢を語れとの出会い
はじめまして、こんばんは。
髙橋大太です。
ヒロタじゃないです。オオタでもないです。
ダイタです。ひかるじゃないです。
父が敬愛しているギタリストの名前をそのままつけられました。漢字も同じなのかは知らないです。
改めまして、髙橋大太です。覚えて頂けましたでしょうか。
夢を語れ八王子の店主を務めています。
地元は北海道札幌。
自己紹介はこの辺で。
今回、なぜ僕がブログを書いているかというと、夢を語れグループで、 #ユメカタリレーブログ という企画が開催中で、そのバトンが松山店主ロバートから回ってきました。
テーマは、「夢を語れとの出会い」です。
各店主、各々が選んだ媒体から投稿しているので、気になる方はチェックしてみてください。
それでは、書いていきます。ちょっと長くなるかも。
2016年夏、当時18歳。サッカーをやるために入った専門学校を中退しました。
当時の自分にはサッカーしかなかったので、何をして過ごせばいいかわからず、何もせずダラダラと生きていました。
そんなある日、幼馴染に「山次郎」というラーメン屋さんに連れて行かれました。(大将元気かなー、八王子で知ってる人いたらすごい。)
狭い店内、ピリついた空気…出てきたラーメンにはモヤシとキャベツが大量に乗っていて、チャーシューもデカいし、ニンニクもドバッと添えられていました。
もう全てが衝撃的。見た目だけでお腹がいっぱい。まわりを見渡せば美味しそうに一言も喋らずひたすら啜る人たち。写真を撮っていたら友達も急に黙り込みズバズバ啜り始めました。
初めてでしたが、"どうするべきか"を瞬時に察し、一心不乱に啜りました。
結果は…
完食。
ほんとーーーにギリギリでした。店を後にして数十分後、札幌駅のトイレから出れなくなったのを今でも鮮明に覚えています。
幼馴染に、「あんなラーメンもう2度と食べない!」なんてことも言い放ちましたね🫠
それから数日後、今度は別の店に連れて行かれました。無理矢理。
それが、
こちら。言わずと知れた名店!
ラーメン二郎札幌店さんです。
少し話が逸れましたが、トラウマになっているあのラーメンが出てくるのかと怯えながら列に並び、店内に入り券売機で買った青色のプラ板を見せ、指示を受けてから着席、そして着丼。
あまりの緊張のせいか、写真を撮り忘れたのでしょう。当時のラーメンの写真がありませんでした。
とにかく啜って、啜って、啜りまくって、完食。
あれ?なんか意外と食べれたし、美味くね?
「二郎は3回食べないとわからない。」
なんて言葉がありますが、僕には2回で十分だったようです。
そこからはもう一瞬でした。3回、4回と通うほど頻度は多くなり、気付いた頃には週4、昼食べて夜また食べるなんてこともしてました。
実家から二郎まで片道1時間、よくもまあ通っていたと思います。
札幌駅から二郎までの道を仲間内でJIROADなんて名付けたり…あれ?やばい。気づけば現在夜中の2:17。
9時には仕込み始めなきゃ…
すみません、書いてたら楽しくなってきてしまっていました。ここからはめちゃくちゃ割愛させて頂きます。
時は流れ、2020年夏!当時22歳。上京してライブハウスとラーメン二郎に通う生活をしていた僕は、コロナ禍でそんな生活も出来なくなり、これからどうしようかなんて考えたりもしていました。
で、いつものようにTwitterを眺めていると、ある人のツイートが目につきました。
それが、僕の師匠であるラーメン荘、Yume Wo Katareグループ創業者、西岡津世志です。
そのツイートの内容は、「僕のラーメン屋としての最後の弟子を数人募集します!」
というものでした。
ん?と思った方、今回は触れないでください。笑
そのツイートをみて僕はいてもたってもいられなくなり、津世志さんにDMし、7月末に恵比寿のカフェでお話しして、8月末に松山に飛んだのでした。
すみません、途中、たぶん大事なところ割愛させて頂きました。笑
また別の機会があれば書きたいと思います。
ちなみに、松山に飛ぶ前、週1ですがあるお店で1年半ほどバイトをさせて頂いていました。
そのお店は…
これ以上はコンプラ的に言えないので、気になる方は広大なインターネットの海を航海してみてください。
実は探せばすぐ出てきたりします。かもしれません。
さて、この企画は企画名の通り、リレー式となっていて、次の方にバトンを渡す仕組みになっています。
次は同郷であり夢を語れ大阪店主、シュンタさんにバトンを渡します!よろしくお願いします!
やっと書き終わったーーー!只今の時刻は2:34。
一番長く書いてしまった2016年夏のあの頃よく聴いていたあのバンドのあの曲を久しぶりに聴いて、眠りに就きたいと思います。
ではまた。