見出し画像

見せてあげない

石や本、その他アンティークをコレクションするという道楽をしている。わたしは贅沢が好きなので、パンではなく薔薇に金を使う。
DCブランドの服を着て、舞台を見に行く、香水を買う、バイトで得た金はすぐに使ってしまうので、ずっと目標にしているイタリア旅行に行けるのは何年先になるのかわからない。

推定無職でありながらこの有様である。マイペースでのらりくらりとしていられるのは、わたしの両親の気質が多いだろう。わたしの親は大学を出てすぐに就職せず海外を周遊したり(つまりは遊学ニートだ)、母は仕事をしたくないがために結婚し、典型的な主婦になった。
母親はわたしにブランドや服の選び方、物の善し悪しなどについて徹底的に叩き込み(今思えば母はセンスが良く、商才があったのではないかと思う)、わたしはあいうえおと一緒にエルメスやバーキンの綴りを覚えた。未成年のうちは、わたしに自分の服装を選ぶ権利は存在しなかった。
母親の「パチモン」と粗悪品に対する怒りは凄まじく、わたしは絶対に、持ち物というものは全ていい物を持っていなくてはいけないのだ、という強迫観念に支配された。
以前、母にブランドのコンセプトやメッセージに対してどう感じるか聞こうと思ったことがあるが、絶対に失望する自信があるので聞かない方がいいだろう。

父親も父親で道楽家なので、金がないのにも関わらずロードバイクやら薔薇の苗やらを買ってせっせと世話をしている。
両親は金がないと嘆くが、金があるときもないときも同じような顔をしているので、本当なのか嘘なのか、よくわからない。恐らく今は本当に金がないのだろうが、それでも生活保護などに頼る世帯よりかは贅沢に生きている方だろう。

両親はわたしを二十年かけて、金持ちの持ち物に詳しいくせに金のない耳年増のような女に育て上げた。ファストファッションなど人権侵害によって成り立っている服を着るつもりはないが、だとしても不相応なものに詳しくなってしまった。今の生活では高価な物を身につけていく場所などはない。舞台は普段着で行ってしまうし、ホテルもカジュアルな場所しか行かないので訪問着やら格式張った格好をする機会がない。
また、オープンすぎる場所でそういったコレクションを見せびらかしたり、共有するのは下品だと思うので、本当にわたしのコレクションは日の目を見ることがない。譲り受けた物も自分で購入した物も、好きで集めているのにマウンティングの材料として消費されそうで嫌だなあと思う。
その点、安野モヨコのエッセイは本当に嫌みがない!
本当に素敵なものは、博物誌に記録するように公開したい。以前富豪のコレクションを集めた邸宅兼美術館に行ったが、やはり圧倒された。インスタグラムなどで多数に見せびらかす行為は恥だが、価値を理解しようと学ぶ人に開けているのは素晴らしいと思う。
わたしも虚栄心ではなく、好事家の心を開示するために物を好きだと言いたい。
元々のインターネットは好きを共有する場所だった。
純粋にその物が好きだから、わたしのコレクションを見てくださいと言える場所を作りたい。


昼ご飯代が欲しいです