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君の夢を歩く夜


好きな人が夢に出てきたとき、普通ならわたしがその人を想いながら寝たから、夢に出てきてくれたんだ、と思うけれど、昔の日本では違って。相手がわたしのことを想っていたから夢に出てきたんだと。合理的でも何でもないけど、古典の世界の考え方、ロマンチックなものが多くて大好きだし、わたしはロマンチストだから、現代人だけど、ヤッター想われてるんだ、と幸せな気持ちで起きる。

付き合う前に、おにいさんにこの考え方を教えたことがあった。たまたま後日おにいさんの夢を見て、報告したら、「ぼくがはなのこといっぱい考えてたからだねえ」って。

別れることが決まってたときもそう。最近おにいさんがよく夢に出てくるんだと言ったら、「それはぼくがはなのこといっぱい考えてるからでしょ」って当たり前のように返されちゃったよ。

奈良時代のように、袖を折ってみるからさ、また今夜夢に出てきてくれないかな。それでまた、少し安心させてくれないかな。

夢でいいから逢いたいぜ。

夢でいいから、いろんな話がしたいな。夢の中でおはよう、でもいいし、ただ二人で並んで歩くだけでもいいんだ。そういや歩くとき、お互いの歩幅について気になったことがなかったな。運命の人だからかな?夢で確認してみようよ。起きたら忘れちゃうだろうけど、本当に会ったとき、やっぱり確かだって思うんだよね。歩幅も、体温も、匂いも、全部が合わさって、わたしの居場所はここだって思うんだ。

やだな、こんなに考えてたらおにいさんの夢にわたしが出てくるんじゃないの。やめてよね、今出ていったら、想われてることすら負担に感じられそうでやだよ。わたし何にもしてないのに。

ねえねえ、もし、わたしがもう死ぬんだって言ったらどうする。星の破片を墓標に置いて待っていてほしいと、また百年後に逢いにくるから、と言ったらどうする。百年待っていてくれる?数えても数えても、まだ来ない百年に、期待してくれる?待つことが愛への近道なのだとしたら、わたしはあなたが退屈しないように、毎晩夢に出てきてあげるよ。待つのは苦手だろうから、その間も楽しませてあげるよ。近道ですら遠回りに感じるだろうからね。その代わりずっと想っていてね。

結局、毎晩こんなつまらないことを一人で考えながら、君の夢を歩いている。歩いても歩いても終わりが見えないような夜を一人で。百年経ったとき、気づけるのかな。口付けを交わして、百年経ったと、待っていてよかったと思う日が来るのかな。

愛は待つことだと、言い聞かせて眠ってみるよ。夢の中だけでいいから、一回だけ愛してるって言ってくれないかな。わたしも、待つことが苦手でごめんね。わたしの夢を歩いてみたら気持ちがわかるはずだよ。じゃ、また夢で待ち合わせようね、おやすみなさい。

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