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Tシャツを着て美術館へ行こう

僕は美術館へ行くのが大好きだ。常設展はもとより、絵画・動画・インスタレーションと表現媒体を問わないアートが集い、学芸員をはじめとした美術関係者の情熱を感じられる特設展を見るのが特に好きである。世界中の名だたるミュージアムから名品が一同に会し、趣向を凝らした展示方法で見る者を異世界へと誘う特設展。この「夢の空間」に1,600円で足を踏み入れられるのだから、千葉の「夢の国」なんかと比べたら、僕は破格に安いもんだと思う。

「美術」と聞くと、身構える人は多い。特に僕と同年代の若者たちは、「年寄りくさい趣味」だと思っている節がある。『怖い絵展』や『デザインあ展』のような俗っぽいものは除いて、たしかに展覧会では年配の方が多い。なんなら絵よりもハゲ頭が目立って目に入り、「僕は一体何を見に…」と落ち込むこともしばしば。
若者でなくても、「美術」=アカデミックなものだと思っている人は多いように思う。「作家への事前知識がなければ、絵について理解できないのでは?」「絵を理解できなければ、芸術を楽しんでると言えないのでは?」と、アートに壁を感じている人は少なくない。

しかし、僕はそんな心配はご無用だと思っている。
そもそも僕が美術展に通いだしたきっかけも、たいそうなものではない。
2年前の今頃だろうか。ロクにアルバイトもせず、就職先が決まらず、お金もなく、引きこもっていた時期に、空腹に耐えかねてコンビニに行った。弁当を一つ手に取りレジへ持って行き、会計を済ませた。「ありがとうございます」と店員に告げようとしたその時、発しようとした「あ」の音が空気の塊のまま喉に突っかかり出てこず、思うように言葉を紡ぐことができなかった。「あー、あり、ありがます…」と意味を成さないセンテンスを残し、僕は顔を赤らめそそくさとコンビニを去った。

そう、引きこもりすぎて、人と接してなさすぎて、声を出すことができなくなっていたのだ。さすがに「もっと外出をしなければ」と危機感を持った。しかし、前述のように僕は当時ニート同然の無一文。でも外に出なければ、今の自分を変えることはできない。そんな中思いついたのが、「美術館へ行くこと」だった。

当時曲がりなりにも大学生だった僕は、学生料金で特設展に1,000円前後で入れたのだ。映画もだいたい同じ料金で観られるが、大食らいの僕はポップコーンやホットドッグを買ってしまうこと必至、無職にそんな贅沢をする余裕はない。それに公共性の高い美術館であれば、ニート同然の僕でも気兼ねなく訪れられるような気がした。そんなこんなで、「美術館に行くのだから一応小綺麗に」と、タンスからバンドカラーシャツを取り出しジャケットを羽織り、タック入りのパンツを履いて上野の東京都美術館に向かった。

『ポンピドゥセンター傑作展』。それが僕が自分の意志で足を運んだ、初めての展覧会だった。もともとフランスが好きだった僕は、実際にポンピドゥセンターへ行ったこともあったため、なんとなくこの展覧会を選んだ。無論、事前知識なんて皆無だったが、筆跡が判るほど近くに名画があるその状況に興奮を覚えた。作品もパリの風景を描いたものが多く、純粋に「見たまま」に絵画を楽しめた。
そして、それこそが美術の楽しみ方なんだなと気づけた。「見たまま」で良い。自分が感じた通りに、楽しめれば良い。

これはのちに知ったことだが、美学美術史学科を出た人でも、絵を見ただけで画家の意図を読み取れる人なんてそうそういない。ましてや抽象画であれば、研究者の見解でさえ対立していることも珍しくない。僕のような素人が絵を見たときの感想なんて、「綺麗だなあ」「気持ち悪いなあ」「この画家絶対変態だろ」って、そのレベルで良いんだと気づけた。

そういえば夏場にジャケットを着て展覧会に来ている人なんて、誰一人いなかったっけ。

その展覧会の帰り、ラウル・デュフィという画家の『旗で飾られた街、ル・アーヴルの7月14日』という作品のiPhoneケースを記念に買って帰った。今年に入ってiPhoneを洗濯機にかけケースはバッキバキになったが、なけなしの金で買ったからか、この展覧会への感謝の想いからか、いまだにケースを捨てられないでいる。

以降、「教科書に載ってるような、もっと有名な絵も見てみたい」と思うようになり、美術館に足繁く通うようになった。もちろん、Tシャツに短パン、時にはヒゲ面で。次第に画家の人生や派閥にも興味が湧いてきて、知識は後から自然と身についてきた。それでも初見の画家の絵なんて、「なんだこの画家、絶対根暗じゃん!」くらいの感想しか持てないが。そうして引きこもりだった僕が、のちに美術書の出版社に就職するまでに至ったのである。

紆余曲折あってその会社は辞め、現在は無職だ。しかし、今の僕には美術がある。無職だからこそ空いた時間に美術館に行き、ハゲ頭を回避して美術鑑賞に浸れる。今後僕が美術を見放すこともないだろうし、歴史の結晶、偉人の魂である美術が僕を裏切ることもない。女心とは違うのだ。

あなたの街の美術館にも、人生を変える出会いが待っているかもしれない。


(古い記事のため、記事の内容と現在の筆者の状況が変わっている点もあります。)


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