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恋する美術史入門

今でこそろくでなしだが、僕は中学生の頃、それなりに勉強を頑張っていた。
もともとは勉強するつもりなんぞ毛頭なく、スポーツ推薦で高校・大学といければいいなぁなどと呑気に考えていた。しかし部活で思うように芽が出ず、子どもながらに、「僕に運動は無理だ。勉強しないと、どこの高校へも行けないぞ」と観念し、少しだけ学習に身を入れた。

中学校での成績は高校入試にも関係したため、定期テストでは、いわゆる副教科と呼ばれる科目でも手を抜かなかった。
なかでも美術のテスト対策は、ビジュアルに富んだ教科書やそれに付随して買わされる資料集が息抜きにもなり、苦ではなかったと記憶している。

二年生の頃だったろうか、学年末テストへ向けて勉強中のこと。あらかじめ発表されていた美術の試験範囲の中で、ある一人の画家の名前と、その画家の描いたある一枚の絵を結びつけて憶えることが、何故だかどうしてもできなかった。
彼の作品は、色彩の爆発した絵を、わざわざモノクロ写真に写しとって見ているような、そんな新奇さと切なさを放っていた。
何度ざるで水をすくっても通り抜けるように、彼は僕の心に留まろうとはしなかった。なんとか水をつかもうと、何度も何度も画家の名前・作品名を紙に書き声に出し、無理矢理脳裏に染み込ませた。

彼の名は、オディロン・ルドン。
舌のもつれそうな名前のこの画家は、モネやルノワールといった印象派の画家たちと同時期に生まれながら、自らの精神世界を表現することだけを求め続けた、孤高の画家だ。
アニメ『惡の華』にたびたび登場するギョロッとした目玉の絵や、ユイスマンスの『さかしま』(河出文庫)の表紙の不気味な人面花の絵を描いたことで知られている。

ルドンは、入念にプロットを練られた悲劇のような生涯を送った。
1840年、彼はフランスのボルドーに生まれたが、彼の母親はルドンの兄を偏愛し、自身は生後二ヶ月で里親に出されてしまった。人間関係を確立することが苦手で、学校に通うようになっても孤立し続けた。二十代の頃には、アカデミーの大家ジェロームに師事したこともあったが、すぐに逃げ出している。

ここまででも十分不幸だが、まだ終わらない。
1880年には、カミーユ・ファルトと結婚。三年後には長男ジャンが誕生するも、わずか半年でジャンは亡くなってしまうのだ。
こうして孤独と失意を生きた人生の前半には、眼球や雲、人面花をテーマとした暗い木炭画ばかりを制作し続けた。
いわゆる「黒の時代」と呼ばれるこの時期の作品は、本当に不気味だ。『怖い絵展』へ一緒に行った友人は、ルドンの絵『眼は奇妙な気球のように無限に向かう』だけを飛ばして鑑賞していた。

しかし、1890年頃から、彼の画風は信じられないほど変化する。あんなに陰鬱だったルドンの絵が、端的に言えば「カラフル」になるのだ。
画題も蜘蛛や人面花、眼球だったものが、花やユニコーンのような、ファンシーさをも感じさせるものに変わった。

その大きな動機となったのが、次男アリの誕生だった。長男を半年で失ったルドンにとって、アリは待望の「宝」だった。私生活でかつてない幸福に包まれたルドンは、絵画にもその精神を反映するようになったのだ。

成長したアリは、のちに第一次世界大戦に召集され、行方不明となってしまう。ルドンはその消息をたどるうちに体調を崩してしまい、76歳でこの世を去った。アリは無事だったそうだが、ルドンは愛息に看取ってもらうことも叶わず、なんとも虚しい結末を迎えている。

僕が昔美術の教科書で見た絵は、豊かな青と肌色を帯びた作品『目を閉じて』(オルセー美術館蔵)だった。だから、真っ黒で気味の悪いルドン作品の存在を展覧会で知った際は、同窓会で変わり果てた旧友と再会したときのような心情になった。
「おおっ、中二のときのルドン……だよね…?憶えてるよ。ま、まぁ元気にやってるみたいじゃん。(こいつ痩せこけて老けたなぁ)」というように。のちに、黒の時代の方が、ルドンの画家キャリアの原点だったと知るのだが。

「黒の時代」から「色彩の時代」への変遷を見ていると、「人生は自らの手で明るくできる。諦めるなよ」と、ルドンに発破をかけられている気がする。また、ルドンは、「絵画を切り口に、絵画を取り巻く当時の<全て>にアプローチする」という美術史の意義を教えてくれた。僕はそのおかげで、いつかアカデミックに美術史をやりたいという目標も持つようになった。

中二のあの時、ルドンの名を何度つかもうとしても指の間からこぼれ落ちていったのは、必然だったのかもしれない。ルドンの魂が僕を振り向かせようと、躍起になったのだ。だからこそ頭の片隅にでも、ルドンの名を記憶していることができた。

ルドンを「崇拝してる」と言うには、まだ僕の知識は浅はかだ。「尊敬している」と言うと、「青の時代」からキュビズムを駆け抜けたピカソもそれに値するし、偉人に対して「愛する」という表現を用いるのも、なんだか距離を縮めすぎな気がする。

僕はルドンに、「恋をした」のかもしれない。


今度の休みは、ルドン作品を多く所蔵する岐阜県美術館にでも行こうかなぁ。それとも箱根のポーラ美術館か…。どっちも行っちゃう?

無職だし、そんなお金はないんだけどね。


(古い記事のため、記事の内容と現在の筆者の状況が変わっている点もあります。)

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