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夢がなかった子どもが夢いっぱいの大人になった

小学生の頃、私は夢のない子供でした。

10歳くらいの時。ふと、
「あぁ、中学高校大学行って、就職して、結婚して、死んでいくんだなぁ」
と思った日がありました。
 
しかし25歳で脱サラし、フリーランスで活動をはじめると、
ご縁がご縁を呼び、想像もできなかった未来になりました。
 
小学生の頃には、
就職したら定年までその会社で働いていると思っていました。
しかし時代は大きく変わり、2010年当時、
まだ珍しかったものの、終身雇用が危ぶまれはじめました。
 
そこで、中学の頃からの趣味だったカメラを仕事にしようと、フォトグラファーと名乗り、自分で仕事をはじめました。

1年位は、がむしゃらに交流会に行きまくり、出会った方からお仕事をいただいていました。しかし、体力が持ちません。

6時間立ちっぱなしで撮影して、その後2日かけて3000枚の写真をレタッチ(色補正)して、いただける金額が5000円とかでした。

簡単に仕事がくるわけではなく、カメラマンと言えど、「なぜ何をどのように撮るのか」専門性を持たなければ仕事をいただくことは出来ないと痛感しました。
 
そんなある時に、友人から
「あるプレゼン大会で、写真を繋げた動画をプレゼン資料で作るから、写真を撮ってほしい」とご依頼いただきました。
 
面白そう!と思い、そのプレゼン大会に出向くと、
私がそれまで出逢ったことがないような大人たちがいました。
 
20代から60代の老若男女が、みんな10分間のプレゼンを作るのに、
泣きながら熱く夢を語り合っているのです。
 
夢のなかった私には、衝撃でした。

さらに、そのプレゼン大会を創った方のお話を聴くと、とても引き込まれ、感動して私も夢を持ちたい!と思わされてしまったのです。
 
すぐに夢を持つことは出来なかったので、ひたすらにその創設者の方とプレゼン大会の研究をはじめました。友人のプレゼンを手伝うという口実で毎回の会に参加し、感動するプレゼンとは何なのかを勉強し、自分なりに研究していきました。
 
最後の2週間はほぼ毎日徹夜で、最後の最後まで構成や写真、音楽を秒単位で合わせた動画を徹底して作り上げ、当時出来うる限りの完璧なプレゼンが出来ました。
大会では予選があり、もしも通過したら「私のお陰だ!」くらいに思っていました。
 
そして…見事、予選通過!! 本選に出場が決まりました。
 
鼻高く本選に出向き、まるで我がもの顔でプレゼンを観ていました。
 
しかし、気づいたのです。
このプレゼンは、友人の生き方があってこそのプレゼン。
2000人の前で語る友人の姿と声から溢れ出るオーラは、
まぎれもなく彼のこれまでの努力と経験の賜物でした。
 
本選で大賞を獲った友人を眺めていて、急に悔しくなりました。
私は、これだけの生き方をしているのだろうか?
 
それまで何となく楽して生きたいがモットーだった私が、
はじめて自分から何かをはじめたい!と思えた瞬間でした。
 
そうして、まだ夢のない私は、
ひとまずその大会に毎年関わることにしました。
 
半年間かけて、プレゼンをするプレゼンター20人が、全国からボランティアで集まるコンサルタントやコーチの方々に手伝ってもらってプレゼンを仕上げていきます。
 
毎年20人もの方の半生と夢を聴いて、2000人の前で語るプレゼンに仕上げるまでを全エネルギー注いでお手伝いすることは、私自身の人生について見つめなおす大きな機会になりました。
 
大企業を経営されている方が「こんなに大変だった半年は、人生ではじめて」と仰るほど、自分の人生を掘り下げ、お金になるから何か得をするからではない純粋な夢を人に伝わるように語ることは大変なことです。
 
その中で、私が本当に撮りたいのは、「人」だと気づきました。
この世界に、誰ひとりとして同じ人はいない。
 
無意識のうちに、自分なんて…と人と比べてしまう。
でも、誰ひとりとして同じ人生を辿ったことがある人はいない。
 
これまで生きてきた経験全てを持った、
そしてこれから生きる全てを持った
今この瞬間の「その人」
 
そこに私はいつも感動し、最も撮りたくなるのだと気づきました。
 
そうして写真のメニューを立ち上げると、有難いことに予約が埋まり
写真だけで食べていけるようになったのです。
 
しかし、プレゼンに出ているみなさんほどの大きな夢は、まだありません。
特に、間近でプレゼンを仕上げるまでに壮絶な様子を見てきたので、私は絶対に出ることはできないと思っていました。
 
 
 
そんな時、離婚の危機に陥りました。 
 
発端は、結婚生活で溜まっていたお互いの不満が爆発したこと。
毎日毎日、12時間にも及ぶ話し合いをするものの、話は平行線で最後は私が過呼吸になって終わる日々を過ごすことになりました。
 
1カ月経ったとき、話し合いを毎日していた部屋にあった観葉植物が、
枯れました。
  
うつっぽかったので、心療内科に行き、うつの診断と薬をもらいました。
そこで、この「うつになる傾向を根本から治したい!!!」と逆に奮起して、色々な方々からの情報をいただきました。
 
その中で、あるセッションをしてくれた方が
「もしも、存在だけで素晴らしい価値があるとしたら、今何をしたい??」
と聴いてくれました。
 
「存在だけで価値がある??」そんなこと、考えたこともなかった。
しかし、それを「もしも…」とイメージして体感していくと、久しぶりに幸せな感情が蘇ったのです。
 
2014年当時は、まだスピリチュアルは怪しいと大多数の人が懐疑的で、心理学もあまり知られていませんでした。 
 
そこで、それを体系化した創設者の方の合宿に行きました。
私は東京に住んでいるのですが、福岡で2日で20万円の合宿でした。
 
それでも、藁にも縋る気持ちで、行きました。
しかし午前中の時間は、あまり大きな学びはなく、
焦った私はお昼休みに創設者の方にすがりました。
 
「なんとかしてください!!!」
 
すると、彼女が言いました。
「あなたは、自分を愛してる?」
 
彼女は、余命宣告を受け、世界中の医者に匙を投げられたにも関わらず、
3年で完治させてきた人です。
 
その体験をしてきた彼女が問う「愛」。
その響きを聴いた時に、訳も分からず、涙が溢れてきました。
 
そうして、そのまま1時間、
ひとりで大声で嗚咽しながら泣きじゃくりました。
 
 
全部出し切ると、言葉ではない「愛」という感覚をはじめて認識しました。
 
全身の細胞ひとつひとつが「生きてる」そう感じました。
 
それから、その後の講座を全てうけて、家に帰ると
これまでとは全く違った夫婦生活になりました。
 
日常の中に、幸せが戻ったのです。
 
「これは、何なんだ!!」
不思議だったので、その疑問を解消できそうな、似たようなことを理論的に説明している所にいくつも出向き、ひとつひとつ、納得していきました。
そして実践していくと、あんなに絶対に嫌だと思っていた離婚が、もしかしたら二人が幸せに生きるためにベストなことなのではないか?と思えてきました。
 
そうして、役所の方に結婚だと勘違いして「おめでとうございます」と言われるほど、笑顔で円満に離婚することができ、離婚後3日で新しく私がそのままで幸せでいられるパートナーに巡り合いました。
 
あまりに奇跡のような…でも、とても大切な真理のひとつを体感したのです。
 
その時に、あのプレゼン大会が頭をよぎりました。
この、「私たちは、ひとりひとりかけがえのない、本当に素晴らしい存在なのだ」という感覚を伝えたい!!!
それを、心療内科で待っていた沢山の方たちのような、今うつで苦しんでいる人たちや、心が繊細な人たちに届けたい。
 
夢がなかった私が、夢を語ることになったのです。
 
半年間は、夢のような時間でした。
同じく夢を語るプレゼンターの仲間19人と切磋琢磨間して、私たちの為に全国からアドバイスをくれる沢山の人たちが毎回来てくれる。
 
大変でしたが、人をお手伝いしている時よりも、心持ちが楽な気がしました。
最後は、私の責任。そう思えるのは、とても自分を自由にしてくれます。
 
社会を良くする素晴らしく壮大な夢を語る仲間たちとは対照的に、
私はとにかく会場の方たちに「あなたは素晴らしい」と伝えるためのプレゼンを作りました。

観てくださった方が「自分を大切にしよう」「私は私でいいんだ」
そう思ってくれるようなプレゼンを目指しました。
  
2015年12月。
20人の中から8人が選ばれる予選会場に、立っていました。
 
大会創設者の方が、
「台本は捨てちゃってください!! 忘れたら、泣けばいいんです!」
と仰っていたのを聴いて、何かが吹っ切れて、
本当に台本を置いて壇上に立ちました。
 
一度も覚えようとしたことはなかったのに、不思議と10分間全ての言葉が口から溢れてきました。「プレゼンが本当に自分のものになる」とは、こういうことだ。そう、感じました。
 
全ての言葉をその言葉以外には考えられないほどまでに精査し続け、毎日毎日読み込みつづけると、こうなるのだと、頭で理解していたことを体感していました。 
 
この半年間の学び全てが、今ここにありました。 
 
そして接戦の末、本選に出場することができました。
 
夢のない私が、
夢を語る大会で2000人の前でプレゼンすることが出来たのです。

小学生の頃は、当てられて前に出るのが嫌で仕方ありませんでした。
いつも足が震えて、みんなの顔なんて見ることはできませんでした。
 
でも、2000人の前に立った時。
とても大きな安心感に包まれていました。
 
ここに居てくれる人たちは、みんな、仲間たち誰かの応援者。
あたたかい気持ちで会場の一番後ろの席の方までまっすぐに見て届ける気持ちでプレゼンをすることができました。
 
終わった後、泣きながら握手を求めにきてくれる方がいらしたり、メッセージカードには、「おっさんですが、号泣しました」「うつで休職中の部下と来ています。隣でずっと泣いていました。」というメッセージをいただきました。
 
本当に、出て良かった。そう思いました。
 
しかし、実は私は夢を語ったわけではありませんでした。
一番伝えたかったのは、「あなたは素晴らしい」ということ。
 
その素晴らしい人間ひとりひとりが、
より幸せになれる社会ってどんな社会、地球だろう??
 
はじめて自分事として、大きなビジョンを描いてみたい。そう思いました。
 
そうして、人間ひとりひとりが、その人だからこそ幸せに生きられる社会。そんな社会だったらどんな地球になるだろう? 
「究極の地球」というイメージを考えはじめました。
 
するとある時に、
全ての国は村のような小さな集団になり、価値観が産業となり、旅人が流通をおこし、まるで地球の細胞のように村があり血液のように流通がおこっている。
そんな地球のビジョンが浮かびました。
 
壮大すぎて、どうしよう・・・
私は、何をすればいいのだろう??
 
そんな風に思い、何もできずに4年が過ぎました。
そうして2019年。
 
ある時に、人生について深く語り合える友達と居ると、
「こんなことを話せるのは、ゆかちゃんだけだよ」と言ってくれました。
 
そうなのか。私は、そういう人と話が盛り上がるから、結構居るな。
じゃあそういう話ができる友達を集めてみようかと思い、12人ほど集めてみると、まるで親友のように一瞬で仲良くなっていました。
 
それがきっかけで、目的がない会には決して行かない女子たちが、
目的もないのに毎月集まるようになりました。
 
そこで、お互いの目標ややっていることを分かち合い、才能や魅力を褒め合い続けると、
今まで自分は得意だと思っていたことが、あの子の方が得意で好きでやってる・・・などと気づき、本当に自分がやりたいことしかしなくて良くなっていきました。
 
そんな中で、ある友人が舞台女優をしているので、彼女オリジナルの『感性を開くワーク』をしてもらいました。
 
「これは、人間探求の最高峰だ!!」と感じました。
 
お芝居って、人生を切り取って意識化して表現していくもの。
この世界の縮図を沢山味わえるのですよね。
 
「人間が人間として生きるということ」
これを体感させてくれるものだと感じました。
 
そして毎月1回、メンバーにワークをしてもらいました。

女優の彼女も、
役者であっても中々理解してくれないこのワークを、こんなにも喜んでくれるなんて。と、驚いていました。
 
そんな遊びが続いて、2020年。
女優の彼女が大きな舞台を主宰するとのことで、プレゼン大会の時の仲間で仲良くなった友人と応援に行きました。筋ジストロフィーという難病を抱えながら、大手企業に勤め、土日で日本全国で歌と講演をしている綾子ちゃん。
 
彼女を紹介すると、彼女の半生を舞台にしたい!!と盛り上がりました。
私にとっては、尊敬する二人の舞台。応援したいけど、関わるならどこまで関われるだろうか・・・としり込みしていました。
 
すると、女優の彼女が、「主宰は、ゆかちゃんだよ」と言ってきました・・・!!
 
その瞬間、驚きと共に、なぜかお腹の下が熱くなりワクワクしてきました。
そして「やる!!!」と言ってしまったんです・・・!!!
さらに、「二人の舞台なら、1000人には観てもらわないと・・・!!!」
と言ってしまいました。
 
そうして、役者でもない素人の私が
1000人を動員する舞台を主宰することになりました。

蓋を開けてみると、500人以上の観客が入るホールと機材は料金が跳ね上がり、予算が1600万円になりました・・・。
 
何からはじめて良いかわからず、ひたすらにこれまでの友達に声をかけ、がむしゃらに進めていきました。
 
そんな中で、ふと「この舞台は、2015年に描いた究極の地球の最初の一歩になるかもしれない・・・」と、思いました。
 
その世界観を舞台で伝えて、共にそんな地球を創る仲間たちを集める・・・
それがこの舞台を私が主宰する意味なのではないか・・・?
 
これで地球や私の人生が大きく変わるのなら、1600万円は安い。
そう感じたのです。
 
そして、「本当の自分を生きる演劇プロジェクト」として、より人間らしく本当の自分を生きたい人に出演いただき、舞台を完成させるというプロジェクトがスタートしました。
 
物語は、女優の彼女が演出も脚本もしてくれました。
彼女は、全ての人が表現者であると伝えたいと、この舞台を機に一般の方向けにワークをはじめ、大人気になりました。
 
物語はオリジナルで書いてくれ、ファンタジーのお子さんにも観ていただける、でも大人が観ると真理が詰まっている深い物語になりました。
 
私は主宰しながら、筋ジストロフィーの綾子ちゃんとダブル主演として出演したので、もう無我夢中でした。
 
公演が来月に迫った2022年10月。出演者のメンバーも想像以上にハードなお稽古で必死すぎて。1000人中、200枚しかチケットが売れていませんでした。
 
そんな中、それまで何回かお稽古を見に来て応援してくれていた人が、
「あと一か月で1000人を埋める!!!」 と言ってくださったんです。
 
「これは、偉業だ!! この舞台は、沢山の人に観てもらわないと勿体ない!!」と。
 
彼の大切な人が、私と同姓同名で誕生日まで一緒だったことがきっかけで仲良くなったので、本当にご縁って不思議なものです。
 
そうして、毎日毎日朝から晩まで電話をかけて、ありとあらゆる知り合いに声をかけ続けてくれ、本当に当日、満席にしてくれました。
 
本番が無事に終わり、有難いことにスタンディングオベーションをいただいた時には、現実ではないような感覚がしました。
 
私ひとりのチカラなんて本当に小さい。
沢山の人たちが想いをもって集まってくれると、こんな奇跡が起こるのだ・・・
 
「私ひとりで生きているのではない」と、
世界に対して、信頼感が増した気持ちになりました。
 
舞台を応援してくれたり観に来てくれた人たち、そしてそのお繋がりで、全国で街づくり村づくりをしている人たちに出逢うことができました。
 
究極の地球は、本当にひとりひとりがつくっていくもの。
ひとりの力は小さいけれども、声を上げれば沢山の同じ想いの人たちが集まって、少しずつ形になっていくのだと、実感しました。
 
夢のなかった私は、究極の地球という、生きてる内に叶うかもわからない夢を描き、私の人生独自の形で夢に向かって進みはじめました。
 
ぶっちゃけ、これが叶うか叶わないかは、そう重要ではありません。
 
そこに向かって進む過程が、いまのところ一番面白そうだから。
いろいろな人に出逢い、いろいろなことを思いっきり経験できそうだから。
そして、そこを目指している人生の方が、生きがいを感じられそうだから掲げているだけです。
 
夢のなかった私は、やっぱり夢なんてないのかもしれません。
 
タモリさんは、「夢なんてない方が、幸せだ。夢があるから苦しむのだ」と言ったと聞きます。一方で、夢が見つかると人は奇跡をおこせるほどまで生き生きと進み始める所も沢山体験し、見てきました。
 
両方、その通りだと思うのです。
 
重要なのは、いまを生きること。
 
舞台は、ずっと幸せだと物語になりません。
いろんな人がいて、いろんな感情が渦巻いて、沢山の葛藤があるから
平凡な日常も特別な瞬間も、美しい物語になります。
 
人生もそうだなと思うのです。
どんな時も、その時に感じた感情感覚全てが宝物です。
 
誰のものでもない、80億人の中でたった一人。
人類史700万年の中で、同じ人はひとりもいない、たった一人の自分。
 
今日もこの瞬間も、この世界を感じられることが愛おしい。
 
辛くても、希望なんて見えなくても。
どんな状態でも生きていると、いつか晴れる日がくる。
 
その全てが、かけがえのないこと。
 
だから、安心して落ち込んで悩んで苦しんで、みみっちい小さな自分を味わいつくそうと思うのです。
 
だから、今の私はどうしてあげたら面白い展開になるかなと、ワクワクと物語を面白くしてあげたいと思うのです。
 


小学生の頃の自分には、想像もできなかった人生が待っていました。
この先も、今の私では想像もできない未来が待っているでしょう。
 
夢がなかった私は、一年後は想像通りだと思っていた。
未来が怖くて目標ばかり立てていた頃の私には、
一年後はその通りにしなくてはいけないものだった。
 
今は、一年後の自分が想像つかない。
想像していなかった未来は、
こんなにも私を面白いところまで連れてきてくれています。
 
だからきっと、これからも。
想像していなかった未来を楽しもうと思うのです。


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